第5話 沙羅さんは最強のお友達

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(3)  よし、終わった……!  翌日の就業時間中、私はどうにか音声インタビューの書き出しを終わらせた。  確認作業も三度繰り返したし、問題ない。これでも英語の聞き取りには自信があるのだ。  これもお母さんのお陰だね。口元に笑みを讃えて時計を仰ぐ。十一時。そういえば、朝ご飯を取るのを忘れていた。 「あっ、小鳥さん、良かったらコーヒーを入れましょうか?」 「ありがとう。でも、今から昼食を買ってくるから大丈夫だよ」  後輩の気遣いに感謝しつつ、私は朝ご飯兼昼ご飯を買いにオフィスを後にした。最近言われたばかりの兄の言葉が頭をよぎる。 「こんな時に倒れるわけにはいかないもんね」  ほんのりぼやける頭を横に振りながら、エレベーターのボタンを押す。  到着したエレベーターには、お昼前ですでに数人が乗っていた。視線を合わせないように俯きながら、小さい身体をそそっと入れる。  エレベーターがゆっくりと下っていく感覚に、ほうと息をついた。 「ね。あの子じゃない? 最近沙羅さんと噂になってる子って」  ドキン、と心臓が大きく鳴った。  エレベーターのドアに向かい合っている私のすぐ後ろで、女の人数人の話し声が聞こえる。一応声を潜めているようだが、エレベーター内では全て筒抜けだった。 「ええ? それって、沙羅さんと急にお近付きになったっていう、総務部の?」 「沙羅さんってあの沙羅さんでしょ? 第一グラフィック部のイケメンさん!」 「あの子が沙羅さんと付き合ってるの?」 「うっそ~……」示し合わせたように呟きを重ねる大人の女性達。その潜めた言葉の矢が胸に容易に突き刺さった。  エレベーターの階層表示の動きが、酷く遅く感じる。落ちていく浮遊感がやけに重たくて、私はぐっと足に力を込めた。  エレベーターの扉に付きそうになった手を、慌てて逸らす。落ち着け。こんなのもう慣れっこになったはずじゃないか。  大丈夫、大丈夫、だい、じょ……。 「えっ。小鳥ちゃんと慧人って付き合ってたの!? 何だよ~俺小鳥ちゃんのこと狙ってたのにさぁ!」  はい? 箱の中に詰められた張りつめた空気を、おちゃらけた男性の声が一変させた。 「よっ! 小鳥ちゃん!」  軽快に肩を叩いてきた柊さんに、呆気に取られてしまう。 「もしかして今からお昼? 良かったら一緒に食べようよ。最近出来た美味しいお店、知ってるんだ~」  瞬間、ほんの僅かな間で、柊さんは後ろの女性社員に視線を向けた。 「一度くらい俺にも、君をものにするチャンス頂戴よ。ね、小鳥ちゃん?」  唐突に低くなった声色に、背後に控えていた彼女らが一斉にビクつくのがわかった。  結局私は、そのまま柊さんとお昼をご一緒させていただくことになった。 「すみませんでした。ご迷惑をおかけして」 「ん? 迷惑なんて何にもないよ? 言ったでしょー。俺も一度くらい、小鳥ちゃんを落とすチャンスが欲しかっただけ!」 「あ、はははは……」  まったく。柊さんのマイペースは相変わらずだ。でも、あのエレベーターの中で、柊さんの言葉は救いの手だった。  あのまま明るい調子で私の肩を押し、お洒落なレストランで柊さんはごく自然に私の椅子を引く。やっと温もりを取り戻してきた自分の手を、机の下でそっとさすった。 「それよりいいの、小鳥ちゃん? 食事、そんなに少なくて」  言いながら柊さんが視線を落とす先には、単品で頼んだパンとサラダとスープ。その点彼はというと、大盛りのランチメニューに食後のデザートも頼んでいた。 「あ、わ、私、もともと食が細いんです。だから、このくらいでちょうど良くて」 「まあ、小鳥ちゃんが大食いって言われる方がよっぽど驚きか」  にっと笑う柊さんは太陽のようだ。少しお調子者のきらいがあるけれど、そんなところでさえ周囲から慕われる理由なんだろう。  柊さんが太陽なら、沙羅さんはお月様かな。  あの人は神秘的で儚げで、それでいてどこか妖艶で──あの危うげな美しさは、真っ白な月光のようだ。 「それでさ。どうなの? 実際のところ」 「え?」 「小鳥ちゃんと慧人のこと。どんな感じで付き合い始めたのかな~ってさ!」  何とも朗らかに尋ねられた質問に、思わずむせてしまう。差し出された水で喉を落ち着かせた私は、何度目かわからない弁解をした。 「ですからっ、沙羅さんと私はお付き合いなんてしていませんっ! というか柊さん、何で付き合っている前提の質問なんですか……っ!」 「えー。でも慧人に聞いてみたらさ、『想像にお任せします。小鳥さんに変な手を出さないで下さいね』って言うもんだからさぁ」  稲妻が頭上をめがけて落ちてきた。沙羅さんは相変わらず、天然爆弾を降らせているようだ。  くらりときた頭を抱えつつ、私はどうかその話を柊チーフ以外誰も聞いていませんようにと祈る。 「それじゃ、付き合ってるわけじゃないんだ?」 「当たり前です! 大体、沙羅さんが私と付き合うはずないじゃないですか……!」 「どうして?」
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