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正論でしか、語れない。
死にたいという人がいる。
死にたいのであれば、
首つりが一番楽で確実である。
一瞬で脳への
血流をシャットダウンする
のだから。
私は自殺者が理解できない。
むしろ嫌いである。
しかし死ぬことが安易であるなら?
薬剤で死ぬことは、
今のリアルな現実もっとも難しい。
睡眠薬は医師が処方し、
薬剤師が日数制限により守っている。
何か所か掛け持ちして集めても
せいぜい100錠ぐらい。
半年以上計画を立てて
実行しなければ集まらない数である。
かつ、
かつての死ぬリスクのある
精神病薬
は製造されなくなっている。
咳止めと呼ばれていたものも、
(麻薬を薄めたもの)量
を限りなく配合するように、
安価で安易だったものを
配合しない製造工程がすすめられている。
かつてそれらを健康目的で
多量服用して危険があったからである。
そして国が
薬の副作用での被害に
医療保険を使用するのであれば元もこう
もないと、
肝臓や腎臓への負担を減らした
薬を作るような時代になった。
予防予防の
あくまでも守られた安全な社会作り。
睡眠薬を利用して犯罪を犯したり
オーバード-ズ(過量服用)することで
入院したりして世間を騒がせ、
規制がより厳しくなっていった
経緯もある。
市販薬の風邪薬に至っては
急性肝炎をねらって多量服用
しても途中で満腹になり
嘔吐を繰り返して、
あまりの苦しみから自ら救急車を呼び
胃洗浄され病室で目が覚めるのが
お決まりである。
また助けを呼ばなくても、
気が付けば時間だけが過ぎている。
目が覚めて荒れた部屋に薬が床に飛び散り、
自己嫌悪が一機におそいかかるであろう。
もしも?
直ぐに確実に死ねる方法が
解っていたとするのなら?
いつでも死ねると用意しておくことで、
生きたくもない(行きたくもない)
今日の日を乗り越えることが
出来るのではないか?
一歩勇気を出せるというならば、
ぜひ助言したい。
日本の死刑も絞首刑である。
ドアを開けると首をかける縄が、
上り階段の先に吊ってあるだけだと言う。
登道しかなく、
首をロ-プにかけると床が下に開き
全体重で
落下する。
一瞬で死ぬ。
苦しみはない。
ドアを開けるまでが、
罰則であり死ぬ行為は
許されるときに
行われる。
死刑の意味は
拘束されて自由を無くすこと。
ただひたすら
死ぬのを待っている時間が
処罰なのだ。
狭い部屋に閉じ込められて
日の光を浴びず、
人工の光で夜と朝を区別する
ようになる。
テレビやインターネットを取り上げて、
現在(いま)の情報を与えない。
隣の囚人の刑も明かされない。
こんなにも知らない大勢の囚人の中
に溶け込めるのであろうか?
自ら死のうとする人間は
社会に向いていない人間が
多いのではないか?
自ら反社会的なことをして
囚人になった攻撃的因子のある
人間の集団に
馴染めるわけがない。
むしろ、集団生活が
可能であれば
塀の外での人間関係も
上手くいくに違いない。
反社会的行為という、
犯罪を背おっているのは
皆同じなのだから。
そして皆、
更生という名の社会復帰を
目指して国のル-ルに沿う人間に
洗脳されていくのだ。
そもそも窓を
作ってはいけないのだから。
留置所の設計も分からないように
死角を必ず作っている。
見えないことが
一番恐ろしいことである。
また音も閉ざされている。
設備そのものが逃げ出せない為、
執行まで
自らを傷つけられないような
仕組みに設計されている。
刑務官も刑務所管内での
犯罪者を無事に生かして
おくことが一番の務めと
言っても過言ではない。
死ぬのには
お金がかかるのである。
そうそう死刑が執行されていたら
貧乏国の税金も持たない。
長く留置されていても、
病気の治療に
食費にと
税金が使われるだけなのだ。
世の中悪いことをした人間を
たやすく死なす程
甘くは出来ていない。
テレビのニュースを見て、
「あんな悪い人間死刑にすればいい‼」
と言うが
裁判はお金がかかるのである。
国の制度はすべて
日本国が決めたものなのだから、
反則に関しても国に決定権があり、
そこに税金が使われるのである。
医療・福祉だけではない。
悪を裁くのにも、
高いお金が必要なのだ。
裁判官の給与がべらぼーに高いのは
ルールを執行する知識と決断
が必要なのだから、
言うまでもない。
国のルールを守れていないから
罰則になり、その罰則にも
国が管理することは
国のお金で賄われることになる。
すなわち税金で
すべてが行われている。
裁判員裁判なんて
スペシャルお金がかかる。
陪審員の交通費まで国が出費して、
専門家以外の意見を聞くための
情けの導入制度である。
飛び降りるにしても、
8階以上の建物を
探さなければいけない。
確実に死ねなければ、
怪我をして入院となり
多大な治療費と
後悔しか残らない。
ましてや身元は完全に
隠してほしい。
戸籍が無いならともかく、
身元が分かれば
建物の所有者から
家族であろう人間に、
莫大な慰謝料が請求される。
投身自殺も同じく
倍賞請求される。
電車を止めようものなら
億はくだらない。
高山に登って
凍死するのが一番
楽に死ねるのだという。
日本で一番高い山は富士山である。
そもそも死にたい人間が
日本の名誉・世界遺産に登山し
歩き
死のうとは思わないであろう。
むしろ登山に成功して
暁には頂上で間違いなく
達成感に満たされて
勇気をもらうことであろう。
だから、なおのこと現実的ではない。
しかし確実に
眠るようにキレイな遺体
(他は物理的にグチャグチャであろうから)
で死ねることにかけては一番である。
かくゆう私も死にたいと思った過去が
あった。
死にたいと願うことも、
偉大なる挑戦なんだと思う。
思うようにいかなくて、
周りが見えなくて、
苦しくて、
悲しくなる。
理想が叶わないと思うから、
苦しく辛いのだ。
自分に期待するから苦しくなる。
期待されたいから迷う。
逃げたくなる。
誰かに代わってもらうこともできない。
今は笑ってしまうが、
願わなくても
歳を重ねて死ぬ未来が
見えてきたのであろう。
このようなことが書けるのだと思う。
働くことで糧を得て、
働くことで生きる意味を見出し
社会に役立っているのかを
確認するかのように
日々勉強しているのだと
意識している。
弱い立場に立って、
自分という人間が
いつ?
何時?
強者になってしまう恐れが
少しでもあるなら・・・・
日々、問いかけながら過ごしている。
間違っていないときの方が
多い可能性もある。
忙しさの合間に、
この頭の中の記憶が
消えてしまったら
私の仕事は立ち行かなくなる、
恐怖で
何度も同じ項目を書いては読んで、
読んでは書いてしてしまうジレンマ。
誰も正解なんて言ってくれない。
生きていくための
理由を探しながら、
自分の行動が
正しいなんて思ってもいない。
鼻で笑ってしまう。
一瞬、ひとときが緊迫していて
如何に困難なことか?
瞬きの間に
手が動いて口が動いて話して、
聞いて。
日々その繰り返し。
言いかえれば、
慣れるしかない。
生きていくこと。
皆誰もが、
ただただ
一生懸命なんだと思う。
私は自殺者が理解できない。
むしろ好きである。
自ら死にゆく人間の事を想い
心痛める者がいる限り。
誰一人として
死というものの前に
涙を流すことが無いことだから。
事実
死ぬ本人さえも
鼓動が止まれば、涙が流れる。
完
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