風雲児〜葵の如く

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風雲児〜葵の如く

………刻は江戸時代。 天下泰平の世の中でありましても、それでも人の世は同じ過ちを繰り返し、罪と罰を背負いながらも生き続ける時代。 嘗て、この国が徳川幕府によって支配されていた頃。………それは享保と呼ばれていた時代の事柄なのですが、由緒ある家柄の世継ぎとして、この世に生を受けたが故に、波乱万丈の生涯を余儀無くされた風雲児がおりましたそうで御座ります。 当時、徳川家8代当主にして征夷大将軍として人の世を治められておられました吉宗様の側室として大奥に招かれたこのワタクシが妊り、自らの腹を傷めて産み出した、たった1つ切りの希望の光。 我が子の名は………………。 「……………………………………………。」 しかしながら、その我が子なのですが、命名する事も叶わずして、将軍家に対して謀反を企む輩により、何処かへと連れ去られたので御座ります。ワタクシが寝所にて床に就いておりました丑三つ時に起きた噺。 今となっては、心の病が元で病床に就いておりまするワタクシでは御座りまするが、何時に於いても我が子の無事を案じながらも文を綴るばかりの女で御座ります。皆々様に於かれましては、何とも卑しくも愚かな女であると嘲笑うやも知れませぬが………。 それでも、尚………。 何時の時代に移り変わろうとも、人の親としての女心と言うモノは、代わり映えの無い哀しき性であるものだと感じまするは、ワタクシだけの妄想なので御座りましょうか? 物語の始まりは、それから十数年の歳月が過ぎた頃に遡りまする。これから先は、物語風絵巻として皆々様の心の片隅に描き続けまするが故、何卒御容赦の程、恩願い奉りまするがもし、病に伏せりながらの創作ゆえに、たどたどしくもなれど、御了承頂ければ幸いであると存じまする。 では、続きの御噺は次回の講釈で語らせて頂きますが故に、何卒良しなに願いまする。 それでは、御機嫌よう………。
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