第8話 沙羅さんは私の初恋の人

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(3) 「主演の逢坂(おうさか)哲史(てつし)です。二日間どうぞ宜しくお願いします」 「はじめまして、朝比奈(あさひな)恵(めぐみ)です。この度はどうぞ宜しくお願いします!」  自己紹介されるまでもなく、周囲の人間とは一線も二線も画しているその人物二人は、ブラウン管の中で見る何倍もオーラが漂っていた。 「っっきゃ~~~~っっ! 逢坂さんマジで格好良いわぁ! 痺れる! こんな人の写真を収められるなんて幸せ! 結婚してから何か大人の男的フェロモンもわんさと滲み出てるもんねぇぇぇ!?」 「朝比奈さんも顔ちっさー……さすが今を輝く美人女優だわぁ」  私の肩を超高速で叩きながら小声で大声を上げるという妙技を見せる柚と、感嘆のため息をもらす戸塚さん。  逢坂さんは主演を張るのが今回七度目で、八年前結婚してからは初の主演映画。そのため今回の映画はファンの間でも大注目されている。物腰柔らかそうな印象を与えるも、目があった瞬間すっと細められる瞳はとても強く、思わずドキッとしてしまった。  朝比奈さんは幼少期から着実にキャリアを積んできた実力派。外見はあんなに大人っぽいけど確かまだ二十二歳で、男女ともにファンが多く去年のCM女王に輝いている。 「今回指揮させていただく柊です。こちらこそ、どうぞ宜しくお願いします! あとは日下部先生なんですが、うちの者が迎えに上がっているのでもうすぐ……、」 「お待たせしました」  う。来た。  投じられた声の主に全員が振り返る。  すると以前と同様、和服姿の金髪が燦然と姿を現した。もちろん、彼が寵愛する沙羅さんを傍らに率いて。 「日下部です。この度はどうぞ宜しく」  沙羅さんの後に姿を見せた日下部先生が、恭しく頭を下げる。それに合わせ、周囲の人たちもこうべを垂れた。  私にはその価値すら計り知れない荘厳な着物に、さらさらと風になびく金髪。日下部先生と沙羅さんのツーショットは、まさに先の二人に勝るとも劣らない。  以前目の当たりにした清々しいまでの喜怒哀楽はすっかりなりを潜め、原作者たる文豪にふさわしい静かで美しい微笑みをたたえている。二重人格の最たるものを目の当たりにし目を瞬かせている私に、視線がぱちっと交わされた。  何故お前がここにいやがる? 威圧感溢れる一言が脳味噌に直接届けられた気がして、ぶるりと身震いが起こった。 「それじゃ、さっそく撮影場所に移動しましょうか!」  手慣れた様子で指揮をとる柊さんが、笑顔で声を張る。 「今日は天気も良好ですし、予定通りの順で回っていきます! 何かご質問は──、あれ?」 「柊さん、どうかしましたかっ?」 「いや、気のせいかなぁ? 今さっき、その辺に小さい子供が居たような……」 「え?」 「──Hey,Taiga! Come over here!」  突如その場に響いたネイチャーイングリッシュに、誰もがぽかんと呆気にとられた。 “タイガ、こっちに来なさい”?  次の瞬間、私の後ろから一人の男の子が顔を出した。見た目からして五,六歳だろうか。  少し不機嫌そうに唇を尖らせながら、渋々と言った具合に歩いていく。たどり着いた先は、主演の逢坂さんの元だった。 「I told you to wait in the car,didn't I?」 「……I've got nothing to do.」  逢坂さんの言葉に、自分の靴先を睨み付けながら答える少年。 「ええっと~……逢坂さん、そのお子さんは?」 「ご迷惑をおかけしてすみません。自分の息子です」 「へっ?」  間の抜けた柊さんの言葉に反応して、生意気そうに向けられるグレーの瞳。  ああ、これはまた。  どうやら早速、予定外の問題が舞い降りてきたようです。  逢瀬哲史は八年前にアメリカの一般女性と結婚し、以後アメリカに居住していた。  今回の来日では、仕事の合間の時を妻と幼い子どもの三人で過ごすのが逢坂さんの当初の予定。 「……の、はずだったんですが」  移動中の車内で話を聞いていた私たちに、逢坂さんは困ったように笑ってみせた。 「日本に着いた翌日、移動疲れもあって妻が突然体調を崩しまして。念のため病院で診察を受けることに」 「えっ」  思わぬ言葉に私は小さく声を上げた。  今移動中のこの車には、私の他逢坂さんとマネージャーの方、柊さんに加え、息子のタイガ君の五人が乗っている。 「そ、それで奥様は……っ?」 「いつもの持病なので心配はありません。ただ、あんまり急なことだったので子どもを預ける先が定まらなくて」  逢坂さんが説明する間中、隣でじっと車の外を眺める息子のタイガ君。その頭を愛おしげに撫でる逢坂さんに、自然と笑みが浮かぶ。 「急なことで本当に申し訳ありません。皆さんの邪魔をしないようマネージャーに世話を頼みたいところなんですが、これはどうも子どもが苦手で。事務所の方に掛け合っているんですがどうも人手がないと」 「私たちは全く構いませんよ! 息子さんには退屈させてしまうかも知れませんけどね」  柊さんはそう快諾すると、外を向きっぱなしだったタイガ君の肩をぽんと叩く。 「何かあったらおじさんに言ってな。タイガ君!」  言いながらにこりと笑顔を向ける柊さんに、タイガ君はすぐさまぷいっと顔を逸らす。不発に終わった柊さんは、「あれぇ~?」と大げさに首を傾げていた。  それにすら反応を示さず向こう側から来る汽車に視線を馳せているタイガ君に代わり、逢坂さんが慌てて間を持たす。 「すみません。タイガは人見知りで。それと日本語が……、」 「──Do you like trains,boy?(汽車が好きなの?)」  先ほどよりもはっきりと反応を示したタイガ君に、私はにこりと笑みを向けた。  下調べした逢坂さんの情報にあった。息子のタイガ君は日本に来たことはなく、向こうでの生活では英語を用いていると。 「My brother liked trains,too. He had a lot of train's toys in his childfood.(私のお兄さんも好きだったよ。子どもの頃はたくさんおもちゃを持っててね)」 「……I have,too.(俺も持ってる)」 「Oh! So have you heard this song?(そうなの。それじゃ、この歌は聴いたことある?)」  そして続けた歌は“I've Been Working on the Railroad”。米国の子どもならまず知っているであろう鉄道の民謡だった。  しばらく歌っていた私の声に続くようにタイガ君の歌声も重なり、私は笑顔を浮かべる。 「Great!」  するとリラックスできたのか、タイガ君の表情にもやや誇らしげな色が滲みだした。  お母さんが検査でお父さんが仕事で、その上周りが異国語だらけ。不安で固くなるのは当たり前だ。 「Please call me Kotori. If you want any help,please let me know any time.(私のことは“小鳥”って呼んでね。何か困ったことがあったら遠慮なく言って?)」 「……I got it.(わかった)」  少し戸惑いをみせつつも、返してくれた言葉にほっと胸をなで下ろす。これでタイガ君の心細さも緩和できるだろう。母親が病に伏した時の心許なさは、自分にはよくわかる。 「Don't you feel cold? Here is close to sea...(寒くない? ここは海に近いから)」  口にしかけた言葉は、しかし最後まで紡がれることはなかった。 「ええっと……?」  二人の男性の真っ直ぐな視線が自分を射抜き、久しぶりに男性に対する躊躇が背中を走ったのだ。
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