炎にくべるは夏の向日葵

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 実家に泊まるのは二日。一日目は法事につぶれた。  二日目。遅い朝ご飯を取り終えると、母から買い物を頼まれた。  ラフな格好で玄関を出る。裏手で水の音がした。振り返るとそこには彼がいた。  白いシャツにベージュのズボン、帽子といういで立ち。見えた横顔はたくましく、それでいて優し気。好青年と言って差し支えないだろう。  こちらに気づいたのか、彼は顔を上げる。そして、口元を歪めた。  私はぞっとして、車に飛び乗る。心臓が跳ねるのを感じながら、車を運転する。  それは、あまりに暗い笑みだった。  買い物を終えた私は逃げるように家に飛び込んだ。だが、夕方。母は言う。 「これ、翔太くんにもっていってあげて。今、水やりをしてくれてると思うから」  私にペットボトル飲料と茶菓子を持たせ、母は言った。 「あなたも彼を疑っていたでしょう?謝っておいで」  断ることもできずに、私はそれを持ち、向日葵畑に向かった。  家の裏手。あまりに鮮やかな黄色。  私は彼に声をかけることなどできず、ただそれを見ていた。しばらくそうしていただろう。彼が汗を拭う。と、同時に私の存在に気づいたようだ。  先ほどとは違う朗らかな笑みを浮かべ、彼は私に手を振る。私の体はびくりと跳ねた  だが、手に持った茶菓子とペットボトル。それを渡さずに逃げ出すことはなかった。付き合いというものがある。残念ながら私は大人だった。 「お疲れ様」  私は明るい笑顔でそれを渡す。 「ありがとう」  彼も笑顔でそれを受け取った。  妙な沈黙。それ以上、会話を交わすことを恐れた私は、じゃあ、と言葉をかけ、家に戻ろうとした。そんな私の背に彼が放つ。 「君にこの向日葵畑を見てほしかったんだ」  彼の言葉に棘はなく、だからこそ不気味に響いた。振り返ると、彼は私の瞳を見つめた。問いかけ。 「君にはどう映る?この向日葵畑が」  私は答える。迷わず、自然に。 「綺麗よ」  これが当り障りのない回答だ。だが、彼は口角を上げた。 「そうか、君にもそう見えるんだ」  目は、笑っていない。 「人の人生を台無しにして幸せになった君にも綺麗に見えるんだね」  彼の顔が歪んでいく。 「ねえ、あの後、僕がどうなったか知ってくるかい?」  私は黙る。そんなの知るはずがない。  彼は語りだす。その半生を。  あの事件以来、村人に後ろ指をさされた彼ら家族は村を出た。それで解放されるはずだった。   だが、引っ越した先でも、どこからか噂は立ったようで、彼は学校に馴染めず、不登校となった。  彼の母は彼を疑っていた。彼の父は彼を信じていた。軋轢が生まれる。夫婦は離婚した。彼は父に引き取られた。  安定した収入のあった父。彼は生活にこそ困らなかったが孤独でたまらなかった。  それは母も同じだったようだ。彼女は再婚し、失敗し、父に金銭の援助を申し出た。それは、父と母の関係をさらに泥沼化させた。  そのうち、母が失踪した。あれほど母を忌み嫌った父だったが、行方知れずとなったのは堪えたらしい。みるみるやつれていった。見ていられないほどにだ。  そんな父を見て彼は絶望に打ちひしがれた。何もかもどうでもよくなった。だから、決めた。 「君に復讐しようと」  疎遠になっていた友人に世間話を装って聞き出した。返ってきた答え 「小学校、中学校、なんの問題もなく平和に過ごし、高校は進学校、大学に行って、一流企業に行って、婚約者もいるそうだね」  彼の低くなる声。 「恨めしいよ」  私をまっすぐに見つめた彼の眼は深い闇。 「だから、僕はここに来た」  殺される。  そう思って駆けだしかけた私の腕を彼が掴んだ。そのまま強い力で引き戻される。カタカタと震える私を彼は見下す。 「君に一つ頼みたいことがあるんだ」  何を要求されるのだ。体中の血が引くのを感じる。彼はにっこりと笑った。 「夏になったらここに来てよ」 「え……?」  私の腕を放し、彼は朗らかな仮面をつけなおす。 「来年も再来年も、そのまた次も、ここに来てほしい」 「それ、だけ?」  思わず出た私の声に彼は一つ瞬くと、声をあげて笑う。 「あはは、殺されるとでも思った?そんなことしないよ」  向日葵畑を、そして、広がる田舎の風景を見渡して彼は言う。 「確かにはじめはそうしてやろうとも思った。真実を暴き立てようと思った。だけど、手に入れてしまったんだ」  彼の穏やかな声。 「この村という居場所を」  嘘くさくもある。だが、緑を眺める彼の表情は穏やかだった。しかし、それも一瞬のこと。笑顔が崩れる、歪みだす。 「だから、僕は君を殺さない。だから、見せてあげる」  彼の目線の先は向日葵畑。 「来年も、再来年も、そのまた次も、ずっとずっとずっと」  一息に言った彼。息継ぎ。醜い笑顔。 「ずっと、君の罪の証を見せつけよう。人の人生を壊し、自分だけが幸せになった、そんな君に」  私は何も言えず、立ち尽くす。彼は低い声で言った。 「君が約束を破れば、僕はこの身を犠牲にしてでも君の罪を暴こう」  もしそうなったら、幼いころの罪が暴かれたら?ぞっとする。きっと、この充実した日々が壊れる。壊される。  彼は一つ深呼吸すると、その顔に満面の笑みを張り付けた。 「また、来年の夏、待ってるね」  それは脅迫だった。  彼の瞳の奥には憎悪が燃えていた。
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