第9話 沙羅さんは危険な御人?

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(3) 「あ! 小鳥、やっと帰ってきた!」  買い出しを済ませてきた私たちを出迎えたのは、何やら酷く慌てた様子の柚だった。 「ど、どどど、どうしたの柚っ? そんなに時間かかっちゃったかなぁ!?」 「……なに挙動不審になってんのよ、アンタ」 「ないないない! それより何? 何かあったのっ!?」  しゅばばっと手を横に振り回す私に探るような視線を送る柚。それに数秒笑顔で耐えてみせると、「まあいいや」と肩をすくめた。 「ちょっと来てほしいの。いや、私も状況がいまいちわからないんだけど」 「え」 「タイガ君がね。何だかちょっと、ヘソを曲げちゃったみたいでさ」 「柊さん!」 「お! 小鳥ちゃん、来たかぁ!」  示された場所には、数人の人だかりができていた。その中には困り顔の柊さんと、扉に手を当てたままの逢坂さんの姿もある。 「タ、タイガ君が、どこかの教室に閉じこもったきりだって聞いて……!」 「ああ、この更衣室に閉じこもっちまってなぁ。小鳥ちゃんが来れば、何とかなるかと」 「タイガ君? そこは暑いでしょ? 怒らないから出ておいで? ね?」  事情を聞いていた中、閉じこもったタイガ君を宥める声がする。その声の主は、扉の向こうに憂いの視線を送る朝比奈さんだった。  そんな彼女に、逢坂さんが申し訳なさそうに眉を下げる。 「申し訳ない朝比奈さん。君は先に君のカットを終わらせてきてくれないか。ここで固まっていてはスケジュールに支障が出かねない」 「そうよ恵。この女スタッフに後を任せて、貴女は仕事に戻りなさい」  いつの間にか背後に現れていた朝比奈さんの母親に、びくりと肩が震える。ごく自然に“この女スタッフ”と形容された私に、朝比奈さんが詫びの視線を向けてくれた。 「で、でも、元はといえば私のせいでもありますし」  朝比奈さんのせい?  眉を寄せながら苦しげに呟く朝比奈さんに、周りのスタッフが慌てたように否定する。柊さんは、声を潜めて説明してくれた。 「さっきまで逢坂さんと朝比奈さんの二ショットを続けざまに撮っててな。それを見てタイガ君、怒っちまったみたいなんだ」  確かタイガ君は、この旧校舎着いてすぐ寝入ってしまって、撮影班の片隅で寝かしつけていたはずだった。それが、いつの間にか起きてしまったのか。  この校舎で撮影する予定だったものは、海で撮影したものより遙かに二人の親密さが深いものだ。年端もいかない子どもが、母親と違う女性と父親の仲睦まじい姿を目にして、何も思わないはずがない。しかも、等の母親は今病院で療養中なのだ。 「私も、呼びかけてみます……!」  寝入ってしまったとはいえ、小さな子どもから目を離すなんてやっぱり間違いだった。  罪悪感に胸を重くしながら人だかりを割って入っていこうとした──その時だった。 「Shut up,old batleaxe!」  扉の向こうから響いた少年の声に、一同は目を剥いた。それにいち早く反応した朝比奈さんが、再び扉をノックしながら声をかける。 「タイガ君ごめんね! 貴方が嫌がることはしないから、お願いだから出てきて……!」 「Don't say things you don't mean! Drop dead!」 「Taiga!」  地が震えるような恫喝だった。  ふう、と短く息をつき、逢坂さんがゆっくり扉に歩みを寄せる。自然と身を引いた朝比奈さんを後ろによけ、逢坂さんはそっと扉に手をついた。 「……Don't you forget the promise with your mother?」 「……」 「Come out of the room at once,Taiga.」  やっぱり、逢坂さんは父親だ。  あれだけスタッフの人たちも声をかけても動く気配もなかった扉が、逢坂さんの言葉ひとつでガタンと音をたてる。  一際重く開かれたそこにはタイガ君が居て、私は詰めていた息をほっと吐き出した。 「よかった……タイガ君」 「……Kotori,」  思わずこぼれた言葉に、タイガ君がぴくりと反応する。しかしながら逢坂さんが一歩タイガ君に近付くと、その瞳は再び反抗的なものに変わってしまった。 「息子がお騒がせして、本当に申し訳ありませんでした。すぐ撮影に戻りますので、皆さん先に進めて頂けますか」  短く息をついた逢坂さんが、周囲に集まっていたみんなに向けて頭を下げる。その姿は酷く低姿勢でいながら、有無を言わせない強い意志をはらんでいた。 「わかりました! それじゃ朝比奈さんの撮影を先に開始しましょうか。場所は確か……」  いち早く空気を呼んだ柊さんの計らいに、スタッフ一同が揃ってその場を後にする。  ここから先は家族の会話だ。他人が残るのは野暮だろう。母親に促され、朝比奈さんも後ろ髪引かれる様子で撮影に戻っていく。  私も、撮影に戻らなくちゃならない。けれど、無言のまま対峙する親子の姿に、何故かうまく足が動いてくれなかった。  タイガ君の瞳が、まるでガラス玉みたいだ。 「Taiga,where on earth did you get such a phrase?」 「……」 「Do you hear me?」 「……You are a liar,dad.」  灰色のガラス玉が、父親を吸い込んでいく。 「I hate you,──from the bottom of my heart.」  あんたなんか嫌いだよ、父さん。心の底から。 「タイガ君!」  どう考えても場違いなのは私だ。それでも口を出さずにはいられなかった。  逢坂さんの横顔が、冷たく強ばっている。父の表情を見止めたタイガ君もまた、自分の言葉に傷ついたみたいに顔を歪めた。 「っ、あ、タイガく……っ」  逃げるように廊下を駆けだしたタイガ君を、慌てて追いかけようとする。しかしながら、立ち尽くしたままの逢坂さんもそのままに出来ず、私は半端に足を止めた。 「すっげぇなぁ、本当」 「え?」 「世のお父さんは、こういうときも平然と子どもに向かわなくちゃならねぇのか」  思わず目を瞬かせる。そのくだけた口調はいつもの逢坂さんとは別人のようだった。 「君にも世話をかけちまうな。堀井さん」 「い、いえ! 私はそんなっ」 「俺はどうやら、あいつの親を名乗る資格はないらしい」  瞼を閉じた逢坂さんは、ゆっくりと瞳を開けきびすを返した。それがタイガ君の向かった方向とは反対で、私は慌てて声をかける。 「タイガ君のこと、追わないんですか?」 「今話しても、きっとこじれるだけです」  それは、そうかもしれないけれど。あっさり切り替えた様子の逢坂さんに、思わず眉が寄る。 「あいつには貴女がついていて下さい。その方がきっと、あいつも安心する」  有無を言わせずに背中を向けた逢坂さんは、撮影場所に戻っていった。
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