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(3)
十時から、各々の控え室内で個人インタビューがスタートした。
持ち時間は二時間で、それに見合った量のインタビュー内容になっていたはずだった。
「さて。これで、お前らからのインタビューは終わりだな?」
「……」
恐ろしいことになった。何の魔法か定かではないが、どう確認しても手元の資料に記載されたインタビュー事項はすべて綺麗に片づいている。
二人きりのホテルの一室で、日下部先生は嘲笑するように口元を上げ、私は言葉無く硬直した。
もともと、日下部先生はインタビュアー泣かせで有名な方だった。インタビュー内容にも自らの回答にも、全てにおいて完璧を要求し、ひとつのインタビュー項目に長い沈黙を置くことも多いという。
だからこそ、その扱いを心得ている沙羅さんを担当に、と考えられていたのだが──。
それじゃあどうして、十五分も時間が余ってる……?
「ふ。どうしてこんなにすんなりインタビューが終わったのか、とでも言いたげだな」
「うっ」
図星だった。でも、そう考えるのが自然だろう。
インタビュー直前になってインタビュー担当を不慣れな私に変更だなんて、いびって困らせるため以外考えられない。
テーブルの上に置かれたICレコーダーが、日下部先生の手により止められる。煌めく金髪の合間から注がれる視線に、私はぐっと息をのんだ。
「理由は二つ。一つ目は、沙羅君が前もって質問内容の確認を入念にしていたからだ。彼はいつも下準備に余念がないからな」
「は、はい」
「そして二つ目は」
すっと細められた瞳に、捕らわれたみたいに身体が固まる。ソファから腰を上げた日下部先生が、間髪入れずに手を伸ばした。
「質問してやることがあるのは、俺も同じだからだ。堀井小鳥」
強引に上に向けられた顎。鼻が付きそうなほどの至近距離に、心臓が大きく跳ね上がる。
「は……離して、くださ……っ」
「俺の質問を答えたらな」
静かに燃える激情が先生の瞳に見える。
「昨日俺は言ったな。俺の作品に関わるつもりなら半端は要らねぇと」
痛いところを突かれた私は、かすかに睫を揺らした。昨夜の戸塚さんとの会話で、ある程度安心はしていたのだけど。
やっぱり、日下部先生には見透かされていた?
「笑ってみろ」
「……」
はい?
「笑ってみせろ、と言っている」
謎の脅迫を受け、私はひきつり笑いを見せる。日下部先生は、何やら誇らしげな笑みを浮かべた。
「俺はな、いつも周囲に神経を巡らせている。どの素材が作品に活きるか分からないからだ」
いきなり何の話かわからなかったが、ひとまず頷いておく。
「昨日話して思った。お前は平凡な人間だ。だがまあ、見所がないわけではないとな」
「あ、ありがとう、ございます……?」
「だからお前の観察をしていた。すると途中から表情が無くなった。感情が無くなった、と言うべきか」
昨夜の柚の言葉とシンクロする。
「俺はこれと決めた素材は理解を突き詰めていく人間だ。さし当たり、お前という人間を」
さらり、と先生の着物がこすれる音がする。
「俺の素材になった以上、許可無く封をされるのは我慢ならねぇ」
「はい……?」
「お前に昨日起こった出来事を、洗いざらい吐け。でないと、俺の気がすまねぇんだよ」
まとわりついていた緊張感が解けていく。
つまり、知らずのうちに先生は“私”を今後の小説の素材にすることにしたと。その途端、私の様子が明らかに変わった。しかしながらその理由がわからない。
したがって、その理由とやらを今ここで説明しろ──そういうことだろうか。
なんて、自由な御方だろう。
でも、その自由さが今は酷く眩しい。
至近距離から睨まれている状況は変わらないにもかかわらず、私は徐々に口元が緩んでいくのを感じていた。
「わからねぇな。今のどこに笑う要素があった?」
「ふふ。さっきは笑えと仰っていたのに?」
「相手をビクビクさせている方が、俺の性に合ってるんだよ」
鬼畜なことをさらりと吐いた日下部先生は、遠慮なくちっと舌打ちした。
「先生は……私の恋バナに興味はありますか」
「昨日までは毛ほども興味がなかったが、今は聞いてやらねぇこともない」
すっと顎に添えられていた手が離れていく。
向かいのイスに再び腰を下ろした先生に、私は凪のような心地で微笑んだ。
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