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(2)
鶴の一声でインタビュアー変更が決まった。
林プロ用控え室に1度戻った私たちは、急遽インタビュー内容の確認をし直す。
「小鳥……大丈夫? 突然あのクセ者先生のインタビューなんてさ」
「だ、大丈夫大丈夫!」
柚の心配そうな顔に、私はむりやり笑顔で応じた。逃げ場はない。大丈夫。きっとどうにかなるはず……!
「柊チーフ。すみません、少し抜けます」
その時、冷えきっていた私の手を包み込む温かな手に気づいた。
「さ、沙羅さん?」
「おー。時間前には戻るようにな!」
「わかりました。行きましょう、小鳥さん」
「え……え?」
快活に笑う柊さんと、その後ろで苦笑する柚と戸塚さん。三人に見送られた私は、沙羅さんに連れられて林プロ用控え室を後にした。
「さ、沙羅さん、あの……!」
「大丈夫ですよ。すぐそこですから」
優しく柔和な、沙羅さんの微笑み。
いつもと何も変わらない彼の様子に、ぎゅっと胸を掴まれる。息が苦しい。それでも私は、繋がれた好きな人の手をふりほどくなんて出来なかった。沙羅さんは廊下の先の扉をカードキーで開き、部屋の中を進んでいく。
「沙羅さん? この部屋は」
「見てください。窓の向こう」
一瞬息をのんだ私は、目の前に広がる光景に声を上げた。
もともと南向きのこのスイートルームは、午後からの合同対談で使う予定の部屋だ。大きな窓の外に、バルコニーが広々と備えられていることは知っていたけれど──。
「すごい、ヒマワリですか……!?」
日の光が降り注ぐバルコニーに置かれたテーブルとイス。それらに彩りを与えているのは溢れるほどのヒマワリの花だった。
昨日見たヒマワリ畑とはいかないまでも、原作でも印象深い花だっただけに顔が綻ぶ。
「よかった。いつもの小鳥さんですね」
「え?」
「昨日のことを、一度きちんと謝りたかったんです」
昨日のこと。そう形容される出来事が多すぎて、ぴたりとフリーズしてしまう。
夏風に吹かれ鼻孔をくすぐったヒマワリの香りに、その意味を確信した。
昨日の、車でのことを?
「昨日の俺の行動は、本当に軽率でした。小鳥さんを困らせてしまって、本当にすみませんでした」
「……」
本当ですよ。ぽつりと心の中でついた悪態は、弱々しい苦笑に変わる。
この恋が実らないのならせめて、沙羅さんの想いを応援できる友達に戻りたい。でも、まだそれは無理だから。
「もう、二度としちゃ駄目ですよ」
口を開いた私は、きちんと笑顔だったと思う。
「正直相手が沙羅さんじゃなかったら、どう考えても一一〇番の状況でしたからねっ」
「……はい。気を付けます」
眉を下げながら困ったように笑う沙羅さん。その長めの髪が、さらりと綺麗になびく。
これで、いいんだよね。
近い内に、沙羅さんの想いは相手の女性に伝わるのだろう。私と沙羅さんとのかかわり合いも少なくなるに違いない。そうなればきっと、『小鳥さん』と呼ばれることも──。
「沙羅さん、と、堀井さん?」
バルコニーに通じる窓から鈴の鳴るような声がかけられ、はっと我に返る。振り返るとそこには、大きな瞳を瞬かせる朝比奈さんの姿があった。
「朝比奈さん。どうしてここに?」
「すみません。インタビューの部屋がここだと聞いたんですが」
困惑ぎみに受け答えをする朝比奈さんは、今日もナチュラルなヘアメイクがよく似合っていた。
「ここの使用は午後からです。午前からのインタビューは、各々別室を用意していますよ」
「あ、そうでしたか。先ほどお母さん……いえ、マネージャーから聞いて、私のインタビュアーが沙羅さんに変更になったと」
「そうなんです。急で申し訳ありませんが、宜しくお願いします、朝比奈さん」
「いえ、こちらこそ宜しくお願いします」
「じゃあ俺たちもそろそろ行きましょうか。小鳥さん」
「……はい」
沙羅さんが先導する形で、私もバルコニーを後にした。
自然に彼の隣を歩く朝比奈さんは華やかな笑顔を浮かべていて、ひどく眩しかった。
私たちは今一度申し送りをすませ、個々の控え室から全員をフロアに案内した。
「小鳥」
「タイガ君」
父親である逢坂さんと少しの距離を挟んで、タイガ君がひょこりと姿を見せた。
他愛ない会話を交わしながら廊下を行く私たちだが、タイガ君の意識は逢坂さんの背中に向いているのがわかる。
まだ、逢坂さんと仲直りしてないみたいだな。心中で呟くと同時に、私も似たようなものだと自嘲をこぼした。
自分から言い出した約束だというのに、伝える前に終わってしまった恋。タイガ君に、なんて報告したらいいんだろう。
勝負を持ちかけた手前「俺の勝ちだな!」と得意になるだろうか。それとも、情けない結果で終わってしまったことを怒られてしまうかもしれない。
でもせめて──そう思いながら、タイガ君の頭をそっと撫でた。
「なんだよ、小鳥?」
「ううん。今日の取材も少し長いけれど、何かあったら遠慮なく言ってね」
「おう!」
少し生意気そうな瞳を細め、タイガ君はニカッと笑う。この笑顔が潰えてしまわないためにも。
どうかこの親子は、かけがえのない絆を取り戻せますように。
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