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第十四話 虫
バイク好きの昔の仕事仲間である檜垣さんに聞いた話
二十年以上前、檜垣は高校を卒業して直ぐに原付の免許を取った。バイク好きで在学中に取りたかったのだが高校では禁止されていたのだ。
高校生の時にアルバイトして貯めていた金で中古のスクーターを買った。本当は本格的なバイクが欲しかったのだが一緒に免許を取った友人の親がスクーターしか許してくれなかったこともあり二人で遊び回りたかったので友人に合わせて中古の安いスクーターにしたのだ。本格的なバイクは自動二輪免許を取ったときに買えばいいと考えた。それでもヘルメットだけは少し名の知れたメーカーのフルフェイスヘルメットを買った。
乗ってみるとスクーターでも充分楽しかった。教本に載っていた交通ルールだけでなく実際走ってみなければ分からないマナーなども学ぶことが出来た。
免許を取って五ヶ月ほどした夏休み、檜垣は一緒に免許を取った高校からの友人と専門学校で新しく出来た友人の合わせて三人で住んでいる兵庫県から和歌山県まで二泊三日のツーリングへと出掛けた。全員スクーターだ。本格的なバイクとは違うがそれでも楽しいツーリングだった。
初日で和歌山県まで一挙に行って南紀白浜の海や山を楽しもうという魂胆だ。新しく出来た友人の叔父が和歌山県に住んでいて泊めて貰うことになっている。貧乏な専門学生だ。泊まる当てがあるから今回のツーリングを計画できたのだ。
それはもう楽しい旅行だった。海水浴も楽しんだし人の来ない夜や早朝の山道をスクーターで思う存分走った。友人の叔父が海の幸やら知人の猟師に貰ったという猪肉を振る舞ってくれて食事は始終豪華だった。
只一つ、檜垣はうんざりする事があった。虫である。
泊まった家は山の麓にある閑静な住宅街だ。麓と言っても山や森からは五百メートル以上離れている。それなのに虫が沢山やって来た。
蛾やカナブンは当り前、それどころかカブトムシやクワガタムシまで網戸に貼り付いていることがあった。兵庫県の田舎だが自然の余りない町中で生まれ育った檜垣にとって、どこで湧いているのかと驚くほどの虫がいた。別段虫嫌いではないが見たこともない大きな蛾や蜘蛛、足の沢山あるゲジゲジなどにはゾッとしたがそれも楽しかった。
あっと言う間に日が過ぎた。予定は二泊だったのだがもっと泊まって行けと言う叔父の言葉に甘えて四泊した。叔父夫婦には四年前にやっと授かった息子がいた。その四歳になる息子と檜垣たちは昼間はたっぷりと遊んでやっていたそれで気に入られたのだ。
友人の叔父夫婦に礼を言って四歳の息子にまた来るとバイバイして帰りについた。
帰り道は遠回りをして山道をぐるっと回るコースを選んだ。
道をよく知っている友人を先頭に檜垣ともう一人の友人が一列に並んでスクーターを走らせる。
「あてっ!」
少し大きな声が聞こえて先を行く友人がスクーターを止めた。
「どうした?」
「故障か?」
周りに車がいないのを確かめて檜垣ともう一人の友人がスクーターを横に止める。
「カナブンだ」
言いながら友人がフルフェイスヘルメットを脱いだ。
「カナブン?」
首を傾げる檜垣が見つめる先で友人が髪の毛を掻き分けるようにしてカナブンを取り出した。
「あはははっ、カナブン飛び込んできたのかよ」
もう一人の友人が大笑いする横で檜垣が顔を顰める。
「笑い事じゃないぞ、目に当たらなくて良かったな」
「ああ、下手なとこに飛び込んできたら事故るかもしれんからな」
友人がカナブンを道路脇の藪の中へと放り投げた。
「俺は眼鏡だから大丈夫だけどな」
もう一人の友人がニヤけながら嘯いた。
「ハチだったらどうする?」
意地悪顔で訊く檜垣を見てもう一人の友人が笑いを止めた。
「そうだな、気を付けよう」
