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濃紺の空に糸のような月がのぼる。服を泥だらけにした屈強な体躯のものが、一人また一人と職場兼住居の穴から姿を現した。男もいるが女もいる。誰もみな、あまり若くはない。彼らはオパール採掘者だ。いつもなら厳しい労働のあとにすぐ出歩いたりはしないのだが今日は特別だった。ポケット老人の追悼集会があるのだ。
老人の遺体が自宅で発見されたのは昨日だった。最近姿を見ないことから警官が安否確認に行ったところ洞窟内の池のほとりに倒れていた。全身びっしょりと濡れた老人は擦り切れた上着を着て、巨大なオパールの原石を皮袋に入れて背負い、上から麻縄でぐるぐる巻きにしていた。遺体は原石と一緒に砂漠の向こうにある警察署へ運ばれ自然死だと発表された。七十二歳だった。住民らがそれを知ったのはすべて終わったあとだ。新聞記事に書かれた老人の本名は見知らぬ誰かのようだった。ポケット老人、あるいはただのポケットと呼ばれていた。壁のすべてが結晶化している洞を晶洞、あるいはポケットと呼ぶ。有名なのは透石膏で覆われたメキシコのナイカ鉱山やスペインのプルピ晶洞だ。プレシャスストーンの晶洞は写真撮影されておらずスケッチが残っているだけだ。発見されるや否や、掘りつくされてしまうためだ。老人は宝石晶洞を探していた。人口が減少しゴーストタウンと呼ばれるようになったクーパーピディが、もっと栄えていたころから。
住民らは中央広場まで歩き、階段を下りて地下博物館に集合した。老人に乾杯し追悼会が始まった。湿っぽさは微塵もない。皆の興味は老人がいつも背負っていた石に集中した。記事ではほとんど触れてなかった彼のシンボル、ディック、導きの糸であり躓きの石、神秘のパワーストーン。大人の頭二つぶんほどはあるブラックオパールの原石だ。濃灰色の氷砂糖みたいな質感で値は八万二千オーストラリアドルもする。一緒に掘りだした小ぶりな石はカットされ、宝石となっている。紫や緑のオーロラを闇に閉じ込めたような品で、国際的にも高い評価を得た。ちっぽけな原石からあれだけのものが生まれたなら、大きな石からはどれほど素晴らしい宝石が生まれるだろう。あんなものはもう見られない。誰があれを相続するのか。人々の言葉は美しい原石の周辺をぐるぐると回り、それが酒と混ざって独特の酔いをもたらす。空の酒瓶が五十本ばかり床に転がったころ、会話が途絶えがちになった。誰もが四年前の晩を思い出していた。それは酒場での一幕だった。
あの特大ホームランを打つまで老人には当たりがなかった。もちろん小さな当たりはあった。薄い原石も岩と一緒に彫刻すれば売り物にはなる。しかしそれっぽっちで生活はできない。時代はすでに衛星のレーザー照射によって鉱脈を探索、山そのものを重機で崩したうえで、大量の人員を投入して原石を選別するシステムに変わっていた。鏨とハンマーの時代はとうに終わったのだ。ポケット老人だけはそれを意に介さず、ただ愚直にハンマーを振るい、雲母の層を探した。雲母は原石の前触れだといわれている。もっとも突然消える嘘つきでもある。現れては消えるマイカを執念深く追い続け、ようやくその年の暮れに原石を掘りだした。噂はすぐに伝わりシドニーだけでなく海外のバイヤーまでもが自宅前に集まった。何度か契約寸前まで行ったものの結局老人は取引しなかった。バイヤーの姿が消え、妻は家を出た。
「こんな見事なもの、もう手に入らないだろう。そう思うとカットするのが嫌になった」
離婚後、酒場にやってきた老人は売らなかった理由をそう説明した。どこかせいせいしているように見えた。皮袋に入れた原石を背負ったままスツールに座りグラスを空ける。「もちろんポケットが見つかれば別だ」老人は盛大なげっぷをした「もっと大きいのにするよ、なにせパワーが違うからな」
シーザーがクレオパトラに贈った指輪はファイアオパールで、だからキューピッドストーンとも呼ばれる。男が女に心を奪われたらファイアをプレゼントするのもそのためだ。老人の持っていたブラックオパールにはカリスマの力が宿るとされている。エネルギーに満ち、未来が察知でき、成功する瞬間を幻視するという。老人は舌なめずりした。「これまで見捨ててきた枝道の先にきっとポケットがある。石がそう囁くんだ」
「でもなあ」隣に座っていた男が言った。「あんたも年だ。そろそろ足を洗ってもいいんじゃないか。いつまでも健康じゃいられんのだから」そうだなと誰かがいい、採算割れで続けてもなと誰かがいった。天井が低い地下に住むのは年寄りには大変だ。年を取りすぎたんだ。わたしらも、クーパーピディも。老人は身体を強張らせ沈黙していたが急に店を出て行った。それからは自宅に引きこもってしまった。外出するのは買い物のときだけだ。食料や生活用品をまとめてレジに持っていき、泥だらけの小ぶりな原石をふたつみっつ差し出す。挨拶しても底光りする目でにらみつけ、すぐに逸らしてしまう。会話もあまりかみ合わなかった。調子はどうだい。小さな荷物を捨てなきゃ大きな荷物は持てないな。調子はどうだい。ポケットを見つけたよ、証拠を見せてやろう。
「おじいさんポケットを見つけたの?」
リンゴを持ったやせっぽちの少年だった。大人たちは静かにほほ笑んだ。ポケットに乾杯と誰かが言い、唱和する声が続いた。酒で胸のつかえを飲み下す。最後の藁をラクダに置いたのは自分じゃない。他の誰かだ。
原石は元妻が相続した。彼女は新しい夫との海外旅行に忙しくて、石をよく見もせずにアメリカ人のバイヤーに売った。優に大人の頭三つぶんほどもあるそれは十一万五千二百オーストラリアドルで売れた。
結局、誰も石が大きくなっているのには気づかなかった。
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