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「あの……その東吉郎さんは、今アメリカに……?」
「そ。帰ってくる気はないわね」と蓮が答えた。
「どうして?」
「今あいつが日本に来たら、実家に、あたしとの間に子供を作らされるもの。その子がある程度育てば、あたしは用済みなのよね」
「だ!? だって、子供なんて、お互いにその気持ちがなければ……!?」
「気持ちなんて一番どうにでもなるものよ。闇祓いの家なんて、人でなしの巣窟みたいなのばっかりなんだから」
「あのー。その元嫡子がここにいるんですけどう」
手早く首つり台を組み立てた千生良が、振り向きながら言ってきた。
「さ、できました。では、早速首をつるとしますか……百瀬さん?」
千生良と蓮が見ると、朋乃はうつむき、表情を隠している。
「百瀬さん? どうかしました?」
「ごめんなさい、千生良くん。私、街が見下ろせるところで死にたい。もっとフェンスの傍でもいい?」
「お安い御用です」
千生良は、フェンスの際までずるずると首つり台を移動させた。付属の踏み台を上がり、ぶら下がったロープに手をかける。
「それではいきますよ。これから百瀬さんは亡くなりますからね」
そう千生良が言った瞬間。朋乃の声が、異様に低く答えた。
「いいや。死ぬのはお前らだね」
朋乃が駆け出した。傍らにいた蓮が何事かと伸ばした手をかいくぐり、今まさにロープに首をかけた千生良の真下に走り寄る。
そして朋乃の体から、漆黒の影が飛び出した。朋乃の体よりも二回りは大きい黒色の塊が、千生良の体を下から体当たりして斜め上に突き上げる。
千生良の体がフェンスを越え、屋上から落下した。
「ええええ!?」
「なっ――あんたっ!?」
蓮の声に、黒い影が振り向く。今やその形は、二足歩行の要領で立ち上がった、雄牛のそれになっていた。雄牛の、人の頭ほどもある顎が動き、唸るように言う。
「妙な気配だとは思っていたが、禁呪を宿した人間と、闇祓いだったか……」
ごしゃんっ、と地面からの衝突音が聞こえる。千生良が着地した音だろう。死にはせずとも、しばらくは動けない。
影が完全に抜け出ると、朋乃の体はその場にくず折れた。屋上には、蓮と雄牛だけが立っている。
「あんた、……『マリーマイルス』?」
「驚いたな。日本に、俺を知る者がいるとは」
「人に取り憑いて、自傷行動や自殺を誘発する、ケチな悪霊よね。日本にもわんさかいるわ、あんたみたいなの」
「お前のそれ、いい心臓だな。二つの魂が溶けあっている。それを食らいに来たんだよ、俺は。わざわざこんな小娘に取り憑いて」
「やらないわよ。こっちもね、飛んで火にいるなんとやらってやつで」
「ああ?」
「元々あんたみたいのをとっちめたくて、自殺代行なんて始めたのよ。世の中、見えざる連中のせいで、死ななくていいのに自分から死ぬ人間が多過ぎる」
蓮が、くいと顎をしゃくった。
「お前、調子に乗るなよ。聞いていたぞ、お前自身は闇祓いでもない、ただの人間だろうが」
「あんたもたかが悪霊でしょ」
半眼でそううそぶく蓮に向かって、マリーマイルスが突進した。がぱりと空けた口の中には、牛などとは比べ物にならないほど凶悪な尖り方をした牙が並んでいる。
蓮の左胸にその牙が届くまで、あとひと跳躍。そこで、悪霊は動きを止めた。
「あれ、どうしたの?」
平然と訊く蓮とは対照的に、マリーマイルスが目に見えて動揺をあらわにしていた。
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