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第十八話 イタドリ
専門学校からの友人である田端さんから聞いた話
今は東京に住んでいるが田端の実家は奈良県にある。
コンピューターのシステム構築や管理をする会社に勤めている田端は七年ほど前、大阪へ出張することになり序でに実家へ寄る事にした。
実家から出張先の大阪市へは電車で片道一時間半ほど掛かったが実家に泊まればホテル代が浮く、田端の会社は一泊一律八千円が支給される。朝食や夕食も実家で済ませば只だし、交通費を引いても一日辺り五千円以上得だと判断したのだ。
予定では五日間の出張だが先方での設備次第で伸びることも有り得る。大阪は学生時代に遊び歩いたこともあり気楽に引き受けたが予想以上に大変だった。設備も古く、従業員の殆どがパソコンを触ったことも無かった。
小さな会社でこれまではパソコンに詳しい社員が一人でシステム構築から管理までをしていたのだが辞めてしまって田端の会社に依頼が来たのだ。
出張初日、先方のシステムなどを確認して新しく購入する機材などの見積もりを会社に連絡して仕事を終える。社長が飲み会を催してくれて田端は大いに楽しんだ。
二次会を終え、社長に礼を言ってタクシーで帰路についた。終電はとっくに過ぎている。最寄りの駅に自転車を止めているのでタクシーは駅までだ。
駅の駐輪場から自分の自転車を引っ張り出すとリュックを背負って跨った。
田畑が彼方此方に残る夜の田舎道を自転車を漕いで帰る。
「こりゃぁ、一年くらい、うちから派遣社員置かなきゃダメだな……俺でもいいけど、若いやつにやらせるか」
自然と愚痴が出た。
システム構築はパソコン含め新しい機材を入れればよい、ソフトも