1 ふたりのルーキー

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1 ふたりのルーキー

 7月中旬を過ぎると、プロ野球の世界ではオールスターが行われる。  近年は交流戦があって、やらなくてもいいのではという声もある。しかし、ファンや選手の間から選ばれた選手たちが、綺羅星のごとく集うこの祭典を楽しみにしている人も多い。  プロ野球選手の中でもオールスターならではの環境で、様々な選手と対戦したい話も聞く。自分の持ちえる力を最大限に発揮できる。対戦相手にそのときだけは、チームやしがらみも勝敗すら関係なく、自分の力を思うがままぶつけることができる。それが醍醐味でもあるのだ。  居酒屋のカウンターの隅っこに女がいる。テレビのきらびやかな世界を直視せず、自分の腕を枕にして耳だけで聞いていた。  彼女は大湾(おおわん)日南子(ひなこ)。横浜ベイギャラクシーズのクロ―ザーだ。大卒新人でありながらオープン戦で活躍し、前年クロ―ザーだった天下(あました)の不調もあって、クロ―ザーに抜擢された。  日南子の特徴は、左足を胸まで高々と上げ、体を前方に大きなスタンスを取り、リリース後は一塁側に倒れ込むようなフォーム。1イニングしか投げないのに、勢い余って転ぶこともあり、ユニフォームが土や泥にまみれることもある豪快なものだ。  また、ノビのある140キロ後半をストレートを常時投げ込み、変化球は数種チェンジアップを操る。コントロールもいいから、これだけで三振の山を築けるのだ。忘れたころに気の抜けたようなスローカーブを放るから、打者としては厄介なことこの上ない。 「おい、日南子。おまえまで寝ちまったら、話す人がいねぇだろうが」  同じく大卒新人の真砂(まさご)進士(しんじ)が日南子の体を揺する。  進士のポジションはキャッチャー。同学年の同大卒だからといっても今までのように、そのままバッテリーを組めるほどプロは甘い世界ではない。  しばらくは2軍で練習や試合で経験を積んでいたのだが、1軍の正捕手の故障と2番手の不調が重なり、6月に控え捕手として1軍昇格を果たす。  控えだった捕手がスタメンマスクを被ること多かったが、監督の方針で徐々に出番も増えていく。  あるとき、公式戦デビュー以来、3人で攻撃を終わらせることのできなかった日南子と組ませたところ、きっちり3人で締めて見せた。  それ以来進士は日南子の出てくる試合はもちろん、中継ぎ陣とバッテリーを組むようになる。日南子と組むのは慣れ切ってはいるが、1試合に3、4人は出てくる個々の中継ぎのデータを頭に叩き込むのは大変だった。加えて相手打者のことも覚えなければならない。苦手なコースや球種、クセ、その日の状態などだ。  それでも1軍の水になんとか慣れつつあり、欠かせない存在になりつつある。先輩たちにも明るくてハキハキした性格をかわいがられ、こうして日南子ともども飲み会に誘われたのだった。 「進士か……寝てないわよー、明太子の粒を数えてただけ」  大学4年間バッテリーを組んでいたよしみもあって、お互い名前で呼び合っている。チームの先輩や同僚からは、付き合っているんじゃないかとからかわれ、疑われる。が、本人たちはそんなことなかった。  体を起こしつつズレた変装用の黒縁眼鏡をかけ直す。すっかり冷めてしまった白ホルモンに、辛子明太子を乗せて食べる。そこに常温になった日本酒を口に含んだ。 「病んでる奴みたいじゃねーか。そっちのほうがタチわりーよ」 「みなさん寝ちゃったの?」 「ああ。座敷でごろん、さ。みんな言うほど強くねぇもん。中津川(なかつがわ)さん、俺もコイツと同じ冷やください」  日南子の隣席に尻を落ち着けながら、オールスター中継に釘付けの店長の中津川に注文をした。  元と現選手のベイギャラクシーズだけの貸し切り飲み会だから、ほかに店員がいない。客もおらず、店の中は数人の男のいびきとテレビの音だけだった。 「中津川さん?」
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