貴方のダンスが見てみたい 親子の時間4

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貴方のダンスが見てみたい 親子の時間4

バルクは目の前の雲が暖かな南風に思い切り吹き飛ばされて、いきなり燦燦とした日差しが差し込んできたようなそんな心地になった。 (トマス、お前はやっぱりソフィアリが心を許しただけはあるな) 『家族は離れていても応援しあう。心では繋がっている』 一昔前のひねくれたバルクだったら、小賢しい青臭い言葉と小馬鹿にしていたかもしれないが、今はなんだかいやに胸に響いた。 むしろ昔のバルクが、人とまともに関わり合い真剣に向き合うことを避けていただけで、こういった機微を理解できるほど成熟した心を持ち合わせていなかっただけかもしれないが。 番や我が子の存在、そして面倒くさく思っていた家族が支えてくれたからバルクは人として育ちなおすことができた。次はバルクがそれをする番だろう。 カップの下に多めのチップを挟んでバルクは立ち上がる。 「さて…… 俺は疲れたからアスターさんの屋敷に帰るよ。多分戻らないからお前たちは楽しんでいてくれ」 「おやすみなさぃい」 もうすでに酒が周り始めたのかロレツが怪しいトマスはリリィの方に無意識に寄りながらややふらふらしてる。そのうちまたテーブルに突っ伏すと言う、粗相をおかしそうなのを察して、ブランドが苦笑しながらテーブルを回り込んで自分の肩に頭をくっつけて寄りかからせた。 「こいつは俺が見張ります。明日は必ず一緒に帰れますので、是非! 車に乗せてください。よろしくお願いします」 明日には汽車の時間があるので早々にここをたたねばならない。これは朝白亜館に待たせてある車がバルクを農園に迎えに来る前に、バルクの方が白亜館の彼らの部屋に出向いて叩き起こして車に載せた方がよさそうだなと思った。 波止場からの見える海は真っ暗で中央の夜よりは澄んだ空気の中、星が夜空一面遍き瞬いている。 この土地にしてはひやっと感じる風が吹きわたり、バルクは今まであまり感じたことがなかったようなもの寂しさを感じた。一人でいることに寂しさを感じたことなど今までなかったが、こんな祭りの夜に自分から賑やかな席をはなれたというのにそんな風に感傷的になってしまった。 市場からすぐに海辺に立つ白亜館までもどってきた。バルクは早々に場を辞したため、今はまだそう遅くない宵の口だが、保養地のため中央からきた年配の客が多く止まっている白亜館は祭りの夜もしっとりとした雰囲気だ。昔母の侍女だった女性が女将をしていてその縁で一室を借りている。ランのために買った土産が入った包み紙を抱えると、中央から同行した秘書兼、今回は運転手もしてくれているダヤンに、農園の家まで送ってもらった。 「バルク様。では明朝迎えに参ります」 勤勉な彼はもともとはバルクの父親の第3秘書だったが、ちょうどバルクより10歳年上程度であったためバルクづきになった人物で非常に信頼がおける。もちろんランのこともミカのことも心得ている。 「いや、ここまで自分で戻ってくるから、お前はあの二人を起こして一緒に朝食まですませていてくれるとありがたい」 「承知しました。貴方もゆっくりお休みください」 いつでも怜悧な表情のダヤンは会釈すると、静かに車を出して街の方へ帰っていった。 ソフィアリの屋敷とは同じ農園の敷地の中でも離れたところにあるメルトの屋敷だ。屋敷というにはかなり小ぶりで中央のモルス家に比べたら部屋全部合わせても一階部分の面積にすら匹敵しないが、黄色い壁に赤っぽい茶色の屋根。壁にも小さなつる薔薇の絵が描かれていてとても可愛い。バルクはこのおもちゃの様に愛らしい小さな家とその家族が大好きだった。 メルトは正直自分の父親より身近に感じられる部分がある。なにか通じるものがあるというか、真面目で堅物な父よりクレバーでユーモアあふれるメルトとの方が気が合うのだ。 穏やかで料理上手なアスターのことも慕っている。