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「べたべたよ…まったく」
お互い顔をアイスまみれにしたままに帰路を辿る。そこでふと自分のアイスはどこに行ったのかと涼は考えた。
そこで日本語でアイスの所在を訊いても面白くないように思われたので英語で聞いてみる。つまりネイティブになってみることにした。
「Where is my ice?」
「Oh, sorry! Here you are!」
なんと、悠鈴もネイティブだったとは。同じネイティブジャパンとの巡り合いに喜びを禁じ得ない。この片言な英語がたまらない。英語を習いたての日本人にはこういう感じのノリが時たまに流行るのだ。
「おーのぉぉぉぉぉお!」
ノリはいとも簡単に崩壊した。目に映るドロドロに溶けたアイスがトリガーだ。
「大野? それって涼の好きな人じゃ…」
「だまれぇぇぇぇぇえ! 口を塞いでやるぅ! 溺れさせてやるぅ!」
熱い、熱いアスファルトの上で二人ははしゃいでいた。コーンに溜まった溶けたアイスをかけてやろうと涼は悠鈴に迫る。悠鈴は涼に追いつかれないように走って逃げる。
「私ら、涼むためにアイスを買ったのにどうして走ってるの!」
「理由はない! ウチらはただ夕陽に向かって走り黄昏るだけなのさ!」
走りながら悠鈴はため息をこぼす。まだ太陽は傾いてないんだけど。その言葉を呑み込んでひたすらに逃げていた。
逃げる自分の前に自分の影があるのを悠鈴は見た。自分が一歩動くたびに一歩先に影ができる。そして、その後ろに影はなくなる。そこに影があったことを覚えているのはたぶん悠鈴だけ。
ひと夏の思い出も当事者の記憶の中にしか残ることはない。夜、自分の影がどんな形なのか思い出せないようにこの日のことも曖昧になっていく気がした。
「これも…ひと夏なのかな」
悠鈴は疲れて立ち止まり、腰を下ろして快晴を仰ぐ。涼の手がずしりと肩に乗った。
「今日はひと夏、そりゃそう。明日もひと夏、それもそう。いくつかを覚えてるからまた夏が恋しくなるわけで」
妙に納得できるようなことを涼は語る。また明日には茹だるように熱い夏に嫌気がさすだろう。それでも今日というこの日のことも夏の日の1ページとして綴じられる。
「ただ…忘れてそうな顔してるね、悠ちゃん」
やけにべっとりとした水状の何かが額から垂れてきた。鼻が甘さを感知する。
「あ…ああ、あぁぁぁぁああぁあぁぁぁぁああ!」
見上げるとコーンを逆さまにしてニマニマと満足そうな笑みを浮かべる涼の姿があった。コーンから白い水滴が垂れている。
「どーよ、涼しいでしょ。忘れられないんじゃね? これぞ忘れられないひと夏____」
「あんたも忘れられなくしてやるよ!」
悠鈴は手元にあるドロドロに溶けたアイスの残骸を涼に投げつけた。
「うはっ!?」
飛び散るアイスはまだひんやりとした心地の良い冷たさを持っていて、思いのほか冷たかった。
「…ほんとに忘れられないひと夏だよ」
「ぷ、っはっはっは」
「っく、わはっははは」
今日というひと夏の思い出が長い夏の到来を告げていた。
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