一 鹿児島藩兵の鼻息(二)

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一 鹿児島藩兵の鼻息(二)

 明治四年、初秋七月末――― 「わいどまア、いつから長州もんば手先んないよったがか!」  鹿児島藩兵屯所で、第三番大隊長桐野は太い声で怒鳴り、西郷慎吾と大山弥助とを睨み付けた。  兵部省指揮下の「御親兵」は鹿児島(薩摩)・山口(長州)・高知(土佐)の三藩からなる混成部隊である。鹿児島藩兵は、約二千人からなる御親兵の約半数を占め、第一から第四番大隊、それに第一から第四砲隊が鹿児島藩兵である。数の上で半数を占め、しかも日本国最強を自負する鹿児島藩兵の鼻息は、兵部省などいつでも吹き飛ばすとばかりに荒く、揉め事が絶えない。  大山はやれやれ、と内心ため息をつきつつ、傍らに腰を下ろしている一歳年少の幼馴染の従弟、慎吾を見た。年齢こそ大山の方が上だが、兵部省では、先に入った慎吾の方が上席になる。頭ごなしに怒鳴られた慎吾は、普段は何ともいえない愛嬌を湛えた下膨れの顔を伏せて口をつぐんでいる。  桐野利秋、西郷慎吾、大山弥助は、共に鹿児島人である。慎吾と大山は政府兵部省の幹部で、桐野はその指揮下にある御親兵の指揮官だ。そして、桐野の言う「長州もん」とは、慎吾と大山の上官で、先日兵部小輔から大輔に昇格した山縣有朋(やまがたありとも)である。桐野と有朋は同い年で三十四歳、大山は三十歳、慎吾は二十九歳で、いずれも血気盛んな年頃と言えた。  慎吾は弁舌が得意でない上に、「人と争う」ということが苦手だ。それでも、藩兵の束ねは慎吾の担当なので、その責任感もあってか、顔を紅潮させてどうにか反論を試みた。 「山縣さあば一人で決めたこつやなか。山口も高知もフランス式で、陸軍兵学寮もフランス式じゃ。鹿児島だけ、いつまでんイギリス式で号令ばしよっては、軍ば成り立たんがじゃ」 「薩摩兵児は日本最強じゃ。日本最強の薩摩兵児が、いけんして他藩がやいかたに倣わんばならん。フランスも負けたばっかいじゃ」  大山は従弟の窮状を見かねて助け舟を出した。 「桐野さあ、フランスが負けたんは、兵式の問題やなか。そいを言うがなら、日本国もプロシアんごつ皆兵制ば敷かんならんちう話になっで。あいは、将軍の指揮が拙か上に、政府も無能やったがじゃ。フランスば負けたでフランス式ば悪かちうこつにはないもさん」  大山は昨年渡仏し、普仏戦争を視察してきている。その大山に理詰めで言われると、桐野もやはり反論しづらいらしく口をつぐんだ。だが、元来負けん気の強い桐野は、「じゃっどなあ」と続けようとした。 「半次郎」  第四番大隊長、篠原冬一郎が低く言った。「半次郎」は桐野の旧名だ。 「西郷(せご)さも認めちう。見苦しか」  こう言われるとぴたっと黙るところが、やはり桐野も薩摩人である。西郷さ、とは、慎吾の十六歳年長の実兄で、薩摩兵児の尊崇を一身に集める西郷吉之助のことだ。それきりむっとした表情で黙りこんだ桐野と篠原に代わり、桐野の三番大隊所属の永山弥一郎が笑いながら言った。 「慎吾どんも弥助どんも大変じゃあ。まだまだ暑い中、布達ば持って走り回ってのう」  永山は立ち上がり、一旦部屋を出てすぐに戻ってきた。手に、網に入った巨大なスイカを提げている。 「持って行けや。冷やしてあっで、旨かど」  桐野が「あーっ」と言った。 「わいは何ばすっか。そいはせっかくおいが昨日から冷やして」 「元々おいがもろうてきたもんじゃろがい」  永山は言うと、ほいっと大山にそれを放った。大山はぽんっ、と軽やかな音と共に受け止め、にいっと笑った。 「おいん弾道計算は外れもさん」 「じゃっで、わいに放ったがじゃ」 「………どげん意味な」  不満げに言った慎吾の肩を「まあまあ」と叩き、永山は二人を門まで送ってくれた。後ろで桐野が、「食い物の恨みば、おっそろしかど!」と怒鳴っている。  桐野と永山は同い年で、親友同志だ。篠原は一つ年長になる。  こんな風に桐野の怒りをかわせるのは、この永山ぐらいだろう、と大山は思う。  屯所を出たところで、慎吾は永山にぺこりと頭を下げた。 「あいがとさげもす」 「お。慎吾どんは、そげにスイカが好きじゃったか」  永山は鷹揚な笑みと共に応えた。 「気にせんでも、ようけあっでの」  よか二才(にせ)じゃのう。  大山はつい惚れ惚れする。慎吾もちょっと胸が詰まったようだったが、にっこり笑って、「あい」と応えた。永山は頷き、「おやっとさあ(ご苦労さま)」と軽く手を振り、屯所へ戻っていった。           *
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