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第十五話 靄
自然や動物の映像を撮るのが趣味でネットにアップもしているという倉敷さんから聞いた話
今から三年前の秋、倉敷は奥多摩に野生動物の映像を撮りに行った。
これまで撮り溜めていた映像を前年からネットにアップしたところ好評で企業からのCMも付くようになり収入も増えてきた。この調子でいけば映像だけで食っていけるかもしれないと考えて新しい機材を揃えて撮影に挑んだのだ。
有給休暇を五日使って土日合わせて一週間の長期撮影だ。倉敷は気合いを入れて奥多摩へと向かった。
奥多摩の山奥、ドングリが沢山落ちている場所に無人カメラを設置した。合計三台だ。
「これでよし、今の季節じゃ狸に狐、ハクビシンやアナグマとか猪とか、旨く行けばツキノワグマも撮れるぞ」
足下に気を付けながら藪を掻き分けて下山した。
素人だが撮影歴は長い、熊が出る山だ。一人という事もあり山に泊まるまではしない。ネットに上げた映像の収益を使って高性能の無人カメラを三台買ったのだ。今回はそのカメラのテストを兼ねていた。
「これで食っていけるようになればいいのにな」
将来を夢見て上機嫌で獣道を歩いていると左に靄が見えた。
「なんだ?」
灰色の靄のようなものがあるのは分かるが少し離れているのでハッキリとは見えない。
「何かいるのかな」
生き物の影のようにも見えた。倉敷は首から提げていたカメラを向ける。
「蜘蛛の巣かよ、山にいる蜘蛛の巣はデカいなぁ」
デジタルカメラのレンズ越しに見ると蜘蛛の巣だった。木と木の間に壁を造るように大きな蜘蛛の巣が張ってあり靄のように見えたのだ。
「一応撮っておくか」
デジタルカメラも新調したものだ。山に登る道すがら所々で写真を撮っていた。蜘蛛の巣など興味は無かったが新品カメラを弄るのが楽しくてシャッターを切っていた。
何事もなく獣道を抜けて整備された山道へと出る。
「少し早いが戻って温泉にでも入ってゆっくりするかな」
山で撮影して無人カメラを仕掛けて今は午後五時前だ。辺りは薄暗くなってきている。
昼過ぎに奥多摩へと到着して昼食をとって宿に入ると荷物を置いて直ぐに山へと向かったのだ。
「腹減ったなぁ、飯は六時半だったな」
奥多摩へは何度も来ている。定宿の食事時間などは全て覚えていた。
倉敷は宿へと戻ると温泉に入って普段は食べ慣れない豪華な夕食をとってゆっくりと休んだ。
翌朝、早朝から山へと入って無人カメラのメモリーカードを回収する。
「次は向こうに仕掛けるか」
無人カメラのメモリーカードとバッテリーを交換すると次のポイントへと向かった。
休みは一週間で撮影旅行は五日間だ。ポイントを変えながらカメラを仕掛けて五日間撮影する。家に帰って二日で編集して順番にネットにアップしていく予定である。
「少し湿ってる。湧き水かな」
沢になるほどではないが小さな水溜まりが出来ていた。
「飲みに来るのが撮れるかな」
絶好の撮影ポイントだと水溜まりを囲むように無人カメラを仕掛けた。
「昼過ぎに一度回収して場所は変えずに夜も撮ろう」
木々の間を走るリスや枝に止まる野鳥を撮影してから宿へと戻ることにした。
「おっ、蜘蛛の巣だ。デカいなぁ、それだけ獲物がいるって事だろうな」
帰り道、また大きな蜘蛛の巣を見つけたが感心するだけで素通りだ。
昼前に宿へと戻ると撮影したメモリーカードをノートパソコンへと繋いで映像を確認だ。
「おっ、狐だ」
夜間モードの白黒映像にハッキリと狐の姿が映っている。
「狸もいるぞ」
狐や狸、小さい影は鼠だろうか、ざっと確認しただけでも数種類の動物が撮れて倉敷は満足気だ。映像データーをパソコンへと移すとメモリーカードをフォーマットしていつも腰に付けているウェストバッグへと仕舞った。メモリーカードは何度も使い回すのだ。
昼食をとり少し休んでからまた山へと向かう、朝仕掛けたカメラからメモリーカードを抜き取りフォーマットしたメモリーカードと交換する。ポイントは変えずに夜間撮影するのだ。
「昼はどんな動物が撮れてるかな」
早く確認したい気持ちを抑えて動物や植物などを持っているデジタルカメラで撮りまくる。
倉敷はプロのカメラマンのような撮影テクニックは持っていない、カメラの知識も普通の人よりは知っている程度のほぼ素人だ。だから大量に撮影することでそれを補っていた。プロはシャッターチャンスを逃さないと言うが素人の倉敷は大量に撮影した中に偶然撮れるようなチャンスを狙っているのだ。
山で写真を撮りまくっていると時間はあっと言う間に過ぎる。
「もう四時か……帰るか」
辺りが薄暗くなってきているのを感じて下山することにした。
「旨く撮れてくれよ」
無人カメラをチェックしてから山を降りた。
