第9話 沙羅さんは危険な御人?

5/5
前へ
/58ページ
次へ
(5) 「え、沙羅さんが、私を探しに!?」  撮影場所に戻った私が耳にしたのは、思わぬ知らせだった。 「朝比奈さんの撮影が終わった後にね。なかなかあんたが帰ってこないって言ったら、探してくるって」 「その様子だと、綺麗にすれ違っちゃったみたいだねー」  う。だからさっきから、日下部先生の刺すような憎悪の視線が……!  柚と戸塚さんに説明を受けながら、傍らから飛んでくる鋭いオーラにたじろぐ。  今日の先生は笑顔こそ保たれているが、周囲のスタッフも不穏なものを察してさりげなく先生との距離を取っていた。 「柚、ちょっとタイガ君を見ててもらっていい? 私、沙羅さんを探してくるよ」 「だね。どうせあんたたち、さっきの買い出しで何かあったんでしょ?」 「う……え。ええっ!?」 「え? 買い出し? 何それ何のことっ?」と瞳を煌めかせる戸塚さんの横で、柚がにんまりと笑みを濃くした。 「さっき車から降りてきたアンタの様子、見るからに怪しかったもんねぇ~?」 「そ、そそ、そんなことっ!」 「沙羅さんも何だか機嫌良さそうだったしさ。意外とわかりやすいよね、あの人も」 「え?」  認識とかけ離れた柚の言葉に、首を傾げる。 「と、とりあえず行ってくるよ。タイガ君、ちょっとここで……」 「Be careful,Kotori(気を付けろよ、小鳥)」 「え?」  つぶらな瞳が、念押しするように私を貫く。 「It's OK. I'll be back soon(大丈夫。すぐに戻るから)」  言葉の真意に気付かないまま、彼の頭をぽんぽんと撫でた私は、再び撮影所を後にした。  廊下を小走りしながら、ひとまず先ほどタイガ君が閉じこもっていた更衣室に向かう。とはいえ、何となくその足取りは重たかった。  沙羅さんを見つけた後、私はちゃんと自然にお話する事ができるのだろうか。  先ほどの車の中での出来事が、いまだに頭にこびりついたまま離れない。 (今俺は、本気で小鳥さんにキスをしようとしていましたから)  リフレインした台詞に、心臓の奥がぎゅうっと締め付けられる。  じわじわと顔に集まる熱に打ち勝てず、私は階段の手すりにへたりともたれかかった。  沙羅さんは、一体何であんなことを?  理由なくあんなことをする人じゃない。でも、その理由が全く思い当たらなくて……。 (俺も好きですよ)  その瞬間、以前彼から告げれられた言葉が頭をよぎり、心臓が一際大きくうち震えた。 「……!?」  うそ。衝動的に上げそうになる声を塞ぐように、とっさに口を手で覆う。  動揺で、思わず階段を踏み外しそうになる。細くため息をついた私は、そのままその場にしゃがみ込んでしまった。  ああ、もう駄目だ。  曖昧な期待と確信のない喜び。何度もかぶりを振るも、1度溢れだした感情はなかなか抑えることができなかった。  沙羅さんが……私のことを、なんて。 「なかなか見つかりませんね。堀井さん」 「ええ」 「──!?」  突然耳に届いた誰かの会話に、肩を大きく震わせた。階段の手すり脇に身を屈めたまま、そっと声のする方向に顔を出す。 「逢坂さんは堀井さんに任せたから大丈夫だと言ってましたけど……やっぱりタイガ君、私のことを許せていないのかも」 「貴女のせいではありませんよ。それにタイガ君もきっと、お父さんの仕事は理解しているはずですから」 「そうだと、いいんですけど……」  廊下の向こうに並ぶのは、沙羅さんと朝比奈さんだ。彼女も探してくれていたなんて。 「堀井さんは、沙羅さんと親しいんですか?」  遠くから紡がれた質問に、はっと息をのむ。 「そうですね。部署は違いますが、親しくさせていただいています」 「同期、というわけではないんですか?」 「入社期は違います。俺が小鳥さんを知ったのは、もうずっと前ですけどね」  沙羅さんの言葉に、私は目を瞬かせた。  そういえば、屋上での逢瀬の約束をした時も彼は言っていた。私の歌声を聴いたのは、初めてではないと。  今考えれば、と小さな疑問が沸く。ついこの間まで、自分は総務課の目立たない仕事しかしていなかったのに、あの時沙羅さんは私の名前を淀みなく告げていた。  沙羅さんは、私の素性をいつ知ったのだろう。  思わぬ疑問に首を傾げた矢先、「それじゃあ」と朝比奈さんの声が続いた。 「沙羅さんと堀井さんは、その。お付き合いされているわけでは、ないんですね……?」  恥じらいを多分にはらんでいる。それでもひどく真剣な口調に、私の胸は一際大きな鼓動を打ちつけた。そっと階段の陰から視線を向ける。沙羅さんに凛と向き合う朝比奈さんは、とても綺麗だった。  もしかして、朝比奈さんも沙羅さんのことを……? 「残念ながら。小鳥さんと俺は、そういう関係ではありませんね」 「あ……、そうだったんですね」  安堵の笑顔を浮かべる朝比奈さんに、胸が掴まれたみたいに苦しくなる。沙羅さんの言うことは正しい。私たちは親しくしているものの、付き合っているわけじゃない。  それじゃあ、さっきの車でのことは何だったの?  じとりと滲んだ子どもみたいな感情に、自嘲してしまう。ああ、もう。頭がぐちゃぐちゃだ。落ち着け。落ち着いて。  今は友だちだとしても、私は自分の想いを伝えるって決めた。タイガ君と約束したんだから。 「沙羅さん……以前、好きな女性がいると言っていましたね。それはもしかして、堀井さんのことですか」 「朝比奈さん?」 「沙羅さんが堀井さんを見る目は、他の方とは違って見えます」  目の前の世界が、ぐらりと揺れるのを感じた。 「でもそれは、私の勘違いでしょうか……?」  何? 何を話しているの?  呆然としていて、気付けば私の身体は前のめりになりすぎていたらしい。 「それは勘違いです」  穏やかな回答に、胸にひやりとしたものが落ちてくる。 「小鳥さんは、あくまで友人ですよ」  その瞬間、沙羅さんと対峙する朝比奈さんの瞳は真っ直ぐに“私”を見据えていた。
/58ページ

最初のコメントを投稿しよう!

360人が本棚に入れています
本棚に追加