第十話 出られない

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第十話 出られない

 これも飲み会で聞いた話。  一人でドライブするのが好きだという上野さんが教えてくれた。  車好きな上野は仕事を終えた夜に少し離れた山まで一人でちょくちょくドライブに行っていた。  その日も一人で山まで行っていたという、時刻は深夜零時を回っている。  走り屋がやって来るような曲がりくねった道のある山ではない、何の変哲もない小山だ。  上野はスピードを出したりドリフトを楽しむタイプじゃない、のんびりと車を走らせるのが好きなのだ。  山の上に小さな公園がある。そこから町が見渡せる。上野のお気に入りの場所だ。  公園へと続く道路の端に車を止めると歩いて園内へ入っていく。 「山は涼しいな」  季節は九月、まだまだ残暑が厳しいが山の空気は心地好かった。  山の上の公園だ。明かりはトイレと横に置いてある自動販売機だけである。周辺は暗いが整地してある公園は星明かりが届いて目が慣れると何が置いてあるかくらいは判別できる程度には見えた。 「少し寒いくらいだな、温いの飲むか」  トイレ横の自動販売機でホットコーヒーを買った。  コンビニで買って持ってきてもいいのだが公園を使わせて貰う代金だと思って敢えて自販機で買っていた。  公園の端にあるベンチに座って町を眺めながらコーヒーを飲む。 「ふぅ、平日だから俺だけだな」  深夜でも休日にはカップルや若者のグループなどがいることもあるが今日は上野一人だけだ。 「トイレ、トイレ」  冷えたのか尿意を催してトイレに駆け込む。  何処にでもあるようなコンクリート製の四角いトイレだ。女性用は知らないが男性用は個室が一つに小便器が二つ並んでいる小さなトイレである。 「汚いなぁ」  小便器が汚れていたので上野は個室を覗いた。 「こっちは綺麗だ。小便だけだけどこっちでしよう」  上野は個室へ入った。  個室で小便をしていると大きい方も催してきて便座に腰掛けた。 「テッシュは……当然無いわな」  上野はズボンのポケットに入れていたポケットテッシュを取り出した。  何度も使っているトイレだ準備は怠らない。 「あれ?」  お尻を拭いてパンツを穿こうとして違和感に気付いた。 「えぇ?」  ドアが無い、壁だけだドアノブが見当たらない。  間違えるわけは無いと後ろの壁を見るがドアノブなど付いていない、当然だ便器と反対方向にドアなどあるわけがない。 「何で……」  周りを見る。前後も左右もドアが無かった。白い壁だけだ。 「どうなってんだよ」  上野はドンドンと前の壁を叩くが初めからドアなど無かったかのようにびくともしない。 「おいっ、ちょっと、誰か居るのか?」  壁を叩きながら少し大きな声を出した。誰かの悪戯かと考えたが返事は無い。 「どうなってんだ」  壁を叩くのは直ぐに止めた。悪戯で出来ることではない、便座に座っている正面のドアに細工などされて分からないわけがない。 「どうなってんだ」  改めて個室内を見回す。四方の壁にドアは無かった。幸いな事に個室の上、天井付近は吹き抜けになっていて隙間が空いている。  上の隙間から出るしかないと足場を探す。便器と荷物置きに使う小さな棚が足場に使えそうだ。 「仕方ないな……」  タバコを出して一服する。  一本吸い終わり、便器に登る。小さな棚に右足を掛け上に空いている隙間に手を伸ばして体を持ち上げようとした時、ドアノブが見えた。 「あれ?」  隙間に手を掛けたまま上野は固まった。  ドアがあった。壁から目を離したのは一瞬だ。 「うわぁあぁーっ!」  叫んで個室から飛び出した。  そのまま走って公園を出ると車に飛び乗って帰った。  その後も山の公園のトイレは何度か使ったがあんな経験は一度きりだという。 「小さいといっても山ですからね、狐か狸にでも化かされたんじゃないかと思ってますよ」  笑いながら上野さんが付け加える。 「でもね、今でもトイレ入ったらドア見てますよ、ウンチしてる最中もね」  以降、町中のトイレでも前のドアから目を離さない癖がついたという。 「だって怖いじゃないですか、上に隙間の無いトイレもあるでしょ、そこに閉じ込められたら……あの時はたまたま出られただけかもしれないし」  話を聞いた私も暫くはトイレが気になって仕方なかった。
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