編集者の事件メモ(萩紀夫)

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「半島から見た三宅島の写真を撮ってきて欲しいのよ。誰か連れて行ったらいいわ!今時には珍しく経費で落ちるんだから、感謝しなさい!」 (なんなんですか、開口一番わけのわからない要求は。僕は今日システムのアップデートに伴う確認作業で忙しいんです!) 文句の言葉が出そうになるのをグッと堪える。考えてみれば、いよいよ作品に取り掛かる気に先生がなったということだ。希望が湧いてきた。僕は高い声で返事をした。 「半島から三宅島を眺めるって、伊豆半島から島の写真を撮れば良いんですか?どんな写真がお望みですか?(でも、海の風景素材なら、わざわざ撮りにいかなくてもネット上にいくらでも転がってるじゃないの?探すのが苦手ならググって差し上げますよ。その方が時間の節約になる。)」 最後の台詞はなんとか飲み込む。とりあえず話を最後まで聞いてみるべきなんだろう。口答えするのは、今は得策でない。待てよ、今「経費で落ちる」と言ったよな? 散々先生には振り回されてきた僕だが。ここだけの話、先生は僕のことが結構お気に入りなのでなないかと思っている。部署の誰かがこんなことを言っているのを小耳に挟んだ。 「萩さんて、木野理央先生に気に入られているよね。」 そう言ったあと、 「彼って単純で生真面目だから、先生にメッチャうまく使われているよね。」 と、その子は付け加えていたが。 先生には申し訳ないが、残念ながら僕のターゲットは年下だ。 思うに、30代はまだまだ若手のたぐいで脂が乗るのはもっと先のことだ。親をはじめとして、周りから「そろそろ身を固めろ」とせっつかれる機会も多くなったが、今みたいな独身生活には仕事と趣味に打ち込める気軽さがある。でもいろいろ言われるうち、ふと彼女や家庭が欲しいなと思うことも最近はないでもない。付き合うなら若くて可愛い子がいいな。二十代前半でも、まだいけると思う。 「モデルと一緒に写っている海辺の風景写真が欲しいの。本当は私が一緒に行きたいのだけど、ちょっと今出れないのよね。代わりに誰か別の人と行ってきて。」 電話越しに先生の声が響いた。きっと写真を見ながらストーリーを考えるつもりなのだろう。自分の撮った写真が作品のインスピレーションになるだなんて、ワクワクするではないか。 「モデルですか、なるほど。やっぱり男のコート姿は外せないですか?『熱海急行』のドラマの刑事さんが着ていたの黒いコート、格好良いって評判になりましたものね。ところで、先ほど言われた経費と言うのはどこまでカバーされますか?」 これから先生が書くものは、編集者としての僕の第一号の仕事になる。いい話を書いてもらって、それを作品として世に送り出すのだ。そのためにヒーロー役の写真モデルをすることくらい、やぶさかではない。頭の中のギアが回り始めた。 が、やや間が空いて先生は言った。 「別に君がモデルの写真は好きに撮ったら良いんじゃない?私が撮って欲しいモデルは女性よ、女の子。萩紀夫くんの周りに誰かいるでしょう?!本当は私が海岸に行ってモデルになりたいのだけど、時間が空かないから。だから、誰か代わりの子が島を見ている風景の写真を頼んだよ。」 僕は、少しムッとした。 「そんな簡単に海辺で女の子を捕まえられるわけないでしょう?3月は泳ぐ人もいないから、海辺の観光客はわずかです。それに、歩いている人に声をかけたら僕が不審者になるじゃないですか?今時は個人情報や肖像権が厳しくて…」 先生の無茶振りにはまいるが、それでも(よくわからない案件ですね)と否定はしなかった。よくわからないが先生にとっては大事らしい、と言うことがわかっているからだ。 「だから、さっきから言っているように「女の人」を誘ってから一緒に連れて行くの。交通費は2人分出るから。モデルへの謝礼も用意する。2人で行って彼女と島の写真を撮ってきて。編集長には私から説明しておく。」 ようやく僕は、用件を理解した。先生の依頼は相変わらず奇妙なうえに唐突だ。だが、この案件は今まで受けた用件の中ではちょっと楽しそうだった。なんたって「兼 編集者」の面目躍如だ。先生のインスピレーションを書き立てる最高の写真を撮ってやろうではないか! 「分かりました!日程を調整します。ちなみに、僕はむかし写真部だったんですよ。三脚もカメラも私物で良いのを揃えられます。レンズもいろいろ持っていきましょう!」 僕は写真撮影を大いに請けあって、電話をきった。