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(4)
素の返しを受け、一瞬返答に窮してしまう。
何故なら、今の今までこの一言で周囲には納得してもらっていたからだ。
「どうして慧人は、小鳥ちゃんと付き合わないって言い切れるの?」
「え、え? それは」
「俺は、そんな風には思わないけどな~?」
ご飯を頬張りながら、柊さんは首を傾げる。
「むしろ、慧人の方が小鳥ちゃんを気に入ってるように思ってたよ。そんで俺のことは、要警戒人物と思ってるみたいな」
楽しげに笑う柊さんだったが、私はいまいち信じられずにいた。沙羅さんの言葉には、いつも曖昧な何かが漂っているから。
「ただ、さっきみたいな雑音がしんどいようなら、アイツはあまりお勧めしないな」
すっと周囲の温度が下がるのを感じた。
思わず柊さんを見てみると、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめている。
「アイツは会社の中でも外でも人を惹きつけちまう奴だからな。さっきの馬鹿女共みたいに、無駄口叩く奴もいるだろう」
「そう、ですね」
「はは、なんてな。こんなこと言ったってバレたら、俺も慧人に半殺しにされるかも……」
「でも、私は大丈夫です」
半ば無意識に出ていた言葉だった。
笑顔で告げたつもりだけど、もしかしたら少しだけ剥きになっていたのかもしれない。
「私、昔から男子に虐められてたんです。だから、そういうのには耐性がありますし!」
「え。小鳥ちゃんが? そんなに可愛いのに? ああそうか。好きな子ほど虐めたくなるってやつなのかな──、」
「そ、それにですね……!」
軽口を挟まれつつも、私は思いの外はっきりと先を続けた。
「沙羅さんはっ、私の人生初めての男友達なんです……!」
張り上げた声が、予想以上にレストランにこだましてしまったことに気付く。
かああっとみるみる顔が熱くなるのを感じ、俯いてしまう。
「わ、私が沙羅さんと釣り合わないってことは、十分わかっていますから。それでも私、沙羅さんが好きなんです」
少し目を丸くした柊さんに、私はむんっと意気込みを見せつけた。
「だからっ、これくらいへっちゃらです! 辛いことを言われたら今日のおやつのことを考えればいいし、資料が無くなればまた一から作り直せばいいですから!」
「資料?」
「う、あ、と、とりあえずっ! そんな訳なので、私のことなら大丈夫です……!」
まずい。思わず熱くなってしまった。
私は取り繕うように笑顔を浮かべながら、手持ちぶさたな手にメニュー表を取った。
「今日は朝から太陽サンサンで……仕事日和ですね! まだお腹に入りそうですし、何か甘いものでも食べようかなぁ……っ?」
「あ、それじゃこのパフェはどう? 前に俺食べたんだけど、後味がすっきりして美味しかったよ」
「あ、それじゃあこれにします。私、チョコレート大好きなので」
柊さんが勧めてくれたチョコレートコーヒーパフェで糖分補給を十分に終える。そしていつの間にか会計を済ませていたらしい柊さんとともに、私は会社に戻った。
「俺。小鳥ちゃんのこと本当に気に入っちゃったかも」
「へ?」
先に総務部があるフロアにたどり着き、エレベーターから降りる。奢ってもらったことで何度目かわからず頭を下げていると、頭上にぽつりと呟きが落とされた。
「またランチご一緒しようね。小鳥ちゃん」
柊さんが快活な笑顔にピースサインでエールを送ってくれた後、エレベーターの扉はゆっくりと閉まった。
「小鳥さんっ、お疲れさまですー!」
「うん。お疲れさまー!」
後輩達が「あまり無理しないでくださいね」と残してオフィスを後にした。
ふう、と一息吐いた私は、静まり返ったフロアを眺める。レコーダー起こしを終えた私は、午後からは翻訳作業に入っていた。戸塚さんの机から拝借した英和辞書を傍らに、黙々と目の前の英文を紐解き続ける。
時計を見上げた。まだ九時前か。
よし。このページを終わらせたら、コーヒーを淹れてこよう。
小さな楽しみで自分を奮起させ、再び私は作業に戻った。
……そして数時間後。
「う、い、いたたた……」
先ほどからぼんやりと感じていた違和感が、急に刺すような痛みに変わる。
私は走らせていたペンを置き、悲鳴を上げるお腹を押さえていた。何だろう。さっきからお腹が苦しい。
ひとまずお手洗いに、と席を立ち上がった途端、頭上から一気に血の気が引くのがわかった。ガタン、と派手な音を立てて床に座り込んでしまう。
それと同時に、嫌な予感を覚えた私はとっさに自分の鞄を漁った。
「こんな時に限って、ないか……」
ポーチに手を突っ込んだものの、見つかったのは鎮痛剤だけだった。絆創膏と一緒に、ナプキンも補充しておけば良かった……!
心の中で嘆くものの、ひとまず薬を飲まなければ。重い身体をどうにか起こし、私は給湯室に向かって足を進めていく。
しかし、通路に出たと同時に、再び鋭い痛みが襲ってくる。縋るように再び周囲を見渡すも、総務と経理しか入っていないこのフロアには誰も残っていない。力が入らず、再び私は床に腰を落とした。
「小鳥さん?」
微かに耳鳴りが混じる耳に、うっすら届いたのはあの人の声だった。
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