山道だ。飛んでいる虫は多い、蝶や蛾などの小虫はいいがカナブンや蝉などは小石をぶつけられたくらいの衝撃がある。一番怖いのはハチだ。小さな蜂でも刺されれば痛い、ヘルメット内でブンブン羽音が鳴るだけでパニックを起すだろう。
「だからって暑いからなぁ」
友人がヘルメットを被り直す。夏の昼間だ。暑いので三人ともヘルメットのバイザーは全開にしていた。
「だな、気を付けていこうぜ」
今度は檜垣が先頭になって走り出した。
山道を抜けて大きな道路へと出る。高速道路が走っている高架の下を檜垣たちは進んだ。
〝ガンッ!!〟
暫く走っていると上から大きな音が聞こえて来た。
「なんだ?」
走っている車に気を付けながらスピードを落とすと檜垣はチラッと上を見る。
どうやら上の高速道路で事故か何かあった様子だ。
「あ~あ、事故ったな」
後ろを走る友人の少し楽しそうな声が聞こえてきた。
檜垣が何か言おうとしたとき、ヘルメット内に何かが飛び込んできた。
「痛てっ!」
額に衝撃を感じた。
「カナブンかな」
先程の友人を思い出してスクーターを止めようと思ったが交通量の多い道路だったのでその場は我慢した。
暫く走って信号で止まる。
「俺もカナブンにやられたよ」
檜垣は笑いながら振り返って友人たちを見た。
「お前もかよ」
一番後ろを走っていた友人が吹き出す中、真ん中を走っていた先にカナブンが飛び込んできた友人が檜垣を指差した。
「血が出てるぞ、大丈夫かよ」
「マジか?」
檜垣が自分の額を左の指で撫でる。にゅるっとした感触のした指を見つめた。
「うわっ、血だ」
指先には赤い血がべったりと付いていた。
「大丈夫か?」
笑っていた友人も心配そうに檜垣を見つめている。
「うん多分……全然痛くないし、カナブンになんか負けるかよ」
かなり出血している様子だが痛みは全くなかったので檜垣は心配を掛けまいと冗談で返した。
「取り敢えず手当だ。あのコンビニに行こう」
真ん中を走っている友人が道路の先に見えるコンビニを指差した。
三人はコンビニへとスクーターを走らせた。
コンビニの駐車場へスクーターを並べて停める。
「一杯出てるぞ血」
一番後ろでよく見えなかった友人が心配そうに駆け寄ってきた。
真ん中を走っていた友人がスクーターの後ろに括り付けていた荷物を解いて薬を探している。
「大丈夫だって」
檜垣が笑いながらフルフェイスヘルメットを脱いだ。
同時に何かがポロッと落ちた。
「カナブンか?」
何気に檜垣が下を見る。
「えっ?」
真っ赤に染まった丸いものが落ちている。カナブンにしては少し形が違って見えた。
「薬あったぞ」
友人が消毒薬と塗り薬を持ってくる前で檜垣が落ちている丸いものをひょいっと摘まみ上げた。
「うわっ! うわぁあぁ」
檜垣は丸いものを直ぐに投げ捨てた。
「どうした? カナブン潰れてたか」
もう一人の友人が檜垣が放り投げたものに近寄っていく、
「ちがっ、違う……カナブンじゃない」
震える声を出す檜垣の右横で落ちている丸いものを見ていた友人が叫びを上げた。
「ぶわっ! 指だ。これ指だぞ」
「指?」
薬を持っていた友人が目を凝らす。
指が落ちていた。大きさから人差し指か中指、もしくは薬指だろう、その指の先端、丁度関節当たりから千切れたものが血に染まって転がっていた。
檜垣は怪我などしていなかった。高速道路で事故に遭った人の指が千切れて飛んできて檜垣のヘルメットの中へと入ったのだ。
「その後が大変でさ、警察呼んで事情聴かれて帰ったら夜になってたよ、カナブンが飛んできて怪我したほうがマシだったよ」
檜垣さんが笑いながら話を終えた。
幽霊話ではないが実際にあった事実だ。
もし私が同じような目に遭ったらと考えるとゾッとした。
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