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三 部下の我慢、上官の忍耐(一)
場面は兵部省に戻る。
大山は上官のところへ行き、鹿児島藩兵屯所でのことを簡単に説明した。
有朋は黙って話を聞き、「ご苦労じゃった」とまた言った。
「規則のことやら、船越大丞と詰めちょる話もあるが、とにかく今は兵式の話が優先じゃけ。そちらの進み具合を見ながら発表していくようにするけえに、何とか破裂せんように進めていってくれ」
「あい」
この上官は、「指導」するとなると相当口やかましいのだが、任せた仕事に関してはあまり細かいことを言わない。
いや、そういう人間にしか仕事を任せない、というほうが正確かもしれない。全てにおいて自分が目を光らせて出しゃばっていては、組織の長としてはやっていけないだろう。
何も言わないのはこの男の信頼だ。
昼となく夜となく、仕事の鬼と囁かれながら兵制の確立に力を注いでいるのだから、信頼できなければ、口を出してくるか更迭するかどちらかを決断する筈だ。
鹿児島兵の束ねは慎吾に。そうして、大山はその補佐役に。
大山は先生について兵学や砲術を学び、戊辰の戦では指揮官として砲兵隊を率いていたという経験もあるので、実のところ、理屈で薩摩兵児たちをやり込めようと思えば出来ないわけではない。だが、薩摩兵児の反発は多分に「長州もん」や「政府」への感情的な反感が底にあるので、理屈でやり込めては破裂する恐れがある。
大西郷の実弟として、薩摩兵児に可愛がられてきた慎吾。今日も永山が助け舟を出してくれたが、あの男にションボリされると、ついついみんなが甘くなる。それは大山も含めてのことだ。
慎吾の存在が兵児たちの感情的な反発を和らげ、大山が側面から支援する。そして、有朋は慎吾と大山を信頼して背後に控え、決して口を出さない。大西郷吉之助は薩摩兵児たちの「拠り所」として彼らの中心に腰を据え、彼らの動揺を抑える。
その阿吽阿吽の呼吸で、一歩間違えれば政府の方を吹き飛ばしかねない「爆弾」である鹿児島兵たちが、どうにか「政府の兵」として屯所に収まっているのだ。
それを―――
『鹿児島兵の束ねなんぞ、わいがやったってよか話やないが』
アホか、と心底思う。
こん役目ば、わいにしか出来んがじゃ。
もっとも、自覚なく大役をこなしてしまうところがあの従弟の従弟らしいところではあるのだが。
ただ、恋人である有朋からは距離を置かれる、同郷人からは長州人の手先と罵られる、では、少しばかりあの慎吾といえでも気の毒かもしれない。
「大山さん?」
大山の何か言いたそうな様子に気付いたのか、察しのよい上官は尋ねてきた。
「何かあるんか」
しかしながら。
『少し、慎吾どんに優しうしてやってくれもはんか』
その言葉を思い浮かべただけで、思わずぞーっと背筋に悪寒が走る大山である。
そんな差し出口をきいては、「黙殺」ならぬ「目殺」されてしまう。
何か、うまい言い回しはないものか。
『山縣さあにしばらく会わんち言われて、慎吾どんがちっと落ち込んどっで、説明ばしてやってくれもはんか』
これもダメだ。多分、大山ばかりか、口が軽いと慎吾もシメられる。
えーと。
「あ、あの、昨日、西郷大丞に何か言いもしたか」
恐る恐る、そう切り出してみた。
有朋はちょっと眉根を寄せたが、黙っている。
「西郷大丞ば、薩摩兵児に色々言われっで、ちっとばっか参っとっようじゃっで。愚痴ば聞かせっかもしれんが、時間ば空くようなら話ば聞いてやってたもんせ」
慎重に言葉を選びながら言うと、幸い、この上官はある程度大山の言いたいことを察してくれたらしい。軽く息を吐き出して答えた。
「判った。ちいと話してみる」
有朋は、机の傍らの書類に手を伸ばしながら言った。
「ただ………わしがあまり構うと、逆に鹿児島藩兵に色々言われかねんけ………悪いが、あんたの方でも色々聞いてやってくれの」
大山はちょっと笑って「あいっ」と軽く敬礼した。
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