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場面八 君と見る夢のかたち(二)
家人に明かりを入れさせ、慎吾を客間に通した。書生に茶の用意を頼んで再び部屋へ戻ってみると、慎吾は再び畳の上に平たくなっている。
「西郷君」
「あい」
普段の甘え声はどこへやら。似合わぬ神妙さがどうにもおかしくて、有朋はつい苦笑する。
「もうええけ、顔を上げてくれ。家人が変に思う」
「思われても構いもはん」
「わしが構う」
「山縣さあ」
慎吾は頑なに顔を上げず、畳に手をついたまま言った。「もう一度、おいんこつば使うてくいやせ」
障子の向こうに家人の気配がする。恐らく茶を持ってきてくれたのだろうが、中の雰囲気が異様なので声をかけるにかけられないのだろう。
「あげなわがまま振る舞いは、もう二度と致しもさん」
「………判ったけ、とにかく、わしの言うとおりに顔を上げんか」
慎吾はおずおずと顔を上げ、座り直した。
「膝も崩せ。詫びはもうええ」
有朋は言ってから、廊下へ向かい、「入ってくれ」と言った。若い書生は緊張した様子で入ってきて、茶を置いた。礼を言うと、ホッとしたようにそそくさと退出していった。
再び二人きりになると、有朋は少し姿勢を正した。少し間をおいて、有朋は口を開いた。
「明日、わしの方から迎えに行こうと思うちょった」
慎吾は驚いたように目を見開く。
「おいを………?」
目で頷き、有朋は少しためらったが、思い切って言った。
「土下座してでも、取り縋ってでも引き戻さねばならんと決めちょった。兵部省には、どうしてもおめえが必要じゃし、おめえには、経験を積んで、いつか、兵部省と日本国を担うてもらわんといけんけ」
慎吾の弱音や葛藤を受け止めてやれなかったのは、有朋の未熟さだ。公私混同だと指摘した井上は正しい。この男は自分を裏切ることはない。傲慢にもそう過信して、上官として必要な配慮を怠った。大切に育てれば、必ず見上げるばかりの大樹ともなるはずの男を、一時の感情で、若木のうちに剪(き)ってしまうところだった。
有朋は、畳に両手をつき、頭を下げた。
「先を越されたが―――どうか、よろしく頼む」
「ち………ちっと、ちっと山縣さ」
慎吾は「あたふた」という形容をそのまま人の形にしたかのごとくうろたえて、飛んできた。
「そげんこつ、やめてくいやんせ」
慎吾は有朋の肩に手を置いた。
「山縣さあ」
必死な口調で、慎吾は耳元で呼びかける。
その声に、ゾクリと身の内を何かが貫いて、有朋はぎゅっと唇を噛みしめた。
触れるな。
どうか―――頼む。この身に触れてくれるな!
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