第2話

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第2話

 尚弥はソファの前のローテーブルに持っていたノートPCを置き、ビデオ通話ソフトを立ち上げた。彼の意図が分からず、花菜実は訝しげに尋ねた。 「尚ちゃん……何してるの?」 「LAにいる千里につなぐんだよ。頼まれたから」 「え?」 「多分今日、水科が挨拶に来るって言ったら、千里も向こうから参加したい、って言うからさ。ちょうどあっちは夜だし、もう部屋に帰ってるんじゃないかな」  尚弥が何やらPCを操作すると、呼び出し音が鳴り、間もなく千里の声が聞こえた。 『ちょっと尚弥……お父さんが拗ねちゃってるってほんとなの?』  母親からメッセージで聞いていたらしく、開口一番そう言った千里は、表情こそ呆れたように歪んでいたが相変わらず美しかった。尚弥が言った通りすでに自分の部屋にいるらしく、メイクもほとんどしておらず、部屋着のままソファでくつろいでいる、という様相だ。 「あー大丈夫、もう来るから。……かなたちも来てるぞ、ほら」  尚弥がPCのウェブカメラを花菜実たちへと向ける。 『やっぱり尚弥の言った通り、今日来たのね。……やっほー、かな! 元気だった? そうそう、大学の時のあいつらにまた嫌がらせされたんだって?』 「ちりちゃん、元気そうだね。……そのことならもう大丈夫だから。その……幸希さんが全部解決してくれたから」 『もう、ほんとあいつらも懲りないんだから。……水科さん、お久しぶり。今回いろいろ頑張ってくれたこと、尚弥から聞いたわ。かなを守ってくれて、ありがとう』 「ご無沙汰しています、千里さん」 「あら、水科さんは千里とも知り合いなの?」 「以前に一度、お会いしています」 「ねぇねぇ、尚ちゃんって、幸希さんとやりとりしてるの?」  母と千里と幸希が会話を交わしているすきに、花菜実が小声で尚弥に尋ねた。どうもお互いの動向を把握しているようなので、気になってしまったのだ。 「まぁ俺たち、かなを守りたいという利害は一致してるからな。情報交換くらいはな」 「へぇ……てっきり仲が悪いのかと思ってた」 「同族嫌悪、ってか?」  尚弥がニヤリと笑う。見目や地頭のよさなど、お互い通じるものがあるようだ。 「そういうつもりで言ったわけじゃないけど」 「俺は基本的に頭がいいやつは嫌いじゃない。それに、かなを大切にしてくれる男であれば俺の中ではVIP扱いだから。親戚になる予定のやつならなおさらだ」 「そっか。ありがとう尚ちゃん、気を遣ってくれて」 「それに、水科の弟って俺と同じ会社だろ? 仲良くしとかないと、いろいろめんどくさいしな」  その時、リビングの扉が開き、健一が姿を現した。先ほどまで駄々を捏ねていたとは思えない引き締まった表情だ。  花菜実が以前尚弥から聞いたところによると、父はこれでも会社ではクールで部下思いだと評判らしいのだ。  数年前、部下のたっての希望で健一が会社の人間を何人か家へ連れて来たことがあるのだが、その時来た皆がこぞって『部長は僕たちのあこがれなんです!』と、目を輝かせて言っていたそうだ。  確かに黙っていれば美中年な上、仕事面でも部下を上手く立てて仕事を回せるような器量があれば、好かれるのもうなずけるのだが――その時の部下たちが、娘が絡んだ時の健一を見たらどう思うのか……苦笑するしかない花菜実だった。 「――お待たせしてすまないね」  ひとこと言うと、健一はローテーブルの短辺の位置に置かれた一人がけのソファに腰を下ろした。  長辺にある二人がけのソファには花菜実と幸希、そしてその向かい側には敦子と尚弥が座っている。 「私、お茶淹れてくるわね」 「あ、手伝うよ、お母さん」  敦子が立ち上がるのと同時に、花菜実も腰を上げた。 「花菜実がそこにいなくてどうするの。いいから座ってらっしゃい」  母がリビングから見える位置のキッチンへと入って行くと、健一が大きくため息をついた。花菜実はおずおずと父の顔を覗き込み、口を開く。 「あ……お父さん。こちらが、私がおつきあいしてる、水科幸希さん、です」 「水科幸希と申します。このたびはお時間をいただきまして、ありがとうございます」  幸希が頭を下げる。 「――尚弥とは大学の同級生とか?」 「はい。学部が違うので、在学中は話したことなどはありませんでしたが、尚弥くんは学内でも有名人でしたので、存じておりました」  どこにも欠点など見当たりそうにない、超優等生なスマイルと淀みのない口調で、幸希が言った。 「よっく言うよ、自分の方がよっぽど有名人だったくせにぃ。弟が入学してきた時なんて、そろって水科チート兄弟って言われてたからな」  尚弥が揶揄するように横からくちばしを挟む。 「尚弥くんは所属ゼミに女子学生が殺到したとか、着ている白衣を誰が洗濯するか女の争いが常に絶えなかったとか聞いたけれど」  すかさず幸希は尚弥に矛先を向ける。それに釣られた花菜実が目を剥いた。 「え、女の子に白衣洗わせてたの? 尚ちゃん」 「いやいや、ちゃんと家に持って帰って来てました! なぁ? 母さん!」  尚弥がキッチンに向かって声を張り上げる。 「ちゃんと毎週持って帰って来ていたわよ。……時々口紅の跡とかついていたけれど」  敦子がお茶を淹れながらクスクスと笑っている。 『やだ、尚弥ったら大学で何してたの?』 「あのなぁ……しがみつかれたり、つまづいたのを助けたりしただけだよ。俺のことはどうでもいいから、今は水科の話をしろよ」  そう言って尚弥は幸希を軽く睨めつけるが、幸希はとぼけた表情で肩をすくめた。 「正直に言わせてもらう」  これまでの空気を断ち切るように、健一が低い声音で切り出した。 「――俺は、君のことをこれっぽっちも信用していない」  そう言い放ち、幸希を見据える。 「かな――花菜実は可愛い可愛い俺の娘なのに、俺にちっとも似てないだの何だのと、口さがなく言ってくる輩がいたり、家内にまで、本当に俺の子なのかと詰め寄るバカな親戚がいた」  健一の様子から、そういうことを言われてきたからこそ、余計に花菜実を猫可愛がりしていたのだということがうかがえる。彼の言葉を聞いて、敦子が前に座っている花菜実の頭を撫で、やれやれとため息混じりに零す。 「バカよねぇ。かなを見たら父方の血を引いてるって一目瞭然なのに。この髪の色なんて、お義母さんからもらったとしか思えないじゃない? それに瞳の色も耳の形も健一さんと同じだし。顔の作りは私に似ているけれど、身体のパーツは完全に健一さんから受け継いでいるわよ」 「おまけに今までかなを利用して尚弥や千里に近づこうとするやつが多すぎたせいか、俺はかなに近づくやつら……特に男は信用出来ない。よって、申し訳ないが君のことも信じていない」 「お父さん……」  完全に失礼な物言いではあるが、あまりにも堂々としているので、誰も諌めることが出来ないでいた。花菜実も何と言ったらいいのか考えている。少しして、幸希がその沈黙を破った。彼の表情は、柔らかく優美な笑みで満ちていた。 「――そうやってお父さんが花菜実さんに近づく男を警戒して心配されるお気持ちは、痛いほどよく分かります。何せ、花菜実さんはこんなにも可愛いですし」
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