こうなったら最高のモデルを連れて伊豆に行こう!写真部OBの腕がなる。カメラ機材には心当たりがある。撮影技術だってまあ悪くないはずだ。きっと先生を唸らせるような絵が撮れる。だが、肝心のモデルの女の人となると… つまりこの場合の手順はこうだ。 ・一緒に行ってくれそうな女の人を探しだす。 ・その女性を伊豆撮影旅行に誘う。 ・さらにその人から旅行&撮影のOKを貰う。 これを期日までにこなして全てクリアしないといけないと言うことだ。なんだか、自信なくなってきた。僕は一瞬、その女の人のモデルに「母」を思い浮かべた。先生の代わりのモデルなんだし、親孝行も兼ねて温泉旅行もいいかなとも思うが。だめだ。そんなことでは職場の笑いのネタになってしまう。いやいや。グラビアアイドルとまでいかないが、『熱海急行』のヒロイン「葉山のお嬢」くらいの年齢の女性がいいだろう。母の次に考えたのは職場のスタッフ。だが、どうもピンとこない。相談できそうな編集長は席を外している。 (これから一人前の編集者になるんだぞ!自分1人でもやれるはずだ。) 僕は思い直した。母も編集長に頼るのも最後の手段だ。思うに、気の強い女性陣スタッフは葉山のお嬢様とは雰囲気が違う。まあ正直言って、誘いづらいのもあるが…。そうなると、プライベートで探すしかなくなるわけだが…困った。とびっきりのモデルになるような子を見つけなくてはいけないのに、思いつかない。伊豆半島に僕と一緒に行ってくれそうなのは、誰だろう?? 格好つけながら、スマホを通話から連絡先アプリに切り替えた。ラインの友だちリストを上へ下へと眺める。チェックするフリをしているだけだ。連絡先も友達リストも数は知れているから。頭に浮かぶのはせいぜい2人くらいか。いや、やっぱり1人しか思いつかない。 真木サワに会ったのは、居酒屋での宴会の席だった。その打ち上げには、職場のスタッフのほか木野理央先生も呼ばれていて、僕は新しい先生の担当としてお披露目された。いつになくご機嫌になり、飲みすぎた僕は気が大きくなったのだと思う。宴もたけなわになったころ、隣の席で飲んでいたグループの女の子たちを口説いていた。ナンパなんてしたことのない僕にしては珍しいことだ。その場にいた女性数名とラインを交換したが、その後、唯一やりとりが続いいるのが彼女だ。歳は、確か20代とかいっていたか。もっとも、2回ほどデートしたものの、クリスマスの予定を僕から誘うはずが直前になり流れてしまった。僕の「会えない言い訳」のラインには既読がついたきり返事は来てない。以来こちらからも連絡をせず、気がつけばもう3月だ。お互い「忙しい理由」なんていくらでもある。余計な仕事が増えすぎたせいで、あれから暇なんて全くできない。彼女とは結局、ずっとそれきりだった。 いくら思い返して考えたところで、仕事の写真撮影に猶予はない。何せ急がなくてはいけない。僕は一度伏せたスマホを取り上げ、意を決して文章を打ち始めた。人生何が起こるかなんて本当にわからない。あの宴会の席での軽はずみな行動が、今の僕の唯一の可能性を作るとは。 僕が時間をかけてようやく書けた文章は、彼女にご無沙汰の詫びを入れるでもなく、用件だけの軽い内容になった。唐突に一方的な要求である。しかも出発の日程が急ときた。あんまりかなと思ったが、迷ったのちそのまま送信ボタンを押した。こんなひどくぶっきらぼうな内容の連絡に、彼女は返事をくれるだろうか? 冷静になって考えてみたら、ダメな気がしてきた。断りの返信ならラッキーな方だろう。すでにブロック済みでも不思議はない。 何ヶ月も連絡しなかったのは僕の方なのに、勝手なもので自分が一方的にフラれた気分になってくる。僕は、現在唯一頼みの綱の彼女に無視されることを想定しておくべきだろう。同時進行で、他にもあたっておいた方がいい。 いろいろ心配する間もなく、サワの返信がすぐにきた。 「来週末ですか?その日、空いていますよ。売れっ子作家さんのための業務のお手伝いなんですね。喜んでモデルになりますよ!」 僕は喜んで、サワの優しさに安堵した。文章に添えられたスタンプのウサギが「OK」の文字を上げている。僕はスタンプのウサギの顔をまじまじと見つめる。じつは記憶が曖昧で、彼女の顔が思い出せないでいた。 次の週末、僕らは品川駅のホームで待ち合わせした。サワに会うのは数ヶ月ぶりのことだ。彼女はベージュのワンピースにグレーのコートを羽織っていて、ピンクのスカーフはフワフワだ。彼女はとびきりの笑顔だった。元気そうな彼女を見ていた僕は、仕事とはいえ撮影旅行にちょっとウキウキしてきた。