第九話 踊るもの

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第九話 踊るもの

 ある飲み会に参加して聞いた話だ。  それなりに名の通った家電メーカーで働いている亀井さんが教えてくれた。  亀井が二十歳の頃、東京の会社に就職して埼玉のアパートで一人暮らしを始めた。当初は会社の寮で暮らしていたのだが住人と反りが合わずに一人暮らしをする事にしたが新入社員の給料では都内のマンションは高かったのだ。  無理して都内のマンションに住むよりも少し離れた埼玉から通えば貯金も出来る。そう考えて安アパートで暮らし始めた。  閑静な町中にある三階建てのアパートで車が二台並んでギリギリ通れるかという狭い道路を挟んで向かいには戸建ての建売住宅が並んでいた。  越してから三ヶ月ほど経ち仕事にも慣れてきた頃、残業を終え上司と少し飲んでからアパートへと帰った。 「あぁ~疲れたぁ」  背広を脱ぎ捨てシャワーを浴びる。  汗を流して風呂から上がると冷蔵庫から缶酎ハイを取り出しゴクゴクと一気に飲んだ。 「回ってきたぁ~~」  亀井はそれなりに飲める方だが上司と飲んだ後だ。更に缶酎ハイを二本飲んでいい感じに酔っ払ってそのままベッドへ倒れ込んだ。 「洗濯しなきゃなぁ……」  脱ぎ捨てたシャツや靴下を見て呟くとそのまま眠りに落ちていった。  どれくらい眠っただろうか? 喉の渇きに目が覚めた。 「今何時だ? 二時半か……何時に寝たんだ?」  ベッド横にあるテーブルの上に置いていた目覚まし時計を見る。午前二時半を指していた。  まだ酔いが残る頭で考える。 「零時前に帰ってきてシャワー浴びたから……二時間くらい眠ったか、あぁ喉が渇いた」  怠そうに起き上がると亀井は台所へと向かった。 「今日休みだから洗濯しなきゃなぁ」  冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを飲みながら脱ぎっぱなしのシャツや靴下を見て呟く、今日は土曜日で休みだ。亀井は一週間分を纏めて洗濯している。  寝ようかとベッドに向かう、ふと窓の外を見た。  亀井の部屋は二階にあるが細い道路を挟んで向かいは戸建てが並んでいるので窓からは景色など見れない、空気の入れ換え用に付いているようなものだ。 「何やってんだ?」  アパート向かいの建売住宅の一つ、亀井の部屋から見れば正面の家の左隣、その家の二階で窓に奇妙な影が映っていた。 「踊りの練習でもしてるのか?」  窓に映る影はクネクネと左右に体を動かしている。 「こんな夜中にか? 酔っ払いかな」  自分と同じように酔っ払っているのだと苦笑しながらベッドに潜り込んだ。  翌日、出不精の亀井は部屋でゴロゴロとスマホやパソコンを弄って過ごす。もちろん洗濯はした。ベランダなど付いていない安普請のアパートだ。洗濯物は専ら部屋干しである。 「いい風だ。直ぐに乾くな」  窓の前、自作した物干し台で風に揺れるシャツを見て満足気に頷いた。 「明日も休みだし飲むか」  夕食のついでに酒を買おうと部屋を出た。  アパートから百メートルほど離れた所にスーパーがある。亀井が仕事以外で外出するのはもっぱら飯を買いにスーパーへ行くくらいだ。  買い物からの帰り道、向かいの戸建てに住んでいる主婦が三人集まって楽しげに会話していた。 「西村さん、子供連れて出ていったらしいわよ」 「知ってる知ってる。旦那さん浮気してたんですってね」 「借金もあるって聞いたわよ」  げすな話してるなと思いながら主婦たちの前を通り過ぎてアパートに入ろうとして何気なく見た向かいの家の表札に西村と出ていた。 (あの家……)  昨晩、窓に踊っているような影が映っていた家だと思い出しながら亀井は部屋へと戻っていった。 「まだ早いけど明日も休みだし飲むか」  明日も日曜で休みだ。午後の五時を回ったところで早いと思ったが我慢できずに缶ビールを開けた。 「やっぱ初めはビールだな」  買ってきた弁当や総菜をテーブルに並べて一人宴会が始まった。  出不精の亀井は何処かに出掛けて散財することに比べれば安いものだと毎週のようにべろんべろんになるまで飲んでいた。 「もう飲めねぇ……飲めねぇよ」  酔っ払ってそのままベッドに倒れ込む、これが亀井のストレス発散方法だ。体に悪いと言われても止めるつもりはない。  どれほど眠っただろう、ふと目が覚めた。時刻を確認すると深夜二時を回っていた。 「電気付けっぱなしだ……喉渇いた」  気怠げに起き上がり台所へ行って水を飲む、尿意を感じてトイレを済ませてベッドに戻る。 「あっ、電気だ」  電気を消そうと手を伸ばす。その目に窓が見えた。 「洗濯物干しっぱなしだ。明日でいいか……乾いてるよな」  干したままだと室内干しにしていた窓際に行く。 「シャツも靴下も乾いてる」  洗濯物を確かめる目にチラチラと動くものが映った。 「何だ?」  洗濯物を横に避けて開きっぱなしにしていた窓から外を見る。 「また踊ってる」  細い道路を挟んで左向かい、戸建ての二階の窓にクネクネと左右に踊るような影が映っていた。 「西村か……」  昼間、主婦たちが噂していた話が脳裏に過ぎる。 「妻子に逃げられて何やってんだか」  呆れながら窓を閉めてベッドに潜り込んだ。  それから毎晩のように踊る影を見た。毎回クネクネと左右に体を振って窓際で踊っている。  気味が悪いが付き合いなど一切無い他人事だ。出不精で面倒くさがりの亀井が何かするようなことはない。妻子に逃げられておかしくなったのかもしれないと漠然と考えていた。  二週間ほど経った土曜日、パトカーのサイレンで亀井が目を覚ます。 「煩いなぁ」  時刻は昼を過ぎている。昨晩も飲んで酔っ払って眠ったのだ。 「何かあったのかな?」  パトカーがアパート前に止まった。外も騒がしい。 「事件か」  面倒くさがりの亀井も流石に起きだした。  服を着替えて外へと出る。 「何かあったんですか?」  集まっていた人々に誰となく聞いた。 「死んでるんだよ、首吊りらしい」 「自殺らしいよ」  見知らぬ人が教えてくれた。 「首吊りか……あの家って」  亀井は絶句した。左向かいの西村の家だった。  翌日、大家さんがやって来て事件ではなく自殺だと教えてくれた。事件だと不安がって出て行く人が出ると困るのだろう。  事の顛末はこうだ。  西村は浮気がバレて妻子が出て行き、遊びで使った借金も返せなくなり自殺したらしい。死後二十日ほど経っていたそうだ。  うちは何も関係ないからね、大家はそう強調して帰っていった。  部屋の窓から左向かいの西村の家を見つめながら亀井が呟く。 「二十日前……」  亀井は思い出す。上司と酒を飲んで帰ったあの日だ。  あの夜見たクネクネと踊るような影は窓際で首を吊ってもがいていた西村の影だ。 「じゃあ……その後のは…………」  自分しか居ない部屋、誰も聞いていないのに口から声が出ていた。  毎晩のように見ていたクネクネと踊るような影、あれは何だったのだろう、西村は死んでからももがいていたのだろうか? 「また踊っているのが見えたら怖いから……窓から自分の部屋に入ってきたら怖いから、直ぐに引っ越したよ」  そう言って亀井さんはグイッとビールをあおった。
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