第4話 沙羅さんはみんなの人気者

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(4) 「小鳥。話がある」  自室の扉が唐突に開く。腕を組み仁王立ちする翼に、瞬時にクッションを投げつけた。 「人が着替えてる最中に入ってこないでよ!」 「ふむ。相変わらずチビのくせに胸はあるな」 「最ッッ低!」  再び枕を振りかぶった私だったが、翼はそれを軽くキャッチしてにたりと笑った。相変わらず、憎ったらしい兄だ。 「まあ、それは置いといて。小鳥。昨日も一昨日も、夜飯ろくに食べてないだろ」  確信をもった言葉に、ぎくりと肩が揺らす。  別に隠しているつもりはなかったが、朝の出勤前しか顔を合わせていない翼に、そこまで容易く見抜かれるとは思っていなかった。 「仕事が大変なのは仕方ねぇけどさ。遅くなっても食に無頓着になるなよな。倒れるぞ」 「ん。ありがと。気を付ける」  素直にそう告げられたのは、家族を気遣う思いがわかるから。私も同じ立場なら、きっと同じ事を翼に告げるに違いない。  幼い頃にお母さんを亡くした、私たちだから。 「それで? お前のその装備はD? E?」 「出ていけー!」  今度こそ私は、クマの縫いぐるみを兄の頭にヒットさせた。  旅行予定日、戸塚さんから無事に旅行先に着いたとメールが入った。  ギリギリまで引継を渋っていた戸塚さんのことだ。這いつくばってでも出勤してくるのではと危惧していた私は、安堵の溜め息とともに短文で進捗と旦那さんへの挨拶を伝えた。  スマホをしまう前にハワイの天気を確認する。向こう一週間は太陽マークが踊っていて、私はよしと頷いて仕事に戻った。 「ご確認ありがとうございます。最終原稿は後日、戸塚からFAXで送らせて頂きます」  電話口の相手が電話を切るのを確認してから、私は喉奥に詰めていた息をほーっと吐き出して受話器を置いた。進捗表の一項目に赤ペンでチェックマークと日付を入れる。  ひとまず締め切り間近なものは片付けたし、残る内容は二日かからず終われる内容だ。 (貴女はもっと自信を持って良い人だと言っていました。俺もそう思いますよ。小鳥さん)  男友達の柔和な微笑みを思い返しながら、私はふふっと一人笑いした。 「今日はぎりぎり、翼とご飯を食べれるかな」  その後すぐに柚に誘われて、私は久しぶりにまともなランチにありつくこととなった。 「……あれ?」  思わず声にしてしまった疑問符に、周りの子たちも揃って反応を見せた。 「小鳥さん?」 「ええっと。私の机の上のものとか、誰も持っていったりしていないよね……?」  あるわけないと知りつつも、私は呆然とした口調で問いかける。当然、返ってきた答えは否だった。  この資料を最後に確認したのは三日前。それから今まで、一度も触っていなかった。  戸塚さんから引き継いだときには確かに挟まっていた資料。それが何故か、閉じてあったファイルから忽然と姿を消していた。  資料にはナンバリングが施されていた。1から3までのインタビュー内容。姿が見えないのはそのうち3の資料だ。  旅行中の戸塚さんに不要な連絡を取らないようにとしつこく内容のチェックをしたから、引継時にあったことは間違いない。  自分が受け取った後、どこかに消えてしまった?  嫌な汗が背中を静かに流れていく。落ち着け、落ち着けと自分をなだめ、引継の際に自分で取ったメモを取り出した。  3の資料の内容は、やっぱり書き留めてある。外国人実業家のインタビューだ。  ファイルには、インタビュー内容を和訳したものをプリントアウトしてあったはずだ。それらを合わせた内容で、記事に落とす作業だったのだけど──。  無いとわかっていながらも、ファイルの外や机の隅々に至るまで再度確認する。  一体、どうして?  混乱が次第に波を引き、身体がすうっと冷たくなっていく。  その後もつゆほども姿を見せない資料の影に、私は呆然と頭を抱えてしまった。
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