今日の彼女は、いちばん素敵かもしれない。 列車がホームに到着して、僕らは「伊豆急行」に乗り込んだ。目指すは熱川駅。その先にあるのは、島の見える海岸だ。 僕は列車での移動中、持ち帰った仕事のいくつかをやっつけるつもりでいた。先生に横槍の仕事を入れられたからと言って、本来の業務を免除されたわけではない。社のデーターベースとの接続テストをして、それからクラウドにあがっている原稿の数々にひたすら目を通した。30本は今日中に判断しておきたい。隣に座るサワはそんな僕に話しかけることもなく、仕事の邪魔をしなかった。大人の対応である。そういえば、クリスマスの予定を反故にしたことを責めなかった点もたすかる。彼女はホームで買い込んだファッション雑誌を読み、僕は作家の卵の小説にひたすら目を通した。側から見たら2人のやっていることは似通って見えるのかもしれない。 今は3月の上旬。河津桜のシーズンは終わり、もうすぐ卒業旅行シーズンを迎える。特急の乗客の数はまばらで、僕らは黙って列車に揺られながら黙々とそれぞれ作業をこなしていた。小田原駅が近づき、海が見えた。ここからは海沿いをひたすら走る。目標の熱川駅はまだまだ先だ。 春の海が眩しくて目を閉じた。気づけば、少し眠ってしまったらしい。再び目を開けた時、窓際の席で目を瞑るサワの姿があった。彼女の茶色い髪は外からの光に反射して、列車の動きに合わせて揺れている。彼女の白い手は読みかけの雑誌の上におかれ、シルバーのブレスレットは光っていた。 僕らは熱川駅で降りた。海岸までは歩いていく。駅のお土産コーナーには金目鯛の煮付けがパウチに入って売られている。大きさによって値段が大きく違うわけだが。それを見た僕は、太っていて優秀だった元同僚やヒョロヒョロして再就職先に奔走する昔の仲間の顔を思い浮かべた。元同僚が特別優秀だったのは彼の目方と関係あったのかな。そんなことを考えながら、僕はどうにかここまで生き残ってきたわけだと思い返した。旅行は時間軸や見方を変えるいい機会を与えてくれる。 海岸についた。3月の風が冷たい。浜辺も海も広々としていたが、波乗りを楽しむサーファーが数名のほかは人影がわずかだった。俺は砂浜にカメラバックを投げ出すと三脚を立て、ホコリ臭いカメラを取り出した。 「何それ、凄いですね。」サワが珍しそうに覗き込む。今回の撮影のために大変だったのはカメラ用のフィルムを探し回ったことだ。最後に撮影した学生の頃はいくらでも近所で手に入ったのに。銀塩カメラの時代はデジタルにとってかわり、馴染みの現象所が店じまいしていた。いやいや、技術の最高峰はまだまだフィルムカメラにあるはずだ!次々と写真を撮ったのち、僕は大事にしまってある魚眼レンズをバックの奥から取り出す。周りのモノを広く写り込ませてしまうこのレンズを使える機会は都会の日常にはあまりない。だが、いま目の前に広がるのは、どこまでも広がるような波打ち際。海が僕のカメラを待っている。このレンズが腕を振るうのに、またとない非日常の風景だ。 レンズを替え、リモートシャッターを試し、絞りを何パターンか試す。僕は島とサワをモデルにシャッターを切りまくったのち、意気揚々と先生に「任務完了」のメールを送信した。 「添付ファイルが確認できないよ?」木野先生からの電話がすぐにかかってきた。 「画像の添付はしてませんよ。写真は現像してからプリントをそちらに送ります。」と答えると 「まさかフィルムカメラを持って行ったの?もう、とりあえずスマホで撮った写真を今から送って頂戴。」と呆れられた。 言われてみればそうだ。先生はフィルム写真を撮影して来いとは一言も言っていなかった。はしゃいでいたのは僕の方だったようだ。 慌ててスマホで写真を撮りなおす。サワは嫌な顔一つせずに、再び笑顔で写真に収まった。 メールに写真を添付して、先生に送る。「なかなかいい写真」と、お褒めの言葉を期待していたのに、帰ってきた返信はあんまりだった。 「ずいぶん霞がかかっているね。もっとキリッとした冬のような写真は撮れないもの?」 相変わらず先生はムチャクチャをいう。今は冬じゃないし、天候を選べる日程は与えられていない。指示が出たのはつい先週のことだ。春の半島は雲はがかかり、半島から見える島は霞んでしか見えない。先生好みの晴天になるまで、これから晴れやしないかと1時間ごとの天気予報をアプリでチェックした。が、午後からさらに雲が増すとある。今日ここで待っていても仕方ない。今日の写真はこれが精一杯だろう。 