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夏を始めるためのシステム。
歌が、聞こえてきた。わからない曲だった。クイズじゃないので、答えもわからない。
夏の始まり、梅雨が終わって少し経った、たった少しの時間。すぐに終わってしまうもったいない夏の、その、一番いとおしくて、一番無駄遣いに適した時間。種も仕掛けもない魔法の時間。そんな時間に、知らない人の、知らない声の、知らない歌が聞こえてきた。これは、事件だ。法律の管轄外だけど、私の管轄内。正体を突き止めなければ、何故か夏休みが始まらない気がした。気がしただけで、ほんとのところ、歌に夏休みを封じる力はないはずだけど、最近の歌はエキセントリックだからなあ、魔法が宿っていてもおかしくない。
私は、教室を出て、歌声の住所へと探索を始めた。左から聞こえる。じゃあ左へ行こう。
歩く、歩く、歩く。近づく、近づく、近づく。
たどり着いた。なんだ空き教室じゃん。だったら、まあ、UFOの襲来以外なら大抵のことは起こるよな。歌を歌ってるのは、誰だろう。気になるな。よく考えたら、「気になる」という感情だけで、ここまで来たな。長い旅だった。1分とは、約1年だからな。
せっかく長旅の末に入り口までたどり着いたのだから、ちょっとくらい覗いても良いかなあ。うーん、でも、それは、監視カメラの物真似みたいで、楽しくないなあ。出切れば芸能人の物真似で留めておきたい…どうしよう。
「…あの、どうか、したんですか?」
「え?あ、えー、え?」
後ろから急に声をかけられた。気がつくと、歌声は止んでいて、空き教室の扉は開いていて、私は驚いていた。おそらく、この子が歌声の主だ。ポニーテール、高くも低くもない背。
「あ、えと、ですね?声が、その、良いなあって、その、決して、なんかその、怪しいものではなくてですね…」
しどろともどろを交互に往き来している私。どう見ても怪しいだろ。天体望遠鏡で見ても怪しいと思う。
「ああ、なんだ、歌ね。ありがとう。あの曲、私が作ったんだ。タイトルは、まだ無いけど」
「え?あ、そうなの?素敵な曲だった!」
「夏の終わりがテーマなんだけど、いかんせん、今が夏の始まりだから、タイトルがね、思い付かなくて」
「え、でも、曲自体は、思い付いたんですよね?」
「そうね、多分、曲を完成させるのが、怖いんだと思う。完成した瞬間、ホントに終わっちゃう気がして」
わからなくもない。途中までは進めるけど、終わりは、ちょっと怖い。完成とは、終わりのことでもあるからなあ。
「でもね、ほんとは、夏が終わって欲しくて、この曲作ったんだよ?変だよね。まあ、変じゃない歌とか、この世にないと思うけどね」
「え、その、変じゃないと、思います。矛盾って、世界で一番多い現象の一つだと思うので」
私はそうやって、最近切った髪の毛の先を触った。「切って良かったな」と「切らなきゃ良かったかも」が、同時にやって来て、同時に去っていった。
「ふふ、ありがとう。あなたいい人ね。名前は、なんて言うの?」
「あ、えーと山野瞳って言います。一年生です」
「私は、氷川空。二年生。あなた、音楽は好き?」
「え?あー、まあ、どちらかと言えば」
「じゃあ、この曲のタイトル、考えてくれない?夏休み明けまでに」
唐突なことを唐突に言われた。え、夏休みの宿題って、こんな風に増えるものだっけ?
「あの、でも、まだ私、ちゃんと聴けて無いっていうか。曲名は、考えたいですけど」
自分で言って、ビックリした。やりたい宿題が出来たのは、生まれて初めてだ。
「じゃあ、後で録音したやつ、貸してあげる」
なるほど、手際が良い。
「素敵な曲名、考えてね」
そう言って、先輩はもう一度空き教室に入って行った。
私は、その夜、ひたすらその曲を聴いた。寝るまで聴いていたので、子守唄になっていた。
まどろみの一歩手前くらいのバス停で(なんだバス停って、もう半分夢の中だろ)、私は、
「あー、もう、曲名、これが良いかも」
と、少しだけ思っていた。
「夏を始めるためのシステム」
そう、口にした。あえて、終わりなのに、このタイトル。良くね?エモいってやつ?わからない。もうそろそろバス来そう。
いや、時間はあるんだ、もう少しちゃんと考えよう。
「その曲名、私は好きよ?」
気がつくと、バスを待つもう一人の女性。先輩だった。
「え、でも、先輩、そんな簡単に、決めて良いんですか?その、夏休みの宿題がこんなに早く終わったことないので、変な爽快感と罪悪感が…」
「ね?終わるのって、完成って、怖いでしょ?」
確かに。これが、特殊相対性理論か…。え?あー、もう、寝そうだな、私。
「まあまあ、夏休みは、すぐ終わるけど、1日じゃないから、ゆっくり考えましょ?」
先輩は、そう言って、バスに乗り込んだ。私も乗った。
バスはゆっくり走り出して、そして、私は座席に揺られながら、ゆっくり眠りに落ちた。
起きたら、もう一度、あの曲を聴こう。
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