第3話 沙羅さんは素敵なお友達

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(4)  しどろもどろになりながら振った話に、沙羅さんはごく自然に答えてくれた。 「仕事の関係です。さっき柊チーフに言い遣った企画に使える資料がないかを探しに」  い、いきなりチャンスが来た──!  少し埃っぽくなったズボンを払い、沙羅さんが立ち上がる。その隙に、私は慌てて資料を挟んだクリアファイルをひっつかんだ。  頼り頼られる友達関係の、記念すべき第一歩! 「その企画のことなんですが、もし宜しければ、こ、これを……っ!」  意を決し、クリアファイルを差し出した。  少しでも喜んでもらえますように……!  しかしながら、そんな願いも空しく沙羅さんからはまるで応答がない。不吉な予感が頭を充満させながら、私は恐る恐る瞼を開けた。 「……っ!」  ひっ、と引き吊るような声を、何とか喉の奥で押し留める。  差し出したファイルに視線を送りながら、沙羅さんは大きく目を見開いていた。信じられない、有り得ないというような表情。 「小鳥さん」 「っ、は、はい……っ」 「怪我をしてるじゃないですか」 「す、すみません! ごめんなさ……っ、え?」 「今、俺を助けた時のものですか」  すっと持ち上げられたのは、差し出していた資料ではなく、私の頼りない右手だった。 「小鳥さんの手の甲。血が滲んでます」 「ち、違います! この怪我は最初に私が一人で転んだ時に出来たものですよ……!」  向けられた確認の視線に、思わず念を押す。 「こんな傷はあれですよ、唾を付けておけば治る感じのあれですから、大丈夫です!」  指先から伝わる沙羅さんの体温は、少し私よりも低い。それが次第に同じ温度に交わっていくのが恥ずかしくて、頬がじわじわと熱を集めていく。 「本当ですか?」 「は、はい! だからその……」 「それじゃあ」  もう、離しても大丈夫です。そう紡ごうとした言葉は、発せられることはなかった。 「俺が、その方法で消毒してあげましょうか」  沙羅さんが口にしたのは、初心者が処理するにはレベルの高すぎるジョークだった。  労るように触れられた右手が、ゆっくりと持ち上げられていく。沙羅さんの長いまつげがその綺麗な瞳をそうっと覆うのを見た。 「さ、ささささ、沙羅さん……ッ!?」 「はは、すみません。冗談が過ぎましたね」  沙羅さんの唇が手の甲に触れる、本当に直前。沙羅さんは笑いながらすっと顔を上げた。少しいたずらな目元にようやく気付き、ふいっと顔を背けた。 「沙羅さんっていつもはすごく優しいのに……何だか時々意地悪です」 「すみません。小鳥さんの困った顔が、可愛くて」 「う……」  だから、そういう発言が意地悪だって言うのに! 「そうだ。良ければこれを使って下さい」  言いながら差し出されたのは一枚の絆創膏だった。受け取った私は思わず感嘆の声を上げる。 「わあ、綺麗な絵柄ですね……!」  絆創膏にあしらわれたのは、美しい満天の星だった。見慣れた札幌の街並みとわかるイルミネーションが細かに描かれている。 「担当した商品の試供品です。ついさっき渡されたので、出来立てほやほやですよ」 「それじゃあこれ、沙羅さんがデザインを!?」  初めて見た沙羅さんの作品に、みんなが彼を賞賛する理由を改めて理解した。 「でも、こんな綺麗な絆創膏を……」 「いいんですよ。小鳥さんの手の方が、何倍も綺麗ですから」 「……っっ」  て、天然タラシだ……!  ぷしゅう……と湯気を上げる私を余所に、沙羅さんは絆創膏を手の甲に貼ってくれた。 「はい。これでひとまず大丈夫です」  手の甲に貼られた夜空の絵に、沙羅さんはどこか満足げに笑う。 「あ、ああ、ありがとう、ございます……っ」 「どういたしまして。小鳥さん」  小鳥さん。  男の人には違いないのに、沙羅さんにそう呼ばれることが何故か至極落ち着いた。今までの私では、考えられないくらいに。 「本当に……ありがとうございます」  繰り返した感謝の言葉は、意味合いが少し違った。 「私……本当はずっと、男の人が苦手でした。少しずつ慣れてきたつもりでしたけど、それでもふとした拍子に苦手意識が出て、相手に失礼な態度をとったりして」  先ほど施された絆創膏を、指で撫でる。 「でも沙羅さんは、そんな私の初めての男友達になってくれました」 「……」 「私、これからもっともっと頑張りますね! 沙羅さんの女友達だって自信を持って言えるように……!」  自然に笑顔を浮かべた自分に、内心驚いた。  久しぶりの感覚に高揚する自分を感じながら、例の資料を今度こそ沙羅さんに手渡した。 「余計なお世話だったのかもしれませんが、今回の企画に関連がありそうな資料です。その、よければ、参考に──、」  言いながら沙羅さんをそっと見上げる。窺い知ったその表情に、思わず目を瞬かせた。 「そうきましたか」 「え?」 「いえ。こっちの話です」  柔らかく微笑む沙羅さんに、私は小さく首を傾げる。 「貴女が無理に頑張る必要なんてこれっぽっちもありません。俺は、そのままの貴女が好きになったんですから」 「……」  そ……そうきましたか。どうやら沙羅さんの天然爆弾は所構わず。私は精一杯の防御を身に付けるしかないらしい。 「資料、ありがとうございます。とても助かりました」  どこか楽しげにそう告げる沙羅さんに、私は目一杯の間を空けて返答した。  人生初の男友達は、やっぱり少し、慣れるに時間がかかるらしい。
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