第8話 沙羅さんは私の初恋の人

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第8話 沙羅さんは私の初恋の人

(1) 「堀井さん! 良ければその資料、俺が半分持ちますよ」 「へ?」  手持ちの資料で半分ふさがっていた視界が、ぱっと一気に広がった。隣には、資料を代わりに持ってくれている男の子。 「これはどこまで持っていけばいいですか?」 「あ、わざわざすみません。それは十七階の小会議室まで……!」  最近、こうして社内の人から声をかけられることが少し増えた。この人は、確か今年入社の子だったか。  きっと今回のプロジェクトがきっかけで、私の名も覚えてくれたんだろう。運んでくれたことにお礼を言うと、短く首を振って彼は去っていった。  インタビュー本番に向け、プロジェクトチーム内は慌ただしくなりつつあった。 「小鳥ちゃん、製作会社の担当者にこれをFAXしてもらってもいい?」 「斎藤さん宛ですね? わかりました。すぐに送ります」 「小鳥ちゃん。インタビュー内容に変更があったから、資料を集めてもらえるかな!?」 「わかりました。提出は明日の朝でも良いですか? 戸塚さん」 「柊さん、そろそろ出ますよ! 小鳥、先方から連絡が来たら携帯に連絡ちょうだい!」 「了解だよー! 昨日のメールで集合場所が変更になってるから間違えないようにね!」  目まぐるしく飛び交う情報をせっせと収集して、共有データ内に全て整理していく。  私は基本的に会社に残って連絡を受ける役割を任されていた。そのため、業務もほとんどデスクワークを占めている。 「小鳥さん、今戻りました」 「はい。お帰りなさい、沙羅さん」  だからだろうか。人生初の恋心から、私はどうにかうまく目を背ける術を育みつつある。  今回のプロジェクトはどうやらいろんな意味で、今までと違う世界を見せてくれるようだ。 「──よぉ~しっ! これで明日からの取材準備は万端だな!」  段取りから資料に至るまで全ての確認を終えた後、柊さんが机をばんと両手で弾いた。 「ですね。明日は屋外取材が中心にですけど、天気も終日晴れているみたいですし!」 「二日目のインタビューの下準備もばっちりですよ」  柚も戸塚さんも少しの疲れを滲ませつつも元気に返答をする。  始終和やかな空気で幕を閉じかけた会合に、「あれ?」と柊さんの言葉がこぼれる。 「小鳥ちゃん、何か表情固い?」 「う、へっ!?」  柊さんからのストレートな指摘に、肩をビクッと震わせる。 「だ、だだだっ、大丈夫です! 問題ないです、大丈夫……です?」 「あっはっは! 初めての大型案件だからなぁ~、緊張するのも無理ないか!」 「小鳥、ほら、息を大きく吸って~吐いて~」  柚に促されるままに、深呼吸を繰り返す。まだ少し力が抜け切れていない気がする。  途端、ぽんと頭に温かな感触が落ちてきたのがわかった。 「大丈夫ですよ。何かあったとしても、俺が何とかしますから」 「さ、沙羅さん……っ」 「ですから、安心して下さい」  柔らかく向けられた微笑みに、凝り固まった心がじんわりと解されていく。 「よっしゃ! それじゃ今夜は、早めに帰って早めに眠ること! 明日は朝早いぞー?」 「柊チーフが一番心配ですけどねぇ?」 「柚ちゃん駄目だよー。本当のこと言ったら」 「ちょっ、柚ちゃんに戸塚ちゃん!? いつからそんな辛辣に!」  女性陣にからかわれて嘆く柊さんの姿に、笑みがこぼれる。最初こそ手探り状態だったプロジェクトチームも、いつの間にか心地良い関係性が築かれていた。いつもいじられ役にある一方でリーダーシップを失わない柊さんに、柚と戸塚さんの安定の突っ込みが飛ぶ。  そして光景を眺めながらいつも通り、机周りを片づけていた私だったが──。 「──」  素早く耳元に近付いた囁きに、ぴたりと動きを止めた。 「小鳥ー。そろそろ帰らない?」 「ご、ごめん! まだちょっとだけやりたことがあって……先に帰ってもらって良いっ?」 「ええ? 何さ~またぁ?」 「まあまあ。前日なんだしあまり根詰めすぎないようにね、小鳥ちゃん」 「ごめんね柚! お疲れ様です、戸塚さん!」  手を振る二人に頭を下げ、私はそっと小会議室を後にした。
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