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第十六話 押される
出先で偶然会った友人が連れていた亀山さんから聞いた話
亀山が大学生の頃のことだ。
友人たち男五人で夏キャンプに行った。和歌山県の海岸へテントを張った。十五年以上前だ。海水客が来るような砂浜ではなく岩場近くの砂利浜だったこともあってか、今のように煩く注意されることもなかった。
テントを張り終えたのが昼前だ。弁当で昼食をとり早速海で遊んだ。
「貝とか採ろうぜ」
しばらく泳いで遊んでいたが友人の一言で貝や蟹などを探すことになる。
夜はバーベキューだ。貝や蟹など捕まえて一緒に焼いて食べようというのだ。
「じゃあちょっと潜るか」
「だな、岩牡蠣やサザエとかいるかもな」
泳ぎの得意な亀山と友人の田中が少し沖へと泳いで行くのを残りの三人が岩場から見送る。
「御馳走頼んだぞ」
もちろんサザエやアワビを採るのはダメである。亀山たちも知っているが若さ故のやんちゃか、少しくらいなら、見つからなければ、という気持ちだ。
水深五メートル程の沖で潜っていた亀山が水面に頭を出した。
「やったぜ」
手には拳ほどのサザエを掴んでいた。
「俺の勝ちだな」
隣りに浮んできた田中はサザエを二つ持っていた。
「くそっ、次は負けんぞ」
サザエを袋に入れると亀山が再度潜っていく、
「潜りは俺の方が得意だぞ」
田中も負けじと潜った。
二人は競争するようにしてサザエを十個ばかり採ると一旦岸へと上がる。
「やっぱ寒いなぁ」
「温いのは精々二メートルまでだな」
震えながら上がってきた亀山と田中を見て友人たちが大笑いだ。
「サザエはもういいから岩牡蠣でも採ろうぜ」
「岩牡蠣なら寒くないしな」
サザエの入った袋を友人に渡すと少し休んでから亀山と田中はまた沖へと泳いでいく、先程サザエを採った場所とは違い水深三メートル程の場所である。そこかしこで大きな岩が海面から少し頭を出している岩場だ。岩に付いている岩牡蠣を採るのだ。深く潜るわけではないので寒くはないし岩牡蠣なら見つかっても怒られることもないだろう。
「俺はあの岩で採るから田中は向こうな」
「了解、数は採れるからでかさで勝負しようぜ」
亀山と田中が左右の岩へと別れていく、牡蠣の大きさ勝負だ。
専用の器具など持っていなかったので-ドライバーを使って牡蠣を岩から剥がし採っていく。
「おうっ!」
夢中で採っていた亀山の背が押された。
田中だと思って振り返るが誰も居ない、田中は五メートルほど離れた岩で牡蠣を採っている。
「気の所為か……」
波で流されたゴミでも背に当たったのだろうと亀山はまた前を向いて牡蠣を探す。
暫くしてまた背が押された。
「おおぅ!」
岩にぶつかりそうになって声が出た。
「なんだよ」
今度こそ田中だと思い、迷惑そうに振り返るが誰も居ない。田中は先程よりも離れた所で牡蠣を採っていた。
「田中ぁーっ、何か用か?」
悪戯して泳いで逃げても不可能だと思いながらも大声で訊いた。
「ああん、何だ? 何か用か」
七メートルほど先から田中が泳いでやって来た。
「俺の背中押さなかったか?」
「いや、俺はずっとあっちにいたぞ」
少し怒って訊く亀山に田中が向こうの岩を指しながらこたえた。
「それならいいんだけど……」
亀山が二回も背中を押されたと話しをすると田中が笑いながらその背を押した。
「あはははっ、ゴミか魚でもぶつかったんだろ、それより勝負だ。俺はこんなにでかいの採ったぜ、俺の勝ちだろ」
「それでかいな、くそっ負けるか」
亀山は何か嫌な感じがしたが採った岩牡蠣を自慢気に見せてくる田中に負けじとまた牡蠣採りを再開する。
しばらくして大きな波がやって来た。牡蠣を採っていた亀山は気付かない。
「おわっ!」
大きな波に攫われるかと思ったとき背が押された。
「あっ、危ねぇ」
亀山の体が大きな岩の横を流されていく、もし背を押されなかったら鋭い牡蠣の殻が沢山付いている岩にぶつかって怪我をしていただろう。
「まただ。また押された……でも助けてくれたのかな」
周りを見回すが背を押すようなものは何もない、気味が悪かったが海の怖い話でよく聞くような足を引っ張られるようなこともないので気にしないことにした。
大きな波が来て背を押される。同じような事が三度も続いた。
「もう上がろうぜ」
