一 鹿児島藩兵の鼻息(四)

1/1
前へ
/44ページ
次へ

一 鹿児島藩兵の鼻息(四)

 慎吾とは幼馴染で、二十年以上の長い付き合いになる。大山の父は西郷兄弟の父の弟で、西郷家から大山家の養子に入った砲術家なので、大山にとって彼らは従兄弟に当たる。特に慎吾とは一歳しか違わないこともあって兄弟も同然に育ち、幕末の動乱の中でも常に一緒だった。  薩摩兵児の尊崇を一身に集めるといっても過言でない大西郷の弟である慎吾は、同郷人の間でとにかく可愛がられて育った。いたずら者で愛嬌満点、気分が乗ると素っ裸になって踊りだす天真爛漫な慎吾を、誰もが愛し、誰もが許した。大山もその一人だ。  そんな郷中みんなの「慎吾どん」が、このところ、どうも少しばかり参っているようだ。  「長州もんの手先」―――フランス式からイギリス式への兵制の転換の話から階級制度、給与規則や就業規則に至るまで、兵部省から御親兵への布達を持っていくたびに、手先扱いされて罵られるのは確かに快いものではない。それに、幕軍との戦いで指揮官を務めていた大山と違い、ずっと大西郷の下にいた慎吾は、様々な意見が対立する場での身の処し方にも慣れていない。  とはいえ、同郷人ゆえに桐野らの荒っぽさには慣れているし、兵部省の方針には大山にせよ慎吾にせよ納得して従っているのだから、それについては言っても仕方ない。何といっても、慎吾も大山も兵部省の幹部なのだし、これも仕事だ。  最大の原因は、他にある。           *  上官の山縣有朋は、仕事机で船越大丞と打ち合わせをしている最中だった。船越は主に人事・会計などを担当している。 「戻いもした」  大山が言うと、有朋は大山に目を向け「ご苦労じゃった」と応えた。 「西郷大丞は、時間も時間じゃっでそんまま帰宅しもした」 「判った。後で報告を聞かせてくれ」 「あい」  大山は席に戻り、再び一つ大きなため息を洩らす。  最大の原因。それは多分、この堅物の「長州もん」の上官にある。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加