夕食前にメモリーカードからパソコンにデーター移行しながら映像をチェックする。
「鼬かな? 他には映ってなさそうだな」
昼間という事もあってか動物の姿は見えなかった。細長い鼬が水を飲みに来たくらいだ。
「やっぱ夜が本番かな」
データーを移し終えると温泉へと向かった。
同じような事を繰り返して四日目、夕食後に今まで撮ったデーターをざっと点検しようと見ていたところおかしなことに気が付いた。
「狸が三匹だよな」
大きな木の下で三匹の狸が落ちている木の実を食べていた。
カメラの真ん前に一匹いて後ろで二匹がじゃれあっている。兄弟狸らしい。
「消えた?」
微笑ましく見ていたところ、いつの間にか狸は二匹になっていた。
カメラの前を横切って消えたのではない、気が付いたら二匹になっていたのだ。
「木の後ろにでも隠れたかな」
見間違いかと繰り返して見るが狸がカメラのレンズから出て行く様子は映っていない、その場で消えたとしか思えない。
「なんだ? 煙か」
見返すこと三度目、後ろでじゃれあっていた狸の片方が白い靄で包まれていくのが見えた。
「消えた……」
白い靄のようなものが消えると狸もいなくなっていた。
「狐や狸は化けるって言うけど……マジかよ」
もちろん信じてはいないが狸が化ける決定的なところでも撮れたかと瞬きするのも忘れて画面に見入った。
「煙が出た後だ。やっぱり消えてる」
夜間モードの白黒映像、しかもピントは前で木の実を食べている狸にあっているのでハッキリとは見えないが狸の姿が何処にもいないのは分かる。
「スローで確認だ」
スローにしたり明度を変えたりして繰り返し見る。
「なんだ……あの靄は」
倉敷は言葉を失った。
狸が化けるときに煙を出しているのかと思ったが違った。白い靄が上から降りてきて二匹の狸の片方を包み込み、するすると上がっていく、地面から狸は消えていた。じゃれあっていたもう片方の狸はじっと上を見ている。
「あの靄が狸を捕まえたのか」
真相を知ってゾクッと悪寒が走った。
何か知らないがとんでもない物を撮ってしまったと思うと同時にスクープだと喜んだ。
「確認しよう」
明日現場に行く事にしてその日は早めに寝床に着いた。
翌朝、宿の朝食を流し込むように食べると早速山へと向かった。
「これは狸の毛かな?」
現場に着いて辺りを探すと大きな木の後ろに狸の毛らしきものが散乱していた。
「何かに襲われたのか……」
他に何かないかと探すが手掛かりらしきものはない、白い靄に包まれていく狸を思い出し怖くなった倉敷はカメラを回収して一旦宿に戻ることにした。
三台の無人カメラを回収しに更に山奥へと入っていく、
「なんだ?」
藪を掻き分けていると両腕に何かが絡み付く。
「うわっ、蜘蛛の巣だ」
灰色の綿飴のような蜘蛛の巣を払いながらカメラを仕掛けた場所に着いた。
「カメラがっ!」
慌てて近付いた。カメラがひしゃげているのが見えたからだ。
「高かったのに……」
持ち上げたカメラは左右から挟んだようにひしゃげ、真ん中には二本の穴が空いていた。
カメラは三台とも壊れていた。防水はもちろん衝撃にも耐えうることの出来るプロ仕様の強固な無人カメラだ。それが三台とも万力で挟んだようにひしゃげ、錐でも刺したように二本の穴が空いていた。
「熊でも出たのかな」
ツキノワグマに襲われたら大変だと倉敷は壊れたカメラを回収すると直ぐに引き返す。
「くっ、蜘蛛の巣だ」
獣道を塞ぐように蜘蛛の巣があった。来るときは無かったはずだ。
「もっ、もう来ません、助けてください」
山に拒まれているような恐怖が湧いてきて倉敷は誰に言うとなく大声を出すと逃げるように山を降りた。
日程を一日繰り上げて自宅であるマンションへと帰った。
壊れたカメラを横目に映像を改めて確認していく。
「ちょっ、この蜘蛛の巣って……」
始めにデジタルカメラで撮った蜘蛛の巣を見て絶句した。
大きすぎるのだ。写真に写る蜘蛛の巣は周りの木から計算して直径三メートル以上あるのがわかる。五十センチくらいの巣なら町中でも見掛けることはあるだろうが三メートルは大きすぎる。蜘蛛の仲間では大型の女郎蜘蛛でも精々一メートルほどの巣しか作らない。
狸を包み込んだ白い靄のようなものが頭を過ぎる。
「あの靄はもしかして大きな蜘蛛の糸だったんじゃないか……」
狸を包み込み持ち上げる蜘蛛の糸、その巣の持ち主はどれだけ大きな蜘蛛なのか。
倉敷はその場所には二度と近付いてはいない。
その映像はどうしたのかと私は訊いた。
「映像データーは直ぐに消した。カメラを壊したのは警告じゃないかって思ってね、蜘蛛が山の神様だとしたら何をされるか分からないからね」
倉敷はそう言って苦笑いをした。
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