生粋の貴族出身の父は母当然自分で料理などすることはないが、この家ではもちろん家のことは住んでいるものが自ら行っている。弟のソフィアリも当然家事など一切できないはずだから、ここでもかなり周りの手を借りて暮らしていることだろう。 この家に泊めてもらう時は2階の奥の広大なラベンダー畑が見渡せる眺めの良い部屋を貸してもらっている。暗い二階と比べ、一階の部屋からはまだ明かりが漏れていた。 ドアベルを鳴らすと、なぜか夫婦そろって出迎えてくれた。 「なんだ、バルクか。もう帰ってきたのか。みなと楽しんでくるのかと思ったぞ」 「ただいま帰りました。お二人そろって出迎えていただけて光栄です」 「いやなに。ラグが来たのかと思ったんだ。まあ入れ」 それにしてはただ事ではない雰囲気だったので怪訝な顔をしたバルクを、二人は柔らかく着心地よさそうな部屋着のまま室内に招き入れた。 「まあ、まだ休むには早い時間だ。湯でも浴びてくるといい」 メルトは色々な国を回って気に入ったという木々のアロマを漂わせるサウナ小屋やバルクのような長身の部類に入る者も足が延ばせるほどの立派な湯舟のある内風呂も持っている。中央は乾燥しているし、ここよりずっと寒いせいか毎日風呂の入らなくてもよい程だが、この家で風呂に入る習慣を得てしまってからバルクも自宅の設備を充実させてくなった。 言葉に甘えて湯につからせてもらい、バルク用に用意されていた寝巻に、自慢の巻き毛がくたっとなるほど湿らせてから戻ってきた。 居間には少しだけ嗜めるようにと花や葡萄酒が原料の香り高いブランデーと共にメルトがバルクを待っていた。晩酌ではなく寝酒程度の量で、少し話をしたらもうメルトも床つくのかもしれない。最近は流石に年にはかなわないとこぼしていたから純粋に明日中央に戻るバルクと少し話がしたかっただけなのだろう。 「さっき二人で出迎えていただきましたが、ラグがどうかしたんですか? ソフィアリを抱き上げてそれは嬉しそうに帰っていきましたけど」 ダンスを見届けると多忙なルイードと新聞社のものたちは直ちに中央に帰っていった。そもそも祭りの日程がずれてしまっていたので、日程的に非常に押してしまっていたらしい。良いものが見られたと嬉しそうな顔をされたのでバルクも彼らの立派な姿が誇らしかった。 「あのダンスは傑作だったな。ずっと二人を見守ってきた私など、ひっそり涙がでてしまったぞ」 そんな風に冗談めかすが、メルトが二人を思う気持ちは兄であるバルクに決して劣らない。交流があまりなかった大叔父以外に頼る者がいなかったこの街で、二人を温かく迎え導いてくれた人はメルトをおいて他にはいない。 「あの二人はその、仲良くやっていますよね。俺から見ても、それはもう、たまにあきれる程いつもくっついている」 ランに会いたい一心で無理やりもぎ取った休みだ。取材に来る新聞社の人間の案内を口実として祭りに来てみたら大事に巻き込まれたが、結局は祭りの後は大団円。なんの憂いもない二人に見える。 周りの人間に恵まれて、お互いを思いあって幸せそうで、大変なことはあったが共に乗り越えていける力がある。その姿は眩くて、本当に、妬けるほどだ。そんな気持ちが顔に出たのかメルトは髭を撫ぜ付けて微笑んで頷いた。 「まあ、お前はあの二人の姿に嫉妬を覚える程だろうがな。あの二人にはあの二人なりの悩みというやつもある。お前の弟はあまりにも無垢なまま、すぐにラグの番になった。心の成長もおざなりのまま、いきなりだ。ラグに対して無意識に保護者の様に甘え切って接している節もある」 「それはそうでしょうね」 年の離れた長兄とラグは年も近く、かつては番も子もいたことのあるラグとソフィアリではそれこそ大人と子供ほどの差がある。番になるまではきっと無意識どころかはっきりと保護者がわりと周囲からも思われていただろう。 その感覚が抜けきらないことはあり得ないことではない。ソフィアリにとっては引き離された家族すべての代わりをラグに求めたはずなのだから。 「でもな、お前だってわかるだろう。