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1話 百合の花
……悠司くん
名前を、呼ばれている。
俺を狂わせる声が聞こえる。
もう、許してほしい。
もう触らないで。
悠司くん……他の誰も、
誰も好きになっては駄目よ。
私以外の誰も見てはいけない。
あなたを縛る鎖を持つ私を、
拒むことなど、許さない。
黙れ。頼むから黙ってくれないか。
得体の知れない笑みを浮かべて破裂しそうな腹を撫でるのはよせ。その中にいるのが誰か俺は知ってる。人間の形を模した鎖。それは俺の遺伝子を持つ胎児。
見たくない。
見たくない。
見たくない。
どうか生まれてこないでくれと願うけれど、それが叶うことはない。
ゆっくりと、首を絞めた時の感触。指が食い込む皮膚の温度。俺を見つめる暗い瞳。伸ばされるひんやりとした冷たい手。
俺の心を縛りつける。俺の罪を見せつける。嫌いな女に似た顔をした董子が笑う。何も知らないような顔をして。俺が何をしたのか知らないのか。まだ生まれていないおまえを殺そうとした俺を。
きっと気づいているのだろうに。おまえへの愛情は俺が罪悪感を取り繕おうとした結果なのだと。
――それでもおまえは、俺を兄と呼ぶのか。
「神崎さん……」
ユイの呼ぶ声に、神崎悠司はうっすらと目を開けた。
暗い。まだ夜は明けていない。
また夢を見ていたのか。
最近よく見る悪い夢。
「魘されてたよ」
心配そうに顔を覗き込むユイに、悠司は起き上がり、背中に嫌な汗が伝う感触に身震いをした。
「怖い夢を見たの?」
「……ああ、大丈夫。起こしちゃったんだ、ごめんね」
「そんなの別に」
化粧をしていないユイの顔は、悠司がよく知る男の顔だったが、表情がとても柔らかくて愛らしい。細い体を寄せて、悠司の頬にそっと手を添えてくる。
「ユイが傍にいるよ」
「うん……ありがとう」
力なく笑って、ユイの手を握り返す。
温かい手。
悠司はこの手が好きだった。
自分を癒してくれる温度。凍えそうになっている自分を、溶かしてくれる。厭な夢も、少しは和らげることが出来る。
そのままユイを抱き寄せると、戸惑ったように微かに拒まれた。
「……駄目?」
「だって、ユイの体は光のだから……」
光というのは、ユイの宿主だ。ある日を機に、宇佐見光とユイという人格は分裂し、ユイは悠司といることを選んだ。
ユイの心は女の子だったが、肉体は男だ。悠司の性癖はいたってノーマルだったから、男の体を持つユイはそれをとても気に病んでいた。悠司としては、ユイのことが好きだから出来ない相談ではないと思っているが、まだ躊躇いがあるのか体を開いてくれない。
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