ふと、もう一泊するのはどうだろうかと思った。天気予報によれば、明日は快晴とある。 先生に明日の撮り直しを提案すると、ラッキーなことに了承された。素泊まり分は経費で出るらしい。サワだけ帰そうかと思ったが、予定は空いているからと明日もモデルになることにOKしてくれた。宿の確保も急だったが、家族経営のこじんまりした旅館がひとつ見つかった。豪華なホテルではなくても彼女は気にしないと言う。夕食分くらいは僕が自腹でもとうと思う。それくらいのお礼しないとサワに悪い。僕は海岸近くのホテルで夜景の楽しめるディナーを予約した。 午後から暇になったので、彼女の提案で「バナナワニ園」を見学することにした。サワはブーケンビリアのカーテンをくぐり、僕は花に囲まれた彼女を再びシャッターに収めた。笑顔である。彼女は次に「ウツボカズラ」のアーチをくぐってから、葉の変形したツボの中をチェックし始めた。 「きゃー見て見て!虫が入っているよ、ほら!」 俺はうろたえた。そんなものは見たくない。食虫植物の捕食シーンに興奮するだなんて、ありえないぞこの女… 2人して更に園内をぶらぶら歩きながらワニを眺める。ワニの恐怖にちょっと飽きてきた。園を出る頃に、サワははお土産コーナーの売店でバナナソフトクリームを買ってかぶりついた。 彼女は子供のようにはしゃぐ。僕も思いのほか楽しめた。 レストランに移動する途中で仮面歴史館に立ち寄った。館内はひんやりとしていて、壁一面が面で覆われている。案内の解説を聞きながら、一面一面を鑑賞した。笑っている面、恐怖に怯えた顔の面、不思議そうな表情の面。お面には魂が宿るという。どれも本物の人より表情が豊かに見てとれるのは不思議だ。 白い女の面がいくつも並んでいる一角があった。いちばん左が美しい顔の小面、その隣が髪を振り乱し我を忘れた面。美しい乙女が心を病み、嫉妬に狂い般若になりゆく様を彫った面々だった。いちばん右にあるのが角をはやした鬼の面。狂気はついに女を邪鬼へと変貌させたのだ。僕はその面を見て『熱海急行』のあのワンシーンを思い出す。 「葉山のお嬢様が復讐に燃えて行相を鬼へと変えるシーン」 やはり、他のスタッフがなんと言おうと、小説のいちばん秀逸な場面だと思う。 仮面歴史館を出てホテルの展望台へ移動した僕らは、2人してアワビの踊り食いをいただいた。火に炙られて悶え苦しむアワビを「踊っている」と表現するのはなんとも残酷な表現である。火で炙られ右へ左へと身をよじるアワビに追い討ちの酸っぱいレモン汁を振りかける。一層と激しさを増した踊りは間違い無く魂の叫びだろう。アワビに人が認識できる「面」がなかったのは幸いだった。アワビはとても美味しかった。 サワは旅行中、ずっと絶えない笑顔みせていた。そこまで喜んでくれて僕も嬉しい。しかし、いくらなんでも喜びすぎではないか?? 「今日は素敵な誕生日になりました。お祝いしてくれた萩さんのおかげです。素敵な30歳を迎えられそうで嬉しいです。今だから言いますね。クリスマスは連絡くらいくれるかと思ったのに。あの時はちょっと寂しかったわ。」 サワは屈託のない笑顔を満面に輝かせた。 (これは…ちょっと。まずいのではないか?) 僕はここにきて、うかつだった自分に初めて気づいた。取り返しのないことをした気がしてきた。彼女に何か勘違いをさせてしまったかも知れない。 「誕生日」がいつかなんて覚えてなかったから、今日が彼女にとって大事な日だと知らなかった。風景写真を撮るのは急に決まったことだし、取材日に今日を選んだのは偶然だった。実を言うと彼女の歳も今知った。 断っておくが、そしてこれは自明なことだが、僕はとても真面目な人間だ。自分をとても硬派と思っている。確かに妙な依頼内容ではあったが、ここに彼女を誘ったのは本当に業務だからであり、今だって「仕事中」だ。仕事に託けて女性をたぶらかす気などあるはずもない。彼女をこんな形で喜ばす気などなかった。誤解なんだ。 僕は固く決心した。今夜は「紳士」として振る舞い、旅館でお互いのへやに戻ったら、僕らはそれぞれの部屋で休む。僕はこのさき彼女に指一本触れない。ここで読者の期待には添えず申し訳ないが、明日写真を撮ったら彼女とはこれきりだ。彼女から連絡が来ても、社交辞令以外は返さないほうがいいだろう。 口の中が乾いている。僕はこれからどうしたものか。 萩は手のなかにあるお猪口の杯をいっきにあけると、手酌で酒を注ぎ足した。
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