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第4話
「いいご家族だな、花菜実」
「なんだかお騒がせしてごめんなさい。でも、そう言ってもらえると嬉しいです」
「花菜実が家族から愛されているのがよく分かったよ」
織田家を出た二人は、花菜実のアパートへと向かっていた。
最終的には家族全員から婚約を祝福され、二人は一安心した。
今後の予定として、まずは婚約指輪のオーダー、それから両家の顔合わせの日程をフィックスすることになったのだが、幸希の父の時間を捻り出すのが一番の難関だろう。弟の篤樹と婚約者の依里佳も同席することになるし、また逆に弟サイドの両家の顔合わせにも、幸希と花菜実が同席することにもなるはずで。
双方の結婚までのイベントのスケジュールをバッティングしないように組むのに、頭を悩ませることになりそうだ。
「幸希さん、今日は私の部屋に泊まります……か?」
昨夜、幸希は『これから日曜日は花菜実の部屋に泊まり、月曜日はそこから出勤する』と宣言していた。なので念のため確認をしてみた。
「そのつもりだけど……ダメ?」
「ううん、大丈夫ですけど……でも、狭いですよ? ベッドもシングルですし、お客さん用の布団もなくて」
部屋はそう広くもないし、収納だって余裕はあまりない。だから予備の布団など置いておらず、ちなみや友人が泊まりに来た時などは、同じベッドで寝ていたのだ。
「いいんだ。それだけ花菜実とくっついて寝られるから」
「でも、身体痛くなりません?」
身体の大きな幸希だと、ちなみの時のようにはいかないだろう。女の子と寝る時でさえ若干の狭さを感じるほどなのに、彼とだとどれだけせせこましくなってしまうのか……。自分はそれでもいいけれど、幸希がちゃんと眠れるのだろうかと心配になってしまう。
「今日一緒に寝てみてどうしても無理なら、来週末にでもベッドを買い換えよう。セミダブルならあの部屋に入るんじゃないか?」
幸希がそう提案した時、信号が赤に変わったので車が停まった。花菜実は彼の横顔を見て言う。
「もし今日、狭くてダメそうなら、私、ソファで寝ますから」
「僕がソファで寝るよ」
「幸希さんにはあのソファは小さすぎますよ。私なら大丈夫ですけど」
大きな体躯で、決して大きくはないソファに無理矢理寝る幸希の姿を想像し、花菜実はクスクスと笑った。
「僕としては花菜実を抱きしめながら眠りたいから、ソファが役に立つことがないよう祈るよ」
「……私も、出来れば幸希さんと一緒のお布団で寝たいです」
花菜実がはにかんだ笑みを見せると同時に、信号が青に変わる。幸希は彼女に掠めるようなキスをすると、車を走らせた。
アパートに向かう途中のレストランで早めの夕食を済ませ、それから二人は部屋に戻った。
どうやら幸希は花菜実の知らない間に、アパートの隣にある月極駐車場と契約していたらしい。自分のロットに車を停めると、ハッチバックを開いて白いバンカーズボックスを二つ運び出した。
「僕の私物だ。邪魔だろうけれど、置いといてくれると嬉しい」
中身は何かと尋ねた花菜実に、幸希はそう答えてボックスを部屋に持ち込む。そして彼女の指示に従い、クローゼットの空きスペースに重ねて置いた。
その後二人は順番に入浴を済ませ、お茶を飲みながら次の週末のことを話していた。
「土曜日はおゆうぎ会で、日曜日はベルザでちなみと野上さんと会う約束をしてるんですけど、幸希さんも一緒に来ませんか?」
「あぁそうか、いろいろ報告もしたいしな。分かった、会いに行こう。その後、婚約指輪のオーダーに行こうか」
「はい」
ふと静寂が続き……しばらくの後、幸希が大きく息を吐き出す音が聞こえた。
