第3話

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第3話

 ピクリと健一の眉が動くが、幸希はかまわずに言葉を継いだ。 「僕にももし、花菜実さんのような娘がいたら、絶対に嫁には出したくない、って思いますね。こんなに可愛い娘さんなら、ずっと手元に置いて可愛がりたくなる気持ちは、本当によく分かります」 「……分かってくれるか」 「えぇ、とてもよく。初めて花菜実さんにお会いした時、こんなに可愛らしい女性がいるのかと、自分の目を疑いましたから」 「ちょ、幸希さん……」  目の前で自分を褒めちぎられ、照れを通り越していたたまれなくなる花菜実。幸希は彼女を見つめてニコリと笑うと、今度は大仰にため息をついてみせ、再び口を開いた。 「――申し訳ありませんが本音を言わせていただけば、千里さんは美人だとは思いますが僕のタイプではありませんし、正直興味もありません。尚弥くんのような食えない男に至っては友人にしたいとも思えません。……ただ、二人とも花菜実さんにとっては大事な兄姉(きょうだい)ですから。彼女の大切な人であれば僕にとっても同様であると言わざるを得ません。そういう意味では、千里さんと尚弥くんに対して好意がないわけではありませんが、花菜実さんに対するそれには及ぶべくもない」 「食えない男はおまえだろ?」  尚弥が眉を吊り上げて小声で吐き捨てる。 「僕は花菜実さんにしか興味はないですし、妻にするなら彼女しかいないと思っています。……何せ、こんなに可愛い女性は他にはいませんから」 「そうなんだ、かなは本当に可愛いんだ。俺は職場で毎日大声で自慢したいくらいだ」  健一が心の底から絞り出すように言う。 「お父さん……いくらお父さんでも、そんなことしたら親子の縁切るからね」  花菜実が呆れたように諌める。 「いいですね。僕も職場で大声で花菜実さんの可愛さを自慢したいです。特に笑顔が最高だと触れ回りたい。ケーキを食べている時の顔なんか特に可愛くてたまりませんね。だからつい写真を撮ってしまう」 「そう! かながケーキを食べている時の笑顔は本当に可愛いんだ。だから俺はそれが見たくて、毎週金曜日はケーキを買って帰っていた。俺が手にしたケーキ屋の箱を見た瞬間のかながまた、唸るほど可愛くて……」  健一が目を見開いて力説する。それを見て幸希は大きくうなずいた。 「なるほど。花菜実さんの比類なき可愛らしさは、お父さんの愛情によって育まれたということですね。実に素晴らしい」  大事なことなので二度言いました――どころではない。ゲシュタルト崩壊を起こさんばかりに『可愛い』の連呼合戦をする健一と幸希。 「いや……まぁ、そうかもしれないが」  照れているのか、わずかながら頬を緩ませる健一。そのスキを逃すまいと、幸希がさらに笑みを深くして問う。 「それほどまでに可愛らしい女性ですから。……僕が結婚したいと切望するのは仕方のないことですよね?」 「……そうだな、仕方がない」 「では、仕方がないので、可愛い可愛い花菜実さんと結婚させてください」 「そうだな、仕方がない……え?」  畳みかけるように放たれた幸希の言葉に、健一は釣られたように肯定の返答をしてしまい――そして、はたと止まった。幸希はそんな彼を気にかけることなく、身体ごと花菜実の方へ向き直り、ニッコリと笑って彼女の手を取った。 「よかったな、花菜実。お父さんの許可をいただいた」 「あーあ……ずいぶんやっすいテに引っかかっちゃって……」 『まぁまぁ尚弥、いいじゃん。かなが幸せになるならさ』  尚弥が鼻で笑うと、千里はクスクスと笑みをこぼしながら兄をなだめた。 「……」  そして口を開いたままポカーンとしている健一をよそに、敦子がニコニコと告げる。 「ここへ来た時も今も、かなの顔、とっても幸せそうなんだもの。それに尚弥からもお話聞いているし、反対する理由なんてないわ。水科さん、花菜実のことよろしくお願いいたします」 「こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします。花菜実さんを幸せに出来るよう、邁進します」 『かな、よかったね~。幸せになるんだよ~』 「あ……ありがとう、お母さん、ちりちゃん」 「……どうして俺を置いてきぼりにして話が進んでるんだ」  織田家の面々が和気あいあいと花菜実を祝福する中、唯一健一だけが呆然としていた。 