16人が本棚に入れています
本棚に追加
数分後、少女の姿は地上にあった。
所在なげに歩道に立っていたのは、やはり依頼主の、三十路前後のサラリーマンだ。少女が声をかける。
「早田さん、ですね。今日は真夜中にお越しいただいて」
「あ、ああ。君が、『自殺代行屋』さん?」
「ええ。あたしは、代表の坂本蓮。そして上にいるのが、自殺役の蓬生寺千生良。お代は前金でいただいてますので、よろしければ、今すぐにでも始めます。死に方は飛び降りでよろしいですね?」
「はあ……」
「ではさっそく」
蓮と名乗った少女は、ペンライトを取り出すと、チカチカと上に向けて合図をした。
すると、すぐに、ビルの上の少年の人影が宙に踊った。
数秒後。
地上にいた蓮とサラリーマンの目の前で、落下してきた少年の体が地面に叩きつけられた。
肉が飛び散り、血がしぶいて、骨が散らばる。どう見ても即死だった。
「ひっ、ひいいいっ!?」
「はい、死にました。依頼主さん、あなたは今ここで亡くなったのです」
「死んだ……俺が……」
ちりん、と鈴の音が、どこからか響いた。
「そうです。そして生まれ変わったのです。一度死んだ身です、もう怖いものはありません」
「怖いものは……ない」と言うサラリーマンは、茫洋としている。
「ええ。あなたが自殺を望んだ原因は、職場の上司の陰湿かつ継続的なハラスメントでしたね。その苦痛から、あなたは死を選んだ。そして今、成し遂げました。普通ならそこで人生は終わりです。しかし今死んだのは代行ですから、あなたはまだここにおられます」
蓮は、サラリーマンに歩み寄る。
「あなたはもう自由です。憎い相手を、決して自分は反撃なんてされないと信じているそいつを、殴り倒すこともできます。でも、周囲に事実を伝えて助けてもらうこともできます。全ての選択肢から、最も自分のためになるものを選ぶことができるのです」
再び、ちりん、と鈴が鳴る。
サラリーマンは、とろんとした目で答えた。
「でも……人が一人、俺の代わりに……」
「それについてはご心配なく。千生良ッ」
少女が声を上げると、その辺りに散らばっていた少年、蓬生寺千生良の体の破片がうごめき始めた。
やがてひとところに集まった血肉は人間の形になり、血みどろでねじ曲がった体で、しかし歩道にすっくと立ちあがった。
「ご覧の通り、自殺役の彼は不死身です」
「ふじみ……すごい……」
「そしてあなたは、今夜のことを覚えていません。ただ、自分が確かに生まれ変わったという感覚だけを有しながら、新しい明日を生きるのです」
ちりん。
蓮が後ろ手に鳴らした鈴の音に送られるように、サラリーマンはふらふらと帰途についた。
「凄いわねー、この鈴」
「拍冷ですね。さすが本家の術具です」と血まみれの千生良がうなずく。
「ま、仕事終わったし早く帰ろ。明日も学校あるんだし。あんたも、早く体修復させなさいよ」
最初のコメントを投稿しよう!