「――花菜実、結婚前にひとつだけ言っておきたいことがあるんだ。今さらそんなこと言い出すな、って怒られるかもしれないが」
「何ですか?」
いつにない険しい声音で切り出され、花菜実はソファの上で背筋を伸ばした。
「いずれ僕たちに子供が出来たとして、そして僕がミズシナの社長になったとしたら……の話だ」
おそらく何年も先のことであろう話なのに、何故『今さら』と切り出すのか――花菜実は少しだけ困惑した。けれどそれを態度には出さず、幸希の話の続きを促した。
「――僕は、僕たちの子供にミズシナの跡を継がせるつもりはないんだ。花菜実には申し訳ないと思うけれど」
唐突に語られた彼の意思を、花菜実はしばらく黙り込んで反芻する。そして薄い笑みを浮かべ、口を開いた。
「私……幸希さんがどうしてそうしたいのか、多分分かります」
「え?」
「咲ちゃんがいつか結婚して、それでお相手との間に子供が生まれたら、その子に跡を継がせたい、って思ってるんじゃないですか? それか、咲ちゃん自身に」
「……」
穏やかな口調で紡がれた花菜実の言葉に、幸希が目を見張った。
「――水科家の血を引く人に、跡を継いでもらいたいんですよね?」
父の嘉紀を経て幸希の代へと移り変わることで、ミズシナの中でずっと続いてきた水科家の血が完全に潰えてしまうと、心を痛めてきたのだろう。多分、もうずっと前から決めていたことに違いない――花菜実はそう感じた。
「よく……分かったな」
幸希は驚きで言葉が震えているようだった。
「何となく……だけど、そう思いました」
「花菜実……」
「幸希さんがそうしたいなら、すればいいと思います。私は反対しません。あなたについて行くだけです」
花菜実が出来るのは、この愛しい人の心を出来るだけ軽くしてあげることだけだと思った。だからあえて、ニッコリ笑ってそう言ってみせる。
刹那、花菜実の身体が強い力で引き寄せられた。
「っ」
彼の広い胸に頬を埋める形で、抱きしめられている。痛いくらいに強く、そして温かい。
幸希は吐息混じりの声で囁く。
「やっぱり僕の奥さんは花菜実しかいない」
「幸希さんがそう言ってくれて、すごく嬉しいです。……でも私、水科家のお嫁さんとしてやっていける自信はまだ全然なくて。だからきっと、すぐ落ち込んでしまうと思うんですけど、その都度励ましてくれますか?」
花菜実は腕の中で、幸希の顔を見上げた。
「花菜実なら大丈夫」
安心感をくれる笑顔がそこにあった。甘さを湛えた深い黒茶色の瞳に吸い込まれそうになる。
幸希はそのまま花菜実にくちづけた。そっと彼女のくちびるを割ると、薄い舌を搦め取り、溶け合うようなキスをする。
「ん……」
昨夜の快感を覚えている身体が細かく震える。幸希の腕はすでに花菜実を解放し、今度はその手で身体の表面を辿り始めていた。
「ん……っ」
鼻から艶めかしい声が漏れる。
「……花菜実、いい?」
くちびるをつけたまま、幸希が尋ねた。一瞬、何を聞かれているのか分からなかったけれど、数呼吸後、その意味に気づき、花菜実は顔を赤らめた。
「……あ、の……ぇ……?」
「……昨日は可愛く誘ってくれたのに、今日はなし?」
「だ、って……」
昨夜は幸希の想いに応えなければという使命感が、花菜実の気を必要以上に大きくしていた。もちろんそれだけではなく、自分自身が彼を欲していたのは間違いないのだが、こうして彼女たちを取り巻く環境が落ち着きを見せた今、改めてそう乞われてしまうとすごく恥ずかしい気持ちが湧いてきてしまう。
「じゃあ今日は僕が誘惑する番かな。……花菜実を僕のものにしていい?」
情欲を抱いた瞳を甘く緩めて、幸希が再び尋ねた。
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