第10話 沙羅さんは私の想い人

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第10話 沙羅さんは私の想い人

(1)  小鳥さんは、あくまで友人ですよ。  人生で初めての恋心は、言葉にする前に胸の奥で崩れ落ちてしまった。 「それで? いったい何がどうなってんの」  赤いカクテルを喉に流し込んだ柚は、目の前の私にずいっと迫ってきた。 「柚ちゃーん。明日も取材があるんだから、あまり飲み過ぎちゃ駄目だよ?」 「大丈夫です戸塚さん。私、お酒はザルなんで」  戸塚さんにぐっと親指を立てる柚に、私は力なく笑みを浮かべる。とはいえ、ちゃんと笑えているのかももうわからなかった。  一日目の取材は、最終的にスケジュール通り終了した。  会社に戻った後、柚と戸塚さんにより強制的に連行された先は、雰囲気の良いレストラン。連行された際の名目は「取材一日目お疲れさま女子会」ということだったが。 「ん・で! 小鳥は何があったっていうの。主に沙羅さんとの間で!」  今回は逃がさない、という柚の気迫はまさに本物だった。思わずたじろぐ私に、戸塚さんも眉を下げて微笑む。 「話を聞くのは明日にしようと思ったんだけどね。小鳥ちゃん、何だか辛そうだったから」 「顔に、出てましたか」  自分の不甲斐なさにますます自己嫌悪が募る。こんなことじゃ、明日は日下部先生に本当に切り捨てられるかもしれない。 「うーん。仕事自体は完璧だったんだけどね。なんというかまるで……」 「感情が無かったね。笑ってはいたから、先方には気付かれてなかったよ」 「私ははっきりわかったけど」ため息混じりに柚が告げた。 「アンタが一人で頑張ろうっていうなら、私もただ見守ろうと思ったけどさ」  遊ばせていた空のグラスが、そっと下ろされる。 「そんないっぱいいっぱいな笑顔をされてちゃあ、それも限界なんですよ。親友として」  優しい指先で、つんと額をつつかれる。  まるでそれがスイッチだったみたいに、私の瞳からはポロポロと涙がこぼれ落ちた。  だって、知らなかったから。失恋がこんなに辛いものだなんて。しゃくりあげながら、私はぽつりぽつりとこれまでのことを話していった。二人は口を挟むことなく、私の泣き言に付き合ってくれる。  背中を宥めるように撫でる柚の手が、やけに温かかった。 「おはようございます。沙羅さん、柊さん」 「おはようございます、小鳥さん」 「おー! 今日も頑張ろうなぁ~!」  沙羅さんと柊さんがなんの違和感無く返答してくれたことに、私はほっと胸をなで下ろした。  昨夜柚に言われて、家でも出来る限り目を擦らず、冷やしたタオルを一晩中まぶたの上に乗せて置いた。お陰でどうやら、昨夜の泣き痕は残らなかったようだ。  今日の取材は、主にインタビュー中心のスケジュールだ。市内のホテルにて、映画の製作スタッフの個人インタビューから集団の対談までを行っていく。  そのため、先方にはかなりの拘束時間を頂くわけで、内容の質とともに求められるのはスピード感だ。 「さてさて! 今日のインタビュアーの諸君。各々資料は手元にあるかなー!?」  はつらつとした笑顔の柊さんに、私たちは揃って返事をした。  午前は出演者の逢坂さんと朝比奈さん、監督の中谷さん、原作者の日下部先生の計四人を個別に取材することになっている。  中谷さんは顔なじみのある柊さん、逢坂さんはベテランの戸塚さん、日下部先生はもちろん沙羅さん。 「小鳥ちゃん、リラックスリラックス! いつも通りに会話する感じで問題ないから!」 「あ、は、はい……!」  そして私は──よりによって朝比奈さんの担当をするわけだ。  沙羅さんとの会話を立ち聞きしてしまったあの時、私は確かに朝比奈さんと目が合った。  あの後は何もなくお互い仕事に戻ったけれど、やっぱり立ち聞きしてしまったことは一言謝るべきかもしれない。  でも、話題を蒸し返すようなこともそれはそれで良くないような気もするし。 「大丈夫ですよ。小鳥さん」  ふわりと撫でるような声に、私は小さく息をのんだ。 「万一問題が起こった場合は、俺を呼んでください」 「……ありがとうございます、沙羅さん」  口元をあげた私は、伸びてきそうに思えた彼の手をそっと避けた。 「でも、きっと大丈夫です。これでも私、隠れ編集部の一員ですから!」  そうだ。きっと大丈夫。いつになるかはわからないけれど、時間がたてばきっと、この想いにだってエンドマークを付けられるから。 「俺は、このどチビから取材を受けてみたい」  ところがどっこい。  唯我独尊の原作者様が摩訶不思議なことを言い出したせいで、私の心中は瞬く間に大荒れ模様になった。 「ええっと。日下部先生のインタビュアーには、いつも通り沙羅をと考えておりましたが」  インタビュー前の挨拶周り。いの一番に訪れた原作者・日下部悟先生の控え室で、我が社のメンバーはそろって目を丸くした。  宥めるように告げる柊さんに、日下部先生は眉一つ動かさず視線を向ける。 「沙羅君には、映画関連がひと段落ついたら改めて食事に誘わせてもらう」  決定事項のように言い放つ日下部先生に、沙羅さんは無言で笑顔をたたえる。 「今日は、このチビからインタビューを受ける。他は受けん」  これは一体……?  あんまり予想外な展開に、私たちは呆然と立ち尽くす。映画関係者の前では終始よそ行きの顔だった日下部先生も、自身のみの控え室では優雅に足を組んでいた。  そんな先生が、最終的に視線でさくっと突き刺したのは、誰でもない私だった。 「いろいろと聞きたいことがあるだろうからな。お互いに」  末尾にぽそりと付け加えられた言葉は、私にしか届かなかったらしい。  蛇に睨まれた蛙の如く、私はひきつった笑みを浮かべたまま身動きをとることもかなわない。ああ、これって。  まさかの死刑宣告ですか……?
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