第12話 沙羅さんは私の想い人―3

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(3) 「加世子さん。肩にゴミがついてましたよ」 「っ、し、失礼しました……!」  一回目の休憩時間を迎える。  日下部悟が過保護な女優の母親の肩から小さなゴミを取り上げると、その頬は分かりやすく赤らんだ。  愛想笑いで流して再び席に着く。悟られない小さなため息を吐くと、辺りに漂うヒマワリの香りが鼻孔をくすぐった。 「日下部先生」  瞼を閉ざしていた日下部が、その人物の声にだけは素直に反応する。 「何か飲み物はいかがですか。それか一度控え室にお戻りになられても結構ですが」 「いや。ヒマワリに囲まれながらの屋外インタビューも、なかなか斬新でいい」 「恐れ入ります」  いつも通りのそつない返答。しかしながらその対応が余りに完璧すぎるのは、午後のインタビューが始まってすぐにわかった。  そして、あの目障りなちびっ子があれから姿を見せない……か。  二十階のスイートルームのバルコニーで受けているインタビュー。順調に三分の一が終了し、始まった時分は眩しいくらいだった日差しが、緩やかに変わりつつある。  本当は、俺に構う時間も惜しいくらいなんだろうな。  それでも、日下部がこのベランダに居座る以上、彼もここに留まらざるを得ない。  ああ、本当に心地のいい風だ。自身の意地の悪さに気づきながら、日下部は今一度瞼を閉じた。    ◇◇◇  ようやく開いたのは、二十センチ程度の細い隙間だった。 「ふむ。意味がなかったか」  あんな隙間から逃げられるわけがない。出られたとしても落ちて無事でいられる高さじゃない。いや、わかってたんだけども。  爪先立ちをしていた椅子を降りた私は、そのままその椅子に腰を下ろした。  でも、ここでへこたれてはいられない。  タイガ君と逢坂さんと、アリスさんのためにも、家族がすれ違ったまま別れてしまうなんて、あってはならないから。  そうだよね? ママ。  気づけば私は、いつもの歌を口ずさんでいた。アメイジング・グレース。ママが大好きだった歌。  すぐにくじけてしまいそうになる自分自身を支えるように。    ◇◇◇ 「小鳥ちゃん……どこにいっちゃったの?」  周囲に誰もいないことを確認しつつ、戸塚はひどく情けない声を漏らした。  先ほど写真撮影のために入れ替わりでインタビューに戻った高梨からも、有力といえる情報は渡されていない。  午後からのインタビューもそろそろ半分が終わろうとしていた。  私の新婚旅行をふいにさせないために、小鳥ちゃんは一人ですごく頑張ってくれたんだよね。  ハワイから帰ったと同時に聞かされた、同じ部署の相川先輩の依願退職。誰からともなく理由を聞くと、どうも小鳥に頼んだ仕事の関係でトラブルを起こしたらしかった。  でも、あの件については結局、小鳥は何も話そうとしなかった。それが彼女なりの“引き継ぎ”だったのだろうと、心から詫びとともに感謝した。  いつか、彼女へ恩返しができたらと思っていたのに。 「今度は私も力になりたいよ。小鳥ちゃん」  大きなため息とともに、廊下の片隅でうなだれる。すると視線の先に、小さな何かが落ちていることに気づいた。  壊さないようにそっとすくい上げたそれを、戸塚は不思議そうに凝視した。    ◇◇◇ 「もうしばらくで、二回目の休憩に入るところかな」  十四時四十五分か。解放される十六時まで、あと一時間と十五分。 「まったく、インタビューにこうもばっちりバッティングするなんて……」  そこまで独りごちて、はっと目を見張った。  もしかして、犯人は最初からそれを狙ってた? 思い至った考えに心臓が嫌な音を立てるのがわかった。  だからインタビューの時間帯にスタッフの私を監禁したのか。それなら十六時に解放することにも、ある程度意味合いが見えてくる。  それじゃあタイガ君は完全に、私の巻き添えを受けて……。 「え?」  研ぎ澄まされていく思考の中で、かすかに鼻を掠める香りに気づいた。部屋中央のイスに座っていた私は、導かれるように窓の方へと歩みを向ける。  この、香りは。
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