からたちの歌

9/10
前へ
/10ページ
次へ
「あいつなら今、この生垣の中にいる」  コウスケはゆらりと片手を上げると、そのままからたちを指差した。  からたち。からたちの木。 『からたちの木よ』  不意に彼女の声を、思い出す。 『からたちの木は、その棘で侵入者を防ぐの』  そう彼女が言ったのは、いつだったろう。 『ここに居れば、あれは入ってこられないから』  あれ? あれとは、なに?  彼女の顔が思い出せない。彼女の名前が思い出せない。それなのに、彼女がおびえていたことだけは、はっきりと理解できる。  でもなにに? なにに対して? 「馬鹿だよな」  思い出に被さるように、コウスケがくすくすと笑って言った。 「守るために閉じこもっていても、そこから逃げられなくなるだけなのに」 「コウスケ……」  目の前の友人の、深く暗い瞳を見るうちにひとつ気が付いた。僕は震える声で、呼び掛ける。 「コウスケって字、なんて書くの?」  僕はそれを思い出せない。  浩介? 孝輔? 幸助?  それと、コウスケの苗字は?  そして、そして僕の名は?  僕は誰?  君は? 君の名前は、なに?
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加