8/2~

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8/2~

電話の内容は 予想がついた。 移ってからの 医師の言う通り もって8月初旬? 急変も考えてと、 心の準備は していたつもりだったが、 誰からも 好かれた人で、 誰1人 悪い話を聞いたことがない 自慢の 素晴らしい 父だった。 自分の事より 家族 人の事とを先ず考える。 最後に自分へのご褒美で 買った新車のクラウンを ギリギリまで運転していた。 今日が 先週 来週?と分かっていた事としても、実際その時が来ると なんとも説明出来ない気持ちになった。 夜勤者に報告した。 2~3時間寝たかな? 母に電話すると 一睡もしてないので 寝かせてと、 自分のマンションに支度しに戻らせてもらった。 外泊は 退院近くないと 許可にならない。 この頃東京でコロナ感染者が増えていて、北海道外からとか沢山来るか?とか 医師は病院側としては 心配なようだったが、 とっくに死んでるよ‼️と 特別外泊の許可になった。 今迄 いつ死んだっていいんだ と親不孝に生きてきたが、 生死の大切さ ここで 変われる。 そう 感じた。 その夜は寝れた。 朝一出発。一晩経つと少しは 落ち着くものだ。 会場は 貸し切り。 本来なら酒飲んでいたに違いない。 飲まないと決めて行った。 父は 冷たくなっていた。 寝てる用な顔で 今でも起きそうな顔していた。 棺、に ジーンズ ベルト チェックのシャツ ! 生前 ヒロの帽子 カッコいいなぁ と言って、 かぶせてあげたとき、 みんなで 似合う似合うと言って、 それから ファッションの1つとなった ハット! 明るいのが 好きだったので、通やは明るく飲もうと、 ビールを供えて 母は 何度も 顔を見るたび 涙が止まらなくなり 私も連れて行ってと泣き叫ぶ。 なだめて席に戻して 飲ませて 落ち着かせる 朝になってた。 以前は こっそり必ず飲まないで居られなかったと思う コンビニに 抜け出してでも、 それどころか 間違えて 誰かのコップをもって 飲もうとした時 おえっ とビールだった。同時にコッブに吐き出して、 そのままキッチンに捨てにいった。後ろから娘が抱きついて来た。 棺に花を入れる。最後に顔に触れたとき、涙が止まらない。 火葬場に行く。 混んでいた。 骨は 研究室の標本のように 形もしっかりして、砕けない程だった。 ほんのりピンク。 亡くなる直前は 最後はお尻もなく、 骨と皮しかなかったようだった。 実家に寄って 病院へ戻った。 翌日入浴で疲れを癒した。 パーキンソンの母の方が 心配だったが 病気に負けてられないと 不思議な位 元気になった。 最後まで ヒロユキ と心配してたらしい。 俺の 悪い病気持って行ってくれたな? 不思議で仕方ない 今の自分が。 ありがとう 俺は まだまだ そd0053d72-4329-4ffe-b7d1-457ff3eaf423 っちに逝けないからね‼️
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