夢の中の自分

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夢の中の自分

 ······深く。意識の底に深く落ちた時、その世界は少女の前に突然広がった。少女は飛竜の背に乗って空を飛翔していた。  一人では無い。飛竜に振り落とされない様に背中の産毛に必死にしがみついている少女の隣には、銀色の甲冑を纏った騎士が立っていた。  この揺れ動く飛竜の背中で、危なげなく立つこのバランス感覚に少女は驚嘆する。 「怖いか?ロシーラ」  騎士は長い前髪を吹き付ける強い風に揺らしながら、少女に優しく微笑みかける。ロシーラは歯をカタカタと震わしながら、必死に首を横に振った。 「怖くないわ。だってアーズス。貴方と一緒ですもの」  ロシーラの震える声に、アーズスは端正な顔をほころばせ頷いた。その時、二人の後方から獣の咆哮が轟いた。 「······追手が来たか」  アーズスとロシーラの乗る飛竜の後ろから 、別の飛竜が三体出現した。その三体の飛竜の背には、いずれも武装した兵士達が乗っていた。 「アーズス!私は大丈夫だから!もっと飛竜を早く飛ばして!」  ロシーラは黄色い長髪を振り乱し叫んだ。自分が原因で飛竜の速度が遅くなっている事に気付いた上での願いだったが、アーズスは微笑みながら腰の剣を抜くだけだった。  追手の三体の飛竜がロシーラ達に間近に迫って来た。その時、アーズスは飛竜の背を駆け出した。  驚愕するロシーラの静止を振り切って、アーズスは空高く跳躍した。そしてアーズスは、なんと追手の飛竜に飛び移った。  悲鳴混じりの叫び声を上げた兵士達をあざ笑うかの様に、アーズスは不敵に笑い手にした長剣を兵士達に振り下ろした。  ······スマホのバイブ音が、規則正しくその役目を果たしていた。麻丘あかねは右手を伸ばし、スマホのバイブを止めた。 「······素敵。昨晩の貴方もとても素敵だったわ。アーズス」  聞き様によっては、寝台の上から囁かれる男女の情事の感想の様に聞こえたが、囁いたのは、寝ぼけ眼と寝癖頭の少女の夢の感想だった。  麻丘あかねは、ベッドの上で暫く夢の余韻に浸っていた。あかねは高校生になってから、時折奇妙な夢を見る様になっていた。  その夢の世界は、剣と魔法。人間。魔族。魔物が存在する異世界だった。その世界では、あかねはロシーラと言う名の十九歳の女性だった。  十七歳のあかねより二つ年上だが、感覚的は現実と乖離する程の年の差では無かった。 ロシーラは黄色い長髪に細身の身体をしており、意思の強い瞳はその外見を数段魅力的にしていた。  ロシーラはある組織から追われていた。そして、そのロシーラを身を呈して守ってくれる騎士がいた。 「超格好いいわ。アーズス」  頭の寝癖を描きながら、あかねは怪しい笑いをベッドの上で浮かべていた。アーズスはロシーラより三つ年上。  細い黒髪に貴公子の様な顔立ち。胸が厚く 、手足は長く背も高い。剣の達人であり、ロシーラに降りかかる幾多の危機をその剣で乗り切ってきた。  そして何より、あかねがアーズスの一番気に入っている所は、右目の下にある小さなホクロだった。  もしこのホクロが無ければ完璧な美男子。だが、逆にその余計なホクロがあかねにとって堪らない美点に見えるのだった。  あかねは夢見心地から現実に意識を戻そうとした。肩までの髪を後ろで縛り、見慣れた紺の制服に着替え、二階から一階に降りて行く。 「おはよう。あかね。ちゃんと仏壇に手を合わせなさいよ」  台所で朝食の準備をしていた母の早苗は、エプロンで手を拭きながら娘に毎日の日課を言い渡す。 「はーい」  あかねは顔を洗う前に、六畳の和室に置かれている小さな仏壇の前に正座する。そして両手を合わし、心の中で呟く。 『正晴さん。私はあなたのお陰でこうして生きていられます。今日も一日感謝します。あ。そう言えば正晴さん。あなたと同じ年になりましたね』  あかねは仏壇に添えられている一枚の写真を見つめた。その写真には、照れくさそうに笑う少年の姿が映っていた。  少年の名は東海正晴。十七歳の時、車に跳ねられそうになった一歳のあかねを庇い、その命を落とした。  正晴は児童養護施設で生活しており、両親は元より親戚も居ないと説明された。あかねの両親は正晴に感謝の気持ちを忘れない様に自宅に仏壇を置き、三人家族は毎朝、正晴に手を合わせていた。  正晴の写真を見つめるあかねは、何かに気付いた様に写真を手に取る。 「······正晴さんも右目の下に小さなホクロがあるんだ。気づかなかった」  あかねは母の早苗に呼ばれ、朝食を採るために台所に向かった。春が終わり、季節の変わり目の七月の気温にしては異常に高く、テレビの天気予報は熱中症の注意を呼びかけていた。  あかねは自宅の近所の高校に通う二年生だった。勉強も運動もあまり得意で無いあかねは、人付き合いも不得意だった。  だが幸いクラスの人間に恵まれ、狭く浅くの付き合いだったが、あかねは何とか学生生活を無難に送っていた。  勉強が好きでは無いあかねは、大学に行く必要性を最初から感じなかった。就職するにもどんな仕事が自分に合っているか。まるでその見当がつかなかった。  そんなあかねが、この学校に存在するある部活に気付いたのは二年生になった時だった 。  農業研究会。放課後あかねが偶然通りかかったその部室の入り口には、そう書かれいた。 「はて?こんな部活あったっけ?」  あかねが部名の書かれたプレートを見ていると、部室から出てきた男子と目が合った。 「麻丘さん。もしかして入部希望?」  おっとりとしたその声の主は、農業研究会部員であり、同じクラスの荒島亮太だった。 「え?あ。いえ違います。って。荒島君、ここの部員なの?」  亮太は両手にビニール袋を持っていた。その袋の中には、種の様な物が見えた。 「麻丘さん。農業なんて。って思ったでしょう?でもね。この部名にはとんでも無い秘密が隠されているんだよ」  「ふふふ」と荒島亮太は部名が書かれたプレートを見ながら不気味に笑った。いつもクラスで大人しい亮太のその姿と部名の秘密に、あかねは不覚にも興味を抱いてしまった。 「どう?麻丘さん。その秘密。知りたくない ?」  妖しく微笑みながら、亮太はあかねを部室に手招きする。それは、まるで獲物を誘いこ込む狩り者の様だった。 「······き、聞くだけだったら」  その誘惑に、あかねは乗ってしまった。そして麻丘あかねは、この農業研究会に入部する事になるのだった。
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