第1章

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第1章

「『支配こそ本望』ってあのセリフ、気持ちちょっとわかる」 エンドロールが終わり、観客が掃けていくのを座席でぼうっと見つめながら、雹条聖はそう漏らした。肘掛に頬杖をつく横顔は、何か痛みに耐えているようだった。口元が引き結ばれ、白い首に筋が浮く。女性的なわけではないけど、どこかひんやりとした色気が漂う。 「え、あれって一番わかっちゃだめなやつじゃない?」 親友の発言に、僕はどぎまぎしながら答えた。男二人で観るような映画では全くなかったのもあって、この時間、何を話せば気まずい空気をなくせるか、それだけを考える。 先週の飲み会に遅刻したペナルティとして、鬱エンドとして話題になっている『媚薬』という映画を見てこいと、幹事だった先輩に命じられた。すでに観ている友人も多かったため、話のネタにはなるかもと気軽に来たのがいけなかった。 僕たちはいったい何をしているんだ、という後悔がどっと押し寄せる。 映画の内容は、DVに苦しむ一組のカップルの話。人生で一回も見たことがないレベルの重たさだった。きっと、二度と観たいとも思わないだろう。  主人公の男は、DVをする女性と付き合っていた。その女性は極度の人間不信で、痛めつけても好きだと言ってくれる人じゃないと安心できない。 男は女性の幼馴染で、そんな女性を心配し、また心から愛していた。けれど恋人になっても自分の気持ちを信じてもらえずに苦しむ。女性の暴力を受ける日々だったが、それでもいつか自分の気持ちを理解してもらえると信じ、どんなにひどいことをされても耐えていた。 そんな中、女性は研究者の友人に特殊な媚薬を調合してもらう。それは一度飲ませたら、その女性と会うたびに恋愛感情を持たせることができる、まさに服従を強いる薬。 女性は早速恋人の男にこっそり試そうとしたが、研究者の女性からの密告で薬の存在に気づいた男は、薬を飲んだふりをする。そんなものを飲まなくても女性のためになんでもできるのだと、わかって欲しかったから。 その後もエスカレートする要求に応え続け、とうとう女性は男性に心を開き始めた。 嬉しくなった男はもう大丈夫だと思い、実は薬を飲んでいなかったことを打ち明けてしまう。みるみる青ざめ動揺し、元の不安定な状態に戻ってゆく女性。どこまで耐えても信じてもらえないと悟った男は、普通に愛されることを諦め、「あなたの支配こそ本望だよ」と微笑み、今度は本当に薬を口に含むのだったーーー。 意外にも観入っていた様子の聖は、少しの沈黙の後、 「それはそうなんだけどさ。ああいう思考になっちゃうよ。主人公は。 だって、人を信じられないから支配することで裏切られないように、裏切られても傷つかないように自分を守っていたんだろ。 女性の中で人間は支配するかされるかの関係でしかないんだ。そういった関係性を用いてしか関われないなら、受け入れるしかないよな。そういった諦め、わかるよ。あー、しんどい」 「ずいぶん感情移入してるね。こういう話、好きなの?」 ちゃんと考察しつつ観ていたとは。気まずいなあとなど思いながら薄目で観てたなんて、言えない。色っぽいシーンの連続で、正直ストーリーなんて気にしていなかったから。 聖は、少しピンク色がかった長めの髪をいじりつつ、そろそろ出るかと促した。僕より頭半分背が高いから、座っていても見下ろされる格好になる。 初めて髪色を披露された時は驚いたけど、もとが良いと、どんな色でも似合うもんだな。 連れ立って歩きながら、聖は話を続ける。 「今の話さ。んー、好きっつうか、似たような気持ちになったことがあるもんで」 「え」 僕は思わず空のポップコーン入れを落としかけた。 「そんな驚く?」 「……あ、ああ。初めて聞いたから。僕たち中高一緒だったけど、聖って彼女いたことなかったよな?いつそんな気持ちになってたんだ」 「特定の恋人は作らなかったけど、好きな奴はずっといたから」 そこで聖は、僕のリアクションを窺うように目線を合わる。 「誰?僕が知っている奴?」 「秘密」 「なんでっ?!」 親友じゃん!!という思いを込めた叫びだった。 「いつか時が来れば、知瀬に言うかもね」 聖は楽しそうに笑った。 「どんな奴かだけ、教えてよ。参考までに」 「なんの参考だよ!そうだなあ。……肝心な時に俺から逃げる、ずるい奴。セックスん時も、まともに相手してもらえたことない。いざってなったら別のやつあてがわれて、発散させられるし」 思わず体が一時停止した。 「……………………なんでそんな奴好きなの」 笑った顔が誰々に似てて、みたいなかわいい答えを想像していたのに、重たすぎてびっくりだ。目の筋肉が上手く動かず痙攣してくる。なんだか目が乾いてきそう。ただでさえドライアイなのに。 聖はそんな知瀬の動揺を面白がっていた。 「おい、ちょっと引いてるだろ」 「そりゃそうだろ。好きになるポイントがちっともわからなくて混乱してる」 「普段はマトモなんだよ。なんに対してもストイックでさ。やると決めたら手を抜かないような負けず嫌い。クールに見えて意外と熱い系?恋愛絡みの時だけ豹変するけど、根っこの人間性の部分は、すげえ尊敬してんだ」 ふうん、と僕は曖昧に返事をする。急に熱く語り出すじゃないか。 思わず聖から顔をそらした。照れたような表情を見ていられなかったから。 心臓が僕の動揺を僕自身に伝える。ズキズキと、自分の内側がひどく痛んだ。 誰それ。何それ。絶対僕の知らない人間じゃん。 指先から血の気が引いていく。 絶望的な気持ちになった。 悟られないように、どうでも良い質問を重ねる。 「ちなみに聖は、どっち目線なの?支配する側?される側?」 隣の気配が静止する。僕はつられて振り向いた。 「……どっちだと思う?」 外見にそぐわない、少し威圧的な瞳とぶつかって、心臓に氷を押し当てられた心地がした。 ……聞くまでもなかったな。 知瀬は前を向いて歩き出す。 「さあ?わからないな」
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