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(5)
「薬を飲みたいので、お水をもらえますか……?」
「はい。すぐに」
「あと……本当に、本当に申し訳ない限りなんですが」
「はい」
「コンビニで……生理用ナプキンを買ってきてくれませんでしょうか……?」
ああああ。消えて無くなりたい。
沙羅さんのお陰で、その後の処置は滞り無く完了した。ただし、沙羅さんに負担させた事柄を踏まえると、本当に溶けて消えてどこかに撒かれたい思いだった。
「気にしなくて大丈夫ですよ。小鳥さんはもうしばらくそのまま休んで下さい」
「はい……」
宥めるように告げる沙羅さんに、素直に頷く。
手持ちのナプキンが切れてるときに生理になるなんて、完全に不注意だった。
よりによって、沙羅さんにナプキンのお遣いまでさせてしまうなんて……!
休憩室で横たわる私に、沙羅さんは笑顔を向けてくれる。情けないやら申し訳ないやらで、貧血とは別に気が遠くなりそうだ。
「顔色もだいぶ良くなったみたいですね」
「あ、はは。本当に、ありがとうございます。薬を飲めば、私の生理痛は結構簡単に収まるので……っ、あ!」
直接的な会話をしてしまったことに気付き、ぱっと口を塞ぐ。そんな私を見て、沙羅さんはふふっと小さく肩を揺らした。
不意に沙羅さんが背負った窓の向こうに、静かに浮かぶ満月に気付いた。
雲の影もなく白い明かりを放つその月は、やはりどこか沙羅さんに似ている。
「あ、あの……そういえば沙羅さん、こんな時間にどうして総務部に?」
うるさい鼓動が伝わってしまうのではないかと思った私は、頭の引き出しから引っ張りだした話題で間を持たせようとする。
「小鳥さんが、呼んでいる気がしたので」
そしてその間は、ほんの数秒しか持たなかった。月を背負ってそう告げる沙羅さんに、私の胸が再び加速を始める。
「というのは、半分冗談で」
「え……えっ?」
「今夜は、久しぶりの星空だったので」
星、空?
「あ!」
そうだ。今日は何日か振りの、雲ひとつ無い星の夜。沙羅さんと、屋上での逢瀬の約束をした夜だった。
「す、すみません! 本当に、私……っ!」
「いいんですよ。ただ、貴女がまた無理をしているんじゃないのか気になったんです」
「さ、沙羅さん」
「今日はもう帰って休んだ方がいいですね。家まで送りますよ」
さらりと告げられた提案に、私は思わず頷きかけた。しかしすぐさま首を振った向きは、縦ではなく横だった。
「だ、大丈夫です。もう薬も効いてきましたからっ。後は白湯とカイロで身体を冷やさなければ──、」
「駄目です。まだ顔色も悪いですし、このまま続けたらまた悪化するでしょう」
宥めながらもどこか強い口調だった。でも、ここで手を止めたらきっと作業が間に合わない。
「大切な仕事が残ってるんです。本当に駄目だと思ったらタクシーで帰りますから……っ」
「そんな顔色の貴女を残して帰るなんて出来ません」
「沙羅さん……お願いします。無理はしませんから!」
「小鳥さん」
「戸塚さんと約束したんです!」
喉奥から混み上がってきた熱いものに、私はぐっと堪えて蓋をした。
「戸塚さんと、約束したんです。大切な先輩です。新婚旅行中なんです。私、先輩に言ったんですよ。後のことは、任せて下さいって」
堰を切ったようにこぼれ落ちていく言葉に、沙羅さんはただ黙っていた。
助けてもらったのに、これ以上困らせるなんて最悪だ。呆れられたかもしれない。
それでも、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「だから、このまま作業は続けます。本当に、すみません……っ」
「……意外と頑固者ですね。小鳥さんは」
静かに告げられた言葉に、ズキンと胸が痛む。俯いていた私は膝の上で拳を作った。
「俺と同じです」
「え?」
「わかりました。それでは、こうしましょう」
有無をいわさず話を進める沙羅さんが、殊更分かりやすい笑顔をこちらに向ける。
「俺も貴女の仕事に付き合いますよ。小鳥さん」
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