疲れたのか田中がやってきた。
「そうだな、これだけ採れたら充分だ」
二人合わせて三十個ほどの岩牡蠣を持って海から上がった。
夜、バーベキューを食べながら酒を飲み酔っ払ってテントに潜り込んだ。
テントは四人用が二つ、それぞれ亀山と田中、後の三人が別れて使う。
「亀山、起きてるか亀山」
どれくらい寝ただろうか、揺さぶられて起された。
「んん、なんだ田中」
亀山の寝惚け眼に強張った顔をした田中が映った。
「外に誰か居るんだ。テントの周りを歩いてる」
「誰かってあいつらだろ」
他の三人が悪戯でもしているのだろうと亀山は相手にしないで背を向ける。
「違うよ、あいつらじゃない、俺もそうだと思ってテントの隙間から見たら女だった」
「女?」
背を向けていた亀山がくるっと寝返りを打つように田中の方へ向き直る。
「ああ、女だ……ぐっしょりと濡れてる白い女だ」
田中の言葉に耳を澄ますと確かに足音が聞こえて来た。
〝ジャリジャリジャリ〟
足音がテントの周りを回っている。テントを張っている浜は砂ではなく砂利浜だ。
なっと言うように田中が亀山を見つめる。
亀山はこくっと頷くとテントの入り口からそっと外を覗いた。
「ふぅぅ……」
叫びそうになる口を自身で押さえた。
女が歩いていた。白い女だ。
(何だあれは?)
確かめるようにもう一度見た。白い服を着ていると思っていたが違った。服は着てない、水着か下着か、パンツは穿いているが後は裸だ。血の気のない真っ白なぶよぶよにふやけた体が服を着ているように見えたのだ。
生きている人間でないのは一目でわかった。怖かったが背を押したのもあの女かもしれないと思い起こす。
「大丈夫だ心配無い」
小声で言い切る亀山に田中が怪訝な顔を向ける。
「何で分かるんだ」
「俺を助けてくれたんだ。大きな波が来て岩にぶつかりそうになったときに背を押してくれた。牡蠣の殻で怪我をするところを助けてくれたんだ」
「マジか? それなら大丈夫だな」
顔を強張らせた田中の前で亀山は神妙な表情で頷くとテントの外に向き直る。
「助けてくれてありがとう」
亀山は聞こえるように態と大きな声で言った。
〝ジャリジャリジャリ〟
足音がテントの横、亀山が寝ている方向で止まった。
『……く……つれて……い……たつれて……』
(くつれて?たつれて? ああ、助けたって言ってるのか)
ぼそぼそと聞き取り辛かったが亀山には「助けた」と聞こえた。
やはり助けてくれたのだと亀山がテントの前に立つ何者かに礼を言った。
「ありがとう、怪我をしないで済んだよ」
『……く……つれて……い……たつれて……』
テントの薄い布切れ一枚向こう、何者かがぶつぶつと言いながら離れていくのが分かった。
「よかったぁ」
安堵する田中の横で亀山がぼそっと呟くように言う。
「寺か神社に行ってあの女に御経でもあげて貰うかな」
「だな、向こうに神社あっただろ明日にでも行ってみるか」
田中も賛成してくれた。
その後は何もなく二人は熟睡できた。
翌朝、話しを聞いた残りの友人も面白がって五人全員で神社へと向かった。
小さな神社だが宮司さんは居たので海での話をして供養してくれるように頼んだ。
「供養よりお祓いの方がいい」
神妙な顔で話す宮司に亀山は思わず訊いていた。
「お祓い? 助けてくれたんですよ」
「違いますよ」
亀山をじっと見つめて宮司が続ける。
「くつれて、たつれて、と聞こえたんですよね、それは助けたではなく、つれていく、連れて行ったと言っていたのでしょう」
真剣な表情で話す宮司の向かいで亀山の顔が青ざめていく。
「どっ、どうしたら……」
縋るような亀山を見て宮司が頷いた。
「騒がなくて本当に良かった。怖がらずにありがとうと言ったので亡霊は諦めて帰っていったのでしょう」
亀山たちはお祓いして貰いテントを畳んで早々に帰った。
お祓いが終わった後、宮司さんが言った言葉が忘れられないと言って亀山さんは話を終えた。
「背を押したのは助ける為じゃありません、押さえ込んで溺れさそうとしたんですよ、貴方はあの場所では二度と泳いではいけません」
そう言われた亀山は、あの場所どころか海に入るのが怖くなって海水浴へ行っても腰以上の深いところへは絶対に行かなくなったと言って笑った。
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