三 部下の我慢、上官の忍耐(二)

1/1
前へ
/44ページ
次へ

三 部下の我慢、上官の忍耐(二)

 席に戻る大山の背を眺めつつ、有朋は書類をばさりと置く。  相変わらず、よく気の回る男だ、と思う。  有朋と慎吾のことも知っているし、慎吾から色々聞いてもいるのだろう。何を聞かされているのかと思うと少しばかり決まりが悪くもあるが、有朋は大山とは親しいといえるような関係でもない。その事で有朋が反応に困るようなことを言ってくる訳ではないし、むしろ事情を知った上で、こうして控えめに気を回してくれるのはありがたい。  この気配りと察しのよさがあの男に少しでもあれば、と嘆息したくもなるが、それはないものねだりというものだろう。時々引っぱたきたくなる―――そして実際、結構な頻度でつい引っぱたいてしまうのだが―――程の鈍感さが、我ながら気を回しすぎるところのある有朋をある意味で安らがせている。慎吾がよく気がついて、お互いに気を回しあうような関係だったら、有朋は恐らく疲れてしまうだろう。 『山縣さあは、何やかやと考え過ぎっで』  気を遣った挙句がその言葉では、時々引っぱたきたくもなる。だが、あの男は結局のところ、「一緒においしいものでも食べて、抱きあって快楽を分け合って、気持ちよく疲れてゆっくり寝られればそれで幸せ」という、その程度のことしか有朋に望んではいないらしい。そう考えると気を遣う方がバカなのか、という気にもなる。あの男の唯一の宴会芸は一糸まとわぬ裸踊りなのだが、その芸は、動物的というか即物的というか、ある意味本能だけで生きているような自然体のあの男には似つかわしい。部下がいる場では立場上やめてほしい、と思ったりもするが。  年下の恋人と過ごす夜は、有朋にとっても素の自分に戻れる大切な時間だ。それは生身の人間らしい五感や喜怒哀楽を思い出させてくれる。目標とか義務とか立場とかに縛られ、白か黒か、あれかこれかと、際限なく有朋に選択を迫る気忙しい単色の世界―――その中にほんの束の間、織物のような美しい色彩と甘美で優しい音楽とが甦る。有朋はそこに息づくものたちを全身で受けとめ、深呼吸する。何ものにも代えがたい、愛しく幸福な時間だ。  そう思うからこそ、多少無理をしてでも、逢瀬のための時間を捻出してもきた。―――それなのに。 『山縣さあにはどうでもよか話でん、おいには大事じゃ』  昨日の会話を思い出し、有朋は再びムカッとする。  どうでもいいとは、そりゃ一体どういう言い草じゃ。わしとて、好きで会うのを控えようなどと言うたわけじゃねえ。  慎吾と鹿児島藩兵たちの関係が悪くなってはまずいと思えばこそ、しばらく会うのは控えた方がいいだろうと言うちょるんじゃ。その場にいなかった大山が理解できるのに、何でおめえには判らん。  しばらくイライラと机を叩いて、それから嘆息する。  話を聞いてやるのはいいが、また引っぱたいてしまいそうな気がしないでもない。  しかし、ここは上官として、あの部下をきちんとねぎらわねばならない場面だ。  あの暴れ者の鹿児島兵たちと兵部省の間に立つ、というのは確かに嫌な役回りなのだ。それをどうにか、大山の側面支援もあってよくやっていると思う。ねぎらってやる必要は重々感じているのだが、さりとて、どうかその調子で大いに頑張ってくれと、大っぴらに激励し、褒めてやるわけにもいかないという、そこが厄介なところだ。ただでさえ、「長州人の手先」というのが、彼らの定番の罵り文句であるのだから。  まして慎吾が、この兵部省の長官を務める長州人と、今のような関係にあると知れたら、あの血の気の多い男たちはいきり立つだろう。薩摩の裏切り者めと、慎吾を闇討ちさえしかねない。  慎吾もそうだが、有朋としても嫌な役目だ。上官としても、恋人としても疲れる。気持ちを抑えるのは苦しいし、会えないのは有朋とて辛い。だが、これも仕事だ。必要なことだからと割り切るしかない。  ただ一つ幸いなことは、有朋が西郷慎吾という男を全面的に信じていられるということだ。あの男に、何の懐柔も取引も必要ない。  あの男だけは最後まで有朋の味方だと、信じていられるということだ。           *  後で思えば。  その「信頼」こそが、有朋の判断を鈍らせたのかもしれない。           *
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加