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二 恒例開催、愚痴大会(二)
役所の休日は、「一、六の日」―――すなわち、一日、六日、十一日、十六日、二十一日、二十六日である。慎吾は特に何もなければ、基本的に休前日に年上の恋人を食事に―――いわば「逢引」に誘う。
草創期兵部省を束ねる有朋は大体が多忙を極めており、休日返上も珍しくはない。一夜を過ごして翌朝には休日出勤、ということもある。それでも、とりあえず「休前日には誘いがかかる」というのを織り込んでしまえば、一応はそれに合わせて仕事の進行を調整してもくれているらしく、その辺りがこの上官の律儀なところだ。ただ、そういう秘かな気遣いについては恋人は全く口にしないので、ある意味、多少困ったところでもある。
慎吾は以前、この上官が山積している仕事を片付けるため、休前日の一日前に職場に泊まり込んで仕事をしていると人づてに聞いて唖然としたことがある。そこまでしないと身体が空かないのなら無理をしなくてもいいと言ってやりたいが、何もお前のためじゃないとあっさりかわされるのが目に見えている。かわされるだけで済めばいいが、思い上がるなと引っぱたかれては目も当てられない。
真面目で律儀で心配性。そして、気を許した人間には案外癇癪持ちで手が早い。―――年上の恋人は、結構厄介な人間なのである。
困ったなと思いつつも同時に嬉しくもあった上官の気遣い。だが、七月二十日、いつものように上官が席を立って書庫へ向かおうとするのを捕まえて都合を尋ねた慎吾に、有朋はちょっと声を落として言った。
「ちいと、しばらくはやめておこう」
慎吾はきょとんとする。
しばらくは………って。明日がどうとか、そういうのではなく?
「しばらく、って………その」
「兵式の転換のことやら、鹿児島藩兵も何かと騒々しいけ、今はあまり刺激するような事はせんほうがええ」
鹿児島藩兵と、自分たちの逢瀬と、一体何の関係があるというのか。
人の三倍は頭が回ると囁かれるこの上官のことだから、恐らくこの男なりの理屈が頭にあるのだろうけれど、突然言われた慎吾には何のことなのかさっぱり判らない。
むしろ慎吾としては、鹿児島藩兵に普段散々に「長州人の手先」扱いされて多少消沈しているだけに、少しばかりこの上官には甘えたい気持ちがある。有朋のためなら同郷人たちに嫌われるのも覚悟はしているつもりだが、それでも少しは甘えたいし、ねぎらって欲しい。自他共に認める、「甘え上手の三男坊」としては。
この男は普段は素っ気ないぐらいだが、床の上では案外大胆だ。それに、こんなにも感情豊かな男だったのかと驚くほど、別人のように喜怒哀楽が素直に現れる。自分の前でだけ開いてくれる「素の姿」を目にするのが、慎吾の密かな楽しみでもある。
有朋は話は済んだという態度で立ち去ろうとするので、慎吾は思わず「山縣さあ」と呼びとめた。有朋は足を止めた。
「何じゃ」
「………」
慎吾が言葉に詰まると、有朋はいらいらした様子で言った。
「どねえした」
「………おいには、何やよう判らん」
普通に「忙しい」と言ってくれればいいのに、「しばらくやめておこう」などと言われても戸惑うばかりだ。有朋は移動の途中だったこともあるのだろう。話を打ち切るように言った。
「すまん。ちいと片づけて、その後出んといけんけ」
「しばらく会わんち、何いごてじゃ」
有朋は嘆息する。
「後にしてくれんか。それに、こねえなところで長々とする話でもなかろう」
「山縣さあにはどうでもよか話でん、おいには大事じゃ」
ピク、と眉間に皺が寄った。
「どうでもええとは、どねえな意味じゃ」
「………」
「不機嫌」から明らかに「怒り」に変わった恋人の剣幕に、慎吾はさすがに口を噤んだ。有朋はしばらく鋭い目で慎吾を睨みつけていたが、ふいと踵を返した。
取り残された慎吾は、深いため息をつく。
いつまで経っても、慎吾はあの年上の恋人の扱いに慣れない。懲りもせずに怒らせ、困らせ、呆れさせてしまう。場合によっては引っぱたかれる。
恋人の方でも、この愚鈍な恋人に疲れたのだろうか。だから、ただでさえ多忙なこの時期にわざわざ会いたくないと、そういう意味なのか。
慎吾にとっては最大の楽しみである短い逢瀬は、あの年長の上官には、恋人としての義務でしかないのか。
あ。
まずい。落ち込んできた。
再びため息を吐き出し、慎吾はしょんぼりと仕事部屋へ戻る。
今夜、また弥助どんに話でも聞いてもらおう。
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