『お父さんだって今、認めたでしょ、二人の結婚を。言質取られてるんだから、観念した方が身のためよ』 「ここでごねたらマジでカッコ悪いからな、父さん」  双子が容赦なく父をやりこめていく。 「健一さん、もう諦めなさい。かなが結婚してもあなたの娘であることに変わりはないんだから」 「うぅ……」  健一ががっくりと項垂れた。ピクリとも動かない父の姿に、花菜実は心配そうに顔を覗き込む。 「お父さん……大丈夫?」  少しして顔を上げた健一は、彼女の顔を苦しげに見つめた。 「かなは……今、幸せか?」  心の内を絞り出したように紡がれた言葉に、花菜実は満面の笑みで応える。 「――幸せだよ。幸希さんと出逢えたし、それに、お父さんとお母さんの子供であることも、尚ちゃんとちりちゃんの妹であることも、全部全部、私の幸せだから」 「……そうか」  父は痛々しげな笑みを見せて、それから大きく息を吸う。 「――水科さん」 「はい」 「……花菜実のこと、どうかよろしく、お願いします」  真摯な口調で告げると、健一は膝につかんばかりに頭を下げた。 「こちらこそ、よろしくお願いいたします」  幸希がそう返答すると、健一が今度は花菜実に向かって言った。 「かな……お父さんに長生きしてほしかったら、まめに顔を見せてくれよ。じゃないともう、生きる張り合いが……」 「大げさだなぁ。分かったよ、ちゃんと帰って来るから」  花菜実は苦笑い、父の肩を撫でる。  刹那、シーンを切り替えるように尚弥がパン、と手を鳴らした。 「ということで水科、かなを泣かせたら俺だけじゃなく、この父親がおまえのことを殺しにかかるから気をつけろよ?」 『私もちゃあんと見てるからね』  千里もPCのディスプレイ越しに若干きつめの口調で言い渡す。釘を刺された当の本人は気にする風でもなく、 「ご忠告、感謝するよ」  と言って笑った。 「あ、なんなら今後、俺のこと『お義兄(にい)様』って呼んでもかまわないぜ? 何せ義理の兄になるわけだからな、俺は」 「本当に呼んでほしいなら呼ぶけど? 」  幸希が嫌がるのを見越した発言が逆手に取られてしまい、尚弥は口元を歪める。 「あー……マジで呼ばれたら気持ち悪いな。やっぱいいや」 「なんだ。僕は一番上だし、せっかく兄が出来ると思って喜んでいるのに。お義兄様?」  笑いを堪えきれない様子で、幸希がさらに踏み込んでいく。 「わーかったよ! 俺が悪かったから! 忘れてくれ、今のは」  敗北を認めたとばかりに、尚弥がホールドアップをした。  それから花菜実と幸希は、未だ立ち直れていない健一を含めた家族全員と結婚について話し合った。  幸希の弟も結婚が決まっており、そちらに先の挙式を譲ること、でも二人は春に入籍をするつもりであること、その前に両家の顔合わせや結納などを済ませたいということなど、二人――というよりは幸希の希望をすべて織田家に伝えた。  あまりにも結婚に積極的な姿勢を見せる幸希に、健一は結婚詐欺を疑い始めたのだが、尚弥にあっけなく一蹴されていた。 「はぁ? うちより何百倍何千倍も金持ちな水科がなんで結婚詐欺なんてするんだよ? 意味分からないし。俺一応、ミズシナ株式会社について調べてみたけど、業績は順調過ぎるほど順調、化学繊維方面に関しては言わずもがなだし、精密医療機器のシェアだって世界でもトップクラス。今度アメリカの医療機器メーカーと合弁会社作る話もあるらしいし、まぁ当面の間は心配ないと思う。その上、父方の実家は我が海堂エレクトロニクスの持株会社を経営してるときた。正真正銘のサラブレッドだよ、こいつは」  それを聞いた敦子が、 「千里はロサンゼルスで頑張ってるし、かなはこれから水科さんを支えていくことになるのだろうし、なんだか娘が二人とも遠くに行っちゃうみたいで少し淋しくなるわねぇ」  と、声のトーンを落としていた。 「言っておくけど、俺は海堂エレクトロニクスの社長を狙ってるから。さすがにホールディングスは無理だけど、子会社ならワンチャンあるし。そしたら父さん母さん、子供三人全員成功者ってことで、老後は安泰だ。そう思えばいいだろ?」  尚弥が自信に満ちた表情でそう言い放つ。 「……老後は自分たちでどうにかする。今からでも結婚するのを考え直してくれる方がいい」  健一がぼそりと言った。
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