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第11話 沙羅さんは私の想い人―2
(1)
「それで? いったい何がどうなってんの」
野菜ジュースを喉に流し込んだ柚は、昨夜同様、目の前の私にずいっと迫ってきた。
「ど、どどど、どうって……!?」
「あのね。それだけ目を泳がせといて、今更何を誤魔化そうとしてんのよ、アンタは」
「まあまあ柚ちゃん、落ち着いて」
ホテルのバイキングレストランでの昼食中。女子三人になった瞬間を見計らって、柚と戸塚さんが話を切り出した。
ちなみに同席の柊さんと沙羅さんは、食後のコーヒーを淹れに席を立っている。
「見てりゃあ分かるよ。馬鹿でも分かるよ。アンタが馬鹿正直ってことは」
「ば、ばかばか……」
「さっき一緒に帰ってきた小鳥ちゃんと沙羅さん、な~んか雰囲気違ったもんねぇ?」
昨夜と違い、二人はニヤニヤが止まらないらしい。迫りくるスクープ狙いの笑顔に、私は隠しようのないくらいに顔を熱くしていた。
今夜、沙羅さんに想いを伝えよう。そう決意して沙羅さんにも約束を取り付けた。
ただそれだけなのに、既に何かをやり遂げたみたいに高揚した心がどうにも収まらない。
浮かれた自分を振り払うように、私はブンブンとかぶりを振った。
「小鳥さん」
「うっひょあ!?」
軽く叩かれた肩と優しい囁きに、大きな奇声を上げる。そんな私に、沙羅さんは気にすることなく微笑みを浮かべた。
「驚かせましたね。どうぞ、コーヒーです」
「あ……ありがとう、ございます」
沙羅さんに淹れてもらったコーヒー、大切に飲まなくちゃ。そっとコーヒーをすすり両手でカップを包みこむ。
「美味しいです。このコーヒー」
「よかったです。とはいえ、小鳥さんの淹れるコーヒーには遠く及びませんけどね」
「そ、そんなことっ!」
慌てて首を振る私を、沙羅さんはただただ柔らかな眼差しで見つめていた。頬が熱くなるのを感じながら、少しずつコーヒーで喉を潤していった。
そんな私たちの様子を無言で眺めているいくつもの視線に、私はようやく気づく。
「うん。ひとまず、俺たちはお先に失礼しようか。柚ちゃん、戸塚ちゃん」
「そうですね」
「そうしましょうか」
「え……え?」
柊さんの突然の言葉に呼応するように、柚と戸塚さんが席を立つ。目を白黒させる私に、柚はちらっと振り返った。
「あとは、若い二人でごゆっくり」
いや、私と柚は同い年でしょ。突っ込む間もなく、にたりと笑う柚が機嫌良さげに背を向けてしまう。
結局私と沙羅さんと、湯気を立てたコーヒーたちがレストランの一席に取り残された。
「な、なん……ちょ、待っ」
「小鳥さん、落ち着いて」
「あ……」
笑みを浮かべる沙羅さんに、口をつぐむ。
「コーヒーコーナーの近くにクッキーもあったんです。良ければどうぞ」
「わあ……」
焼きたてらしいクッキーは、ほかほかとほんのり湯気が立っていた。差し出されたクッキーを、私はそっとつまみ上げる。
「美味しいです。コーヒーとよく合いますね」
「そうですね。俺もコーヒーを飲む時は、甘いお菓子が欲しい方なので」
「そう、なんですか?」
「実は甘党なんです。どうしてかそう見られないんですけどね」
どこか照れたようにも見える沙羅さんの表情に、胸がほんのり温かくなっていく。
男性で、仕事もできて、大人びた艶やかさをも兼ね備えている。そんな彼を見れば、自然と周囲も“甘党”というイメージは持ちづらくなってしまうのかもしれない。
「小鳥さん」
不意に、包み紙を持つ手が温もりに包まれた。沙羅さんの手だ。気づいた私は、思わず肩を震わせる。
「あ、あの、沙羅さ……っ」
「先ほどの……約束のことなんですが」
胸の鼓動が脳裏にまで鳴り響いた。勢いで押し切ってしまった自覚のある、あの約束。
やっぱり、約束はなしにしてほしい、とか?
「ああ、違います。約束を反故にするつもりは決してありません」
余程顔に出てしまっていたらしい。絶望に包まれた心が、その言葉で再び浮上した。
「小鳥さんは、話したいことがあるって言っていましたね」
「は、はは、はい……っ」
「俺も、小鳥さんにずっと話したかったことが──、」
「あ、いたいた。林プロさん!」
いつの間にか聞こえなくなっていた周囲の音が、急によみがえってくる。私は反射的に、沙羅さんに触れられていた手を引いた。
「中谷監督の部下の人ですね」
さっと席を立った沙羅さんに、私も慌ててそれに倣った。スタッフの人がバタバタとこちらに駆け寄ってくる。
「お食事中にすみません、今朝監督がそちらから頂いた打ち合わせ資料なんですが」
私が渡した資料?
「監督の担当箇所のページが抜け漏れていまして……監督が少々お怒り気味なんですよ」
「えっ」
告げられた言葉に、私は思考が凍り付いた。
「大変失礼いたしました。今すぐ、謝罪に向かわせていただきます」
「も、申し訳ございません……!」
私の隣で、沙羅さんが深々と頭を下げた。
資料作成は、沙羅さんの担当ではないのに──その言葉すら今は不要なものだと悟り、私も深く頭を下げる。
「行きましょう、小鳥さん」
「はいっ、今すぐ……っ」
え?
急いで鞄に手を伸ばした瞬間、不意に私は背後を振り返った。
「小鳥さん?」
「す、すみません。今行きます……!」
今のは気のせいだろうか。
確かに感じた妙な気配に首を傾げつつ、私はスタッフの人につれられ監督の元に走った。
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