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場面八 君と見る夢のかたち(三)
だが、思ったところでもう遅い。
心臓が。魂が。
この身の全てが、震える。
慎吾。
有朋は無我夢中で、慎吾の身体に縋りついていた。肩に顔を埋め、渾身の力で抱きしめる。
山縣さあ、と驚いたような声を、かすかに聞いたような気がする。
欲しい。
やめようと言って断ち切ったのは、有朋のほうなのに。
なのに―――気が触れそうなほど、自分はこの男が欲しい。
乾いた大地のように、涸れた泉のように、ただ全身でこの男に焦がれている。
「山縣さあ………!?」
狼狽した声がする。有朋は指先に力を込め、それだけでは足りずに、がっしりした慎吾の肩口に、服の上から歯を立てた。
「ち………ちっとっ」
慎吾は驚いた声を上げた。
狂っている。正気じゃない。触れあっても抱きあっても、貫かれてさえまだ足りない。まして、失おうものならたちまち己を見失う。
こんな恋は狂気だ。
狂恋だと判っていても、それに灼かれる身を、もはや自身でもどうしようもない。
この男が欲しい。
慎吾。
慎吾、どうか。
どうかこの身を。
どうかこの身を。
どうか………
「山縣さあ………」
小さな声が、有朋を呼んだ。
ゆっくりと、慎吾の手のひらが有朋の髪を梳くように撫で、耳元に触れ、頬に触れた。
温かい、大きな手のひらだった。
「山縣さあ」
優しい声が囁く。もう一方の手が、背に回されたのが判った。背を抱く腕に力を込めながら、慎吾は耳元で囁いた。
「ほんごつ、もっさけなか」
一瞬、耳元に唇が触れる。かすかに湿った音がした。呼吸が震えたのを、悟られはしなかっただろうか。
「どうか、赦してくいやんせ」
安心感が体中に染みとおってゆく。何一つ言葉にはならずに、荒い息で、ただ喘いだ。慎吾はどこか幼子をあやすように、ゆるゆると背を撫でる。その優しさと温かさに、情けないほどに心が安堵する。
「山縣さあ。こいは、おはんのもんじゃっで」
慎吾。
「どうか、好きに使うてたも」
それは、部下の忠節の誓いなのか、恋人の愛の囁きなのか、判然としなかったけれど。
慎吾は有朋の顎に手を掛けて上を向かせた。恋人の優しい眼差しに、泣きたいほどに思いは昂ぶって、でも、涙を見せたくはなくて、有朋は唇を噛み締める。
慎吾。
離れたくない。離したくない。
離さないで欲しい。
「山縣さ」
慎吾は親指で、唇をなぞるように撫でた。
触れあうだけの、どこか神聖な長い口付けを交わして、慎吾は再び、有朋を抱きしめた。
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