番というのはそういう穏やかなだけの関係ではいられない。特にアルファはヒートの間など、相手のすべてを欲しくて支配したくてたまらなくなる。まあ番のいない私の話は説得力がないかもしれないがな」 「あなたほど自制心の強いアルファはほかにいませんよ」 バルクの言葉にメルトは首を振る。香水作りのためにメルトが番を作らないできたことは有名な話だ。その仕事の性質上、幾たびオメガのフェロモンの誘惑を受けたのか想像に難くない。抑制剤が普及してきたのは近年の話であって、メルトが若いころにはほぼ一般には流通していなかったことを差し引くと、バルクにしてみたら驚異的な話だ。 今でもメルトは若き日の端正さが想像に難くない顔にとても穏やかで柔和な表情を浮かべている。しかし中身は一本筋が通った気骨がある南部の男だ。 「それは私に対して買い被りというものだ。まあ、とにかくラグはソフィアリとの関係性を変えたがっている。保護者面して寛容で、いつでもソフィアリにいい顔をする男から、真の意味での伴侶になりたいんだろう。ああいう風にいつでも動じなく見えているかもしれんが、若くて美しい天衣無縫な番に内心では振り回されているのだろうよ。まだまだ充分若い。ラグもな」 暗にバルクの迷いも見透かされているのだ。バルクは苦笑して甘く口当たりの良いブランデーを含んだ。 「ソフィアリを育てて、その上で自分自身も彼に柔い心をゆだねようとしている。今夜がその始まりの夜になるだろうが…… でもラグも迷っているんだろう。ソフィアリを大切に思う気持ちが強すぎて、無理強いできない。だからさっきはラグがソフィアリと距離を置こうと一度こちらにきたのかと思ったのだよ。そろそろソフィアリがヒート入る。あまりに抑えが利かなくなったら困るから、明日の朝には私に様子を見に来てほしいなどというぐらいだからな」 あの頼もしく気丈夫で何事も自分の力で乗り越えていけそうなラグでも、メルトにそんなにも私的なことを頼むのだ。バルクは瞠目した。 「あのラグでも…… そんな風に思うんですね」 「そりゃそうだろう。人間皆迷って生きるものだ」 (俺は迷ってばかりだ……) バルクは眉根に皺をよせぎゅっと目を一度瞑ると、口に出しては言えなかった迷いをついにメルトに訥々と白状し始めた。 「相手を愛しすぎて、支配したくなる衝動は、俺にも覚えがある。俺は…… それを抑えられなかった。俺はいつでも同じところで迷ってばかりだ。進んでいる気がしない。今でも時折思うんです。ミカとランを俺のもとに呼び寄せて三人で静かに暮らすのが正しかったんじゃないかって。あの時親たちと分断してでも無理やりにでもそうしなければいけなかったんじゃないかって。これからでも遅くない。今すぐにでもそうしないといけないって、俺はっ……」 最後は情動から掠れた声を上げ、バルクは憂いに美貌を陰らせ項垂れた。 本当はすでにもう始めてしまったことにどっちつかずになってしまう自分を、バルクは心の底から嫌悪している。決めたことを迷わずに突き進もうとする兄弟たちに比べて惰弱な自分に嫌気がさして、番や子に顔向けすらできない心地になるのだ。 メルトはもちろん、バルクのそんな部分も知っていたし、そうして苦悩する彼の優しさを愛していた。迷いがあるということは、今よりよりよくしていこうともがく魂があるということだ。決めたことを良しとして突き進むことと変わらない。目指す先は同じだ。なんの悪いことはない。それがバルクという人間の真価なのだ。メルトはそう思っていたが、こればかりは自分で学んでいくことだ。 穏やかなランプの光に照らされた若者は、いつも陽気で知己にとんだ華やかな彼ではない。苦悩する素直な青年は、それでも親としての成長を遂げていこうとしている。メルトはグラスをくいっと持ち上げて二階を指さした。 「そうか。そうか。それなら、上に行ってランの顔でも見てくればいい。迷った時は子供の寝顔を見るに限る」
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