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2 願いとアドバイス
「おっと、ごめんね」
ようやく進士の言葉が耳に入った中津川は、急いで冷やを用意する。
中津川もまた、15年前までは中継ぎの一角としてベイキャラクシーズで活躍していた。当時の監督による酷使で選手生命は太く短くだったが、プロでやれて満足だったから、三十路になる年にスパッとやめた。それから数年間焼肉屋で修業。独立して、ホルモン焼きメインの居酒屋を開いた。
温和な性格で声のトーンも柔らかい。年上にも年下にも親しみやすい態度で接するから、現役からOB、他球団の選手も来たりもする。
「僕もオールスターで投げたみたかったなぁって」
冷やを受け取りながら進士が聞く。
「ファン投票で惜しいところまでいったんでしたっけ?」
「そうなんだよ。あのころは選手間投票もなかったし、チームは優勝後の過渡期だったから監督推薦も他球団だった。……まあ、あの監督が選ぶ立場でも、僕を選ぶはずなかっただろうね。あまり好かれてなかったのもあるけど、調子を崩し始めていたし」
「いろいろと不運だったんですね」
「ただね、時々こう思うんだ。あのマウンドに立てていたら、もっと何かが変わっていたかもしれない。野球のこと、自分の人生のこと、何かはわからない。漠然とそう思うだけなんだけどね」
「えっ、困りますよ。私、このホルモン焼きが楽しみで来てるんですから!」
口を挿んで来た日南子の額に、進士はデコピンを喰らわせた。
「馬鹿野郎、真面目な話をしてんだ」
「ハハハハ、日南子ちゃんと進士くんに会えなかったかもしれないし、居酒屋を開いてよかった」
「私も出れるなら出たかったですよ。だけど、タイタンズもファルコンズもクロ―ザーの調子がもの凄くて」
前出の2球団のクロ―ザーのセーブ失敗はここまでゼロ。ふたりとも脂の乗り切った30歳前後ということもあり、絶好調だった。
一方の日南子も、最初はちょこちょこ失敗したとはいえ、高い成功率を誇っている。例年なら選出される成績だったが、野球の神様は微笑んでくれなかった。
「私、悔しかったんです。1年目からクロ―ザーを任されたからには、オールスターに出たかった」
「さっきは中津川さんの話にケチつけといてそれかい。調子がいい奴だな」
「うっさい」
「うんうん、気持ちはわかるよ。自分のキャリアハイは、相手のキャリアハイより下回ることが往々にしてある。日南子ちゃんはまだルーキーだ。いくらでもチャンスがあるし、他の5球団の監督たちも君のことを視(み)ているからね」
「ありがとうございます! もっとがんばりますっ。だから、アドバイスください!」
「そうだね……投球面で闘志を出してもいいかもしれない。もちろんプレーでね。闘志剥き出しで投げ込めば、とんでもないボールでも振ってくれることもあるからさ。球審も熱いピッチャーが好きな人もいるし。印象って大事だよ。あとは3者凡退に抑えることを心がけてね」
普段の日南子は目立たないように、メジャーリーグのニューヨークのチームの帽子と、眼鏡とエクステでごまかしている。
しかし、ひとたびマウンドでは三振を取ればどうだ! と指を差したり、最後の打者を抑えれば、弓引きガッツポーズなどやりたい放題やっていた。まだ足りないとなれば、叫びながら投げるしかないのだが――
「わかりました!」
日南子は馬鹿正直に聞き入れてしまった。どうすんだかと思いつつも、進士は自分のことも気になった。
「俺もいいですか?」
「進士くんはね、キャッチング力をつけないとね。どんな速球、変化球にも喰らいついて捕れるようなキャッチャーにならないと。リードや送球も大事だけど、特にキャッチャーは捕ってナンボのポジションなんだから。でもまだ1年目だし、これからこれから!」
「ありがとうございます!」
中津川の語り口は柔らかいがズバズバ物を言う。それでいて的外れなことは言わない。どんな選手でも聞かれれば答える。ちゃんと野球を見ている証拠だ。
時には野球とは関係ない、それこそサラリーマンや起業した先輩後輩も訪れる。その際も話を聞いて適切にアドバイスができる。とても頼れる人物なのだ。
「私決めました! 来年からは7月だけ来ないようにします! オールスターに出れる選手になります!」
中津川と進士は面食らったが、先に中津川が日南子の言った意味を理解した。
「え? ……ああ、なるほどね。じゃあ、進士くんも7月出禁だね」
「ちょ、ちょっと。出禁だと意味が違ってきませんか!?」
日南子と中津川の笑い声が店の中に響く。
「冗談だよ。でも、キミたちには黄金期を作ってもらいたいね。親会社も変わって、負け癖が抜けていい流れが来ているからさ」
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