場面九 揺れる灯火の下で(一)

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場面九 揺れる灯火の下で(一)

※ BLの性描写が入ってきますので、苦手な方はご注意ください ※ 「………本当に、大丈夫か」  何となく落ち着かない様子で、恋人は室内を見回す。  公用での往来はあるが、互いの私邸での情事は実は初めてである。 「気にしすぎじゃ」  出たり入ったり、水を持ってきたり灯りを入れたり布団を敷いたりと動き回る慎吾を見つつ、有朋はどうやら手持ち無沙汰のようだ。見知らぬ場所に連れてこられた童子か、初めて花街に連れてこられた若衆のように、居心地悪そうに座っている上官は、言っては何だがえらく可愛らしい。 「こん部屋ば、奥まっとっで」  何回も連れ込んでるが問題なかったし。―――とは、殴られたくはないので言わずにおく。  有朋もそうだが、慎吾の私邸も政府が接収した旧藩の江戸藩邸を安く払い下げられたもので、執務室から表の間に奥、下働きの部屋まで―――はっきり言って分不相応に広大である。 「何なら、風呂ば沸かすか」 「………いや」  ほのかな行灯(あんどん)の灯りが、恋人の不安を映すように揺れる。慎吾は布団の傍らに腰を下ろしている細い身体を、包むように抱いた。 「………すまんかった」  腕の中の愛しい人は、申し訳なさそうに言う。 「何いが?」  意味が判らず問い返すと、掠れた小さな声が答えた。 「辛抱さして」 「………っ」  意表を衝かれて、慎吾はちょっと息を飲んだ。  この男は、どうしてこうも時々、いじらしいことを言って、自分の胸を騒がせるのか。  慎吾は少し腕の力を強め、相手の耳元に軽い口付けを落とす。腕の中、恋人はかすかな吐息を洩らした。 「そげんこつはよか」  耳元で言った。 「むしろ、じっくり山縣さあば味わえっで」  あほう、と小さく聞こえた。  「味わう」などと言っても、実は正直なところ、一度「始末」したにも関わらず、慎吾の下半身は既に、危ない衝動にズキズキと疼き始めている。 「久しぶりじゃ」  囁く声が、かすかに上ずる。身体を少し離して、慎吾は正面から恋人を見つめた。 「山縣さあが好きじゃ」  頬に手を当て、顔を近づけながら愛を囁く。 「こん国の誰よりも」  恋人は黙っていたが、潤んだような黒い眸が、灯りの中、妖しく揺らめく。  有朋は、言葉で感情を表現することが苦手らしい。仕事のことでは理路整然と自説を披露し、滔々と語ることもあるが、私的な場面で自らの思いを語ることでは、極端に寡言になる。慎吾は逆に、論理的に物事を説明することの方がずっと骨が折れる。  その代わり、この年長の上官は、実は慎吾よりも遥かに深い思いの丈を、その態度で示す。  口付けのために顔を寄せる慎吾の頭に手を回し、自分から唇を求めてくる。温かく湿った肌が触れて、性急に口腔に侵入してきたのは有朋の方だった。  舌が絡み、唾液が濡れた音を立てる。水音と荒い息遣いが、静かな夜に溶けては消えた。年上の恋人は、口腔を犯すとでも形容していいような激しさで慎吾の舌を貪るように吸い上げ、舐め回しながら膝を進め、ぐいと襟元に手をかけてきた。  慎吾はちょっと息を呑んだ。  普段なら、大抵は先に有朋の服を慎吾が脱がせにかかる。だが、もどかしげな相手の動きに、実は年上の恋人の方が、今夜は余裕がないのだと知れた。慎吾は相手の服を脱がせる代わりに、己の袴の紐を解き、角帯も緩めて、恋人が身体を進めてくるのに任せた。  有朋は慎吾の身体を褥に押し倒し、上からのしかかって慎吾を見詰めた。 「慎吾」  恋人は掠れた声で、滅多に呼ぶことのない下の名を口走った。言葉が口から迸るようだ。  眸も唇も濡れて光って、上気し、乱れた息に胸を波打たせる恋人は、恐ろしいほどに扇情的だ。 「来やんせ」  艶めく眸を見つめて、慎吾は言った。 「犯してんよか。殺してんよか。―――おはんの好きなように」  欲情―――している。この男が。慎吾の名以外一言も口にせず、ただ全身で自分を求める姿に、慎吾の中心が熱を帯びる。  慎吾を見下ろしたまま、有朋は自ら袴紐を解き、シュルシュルと音をたてて帯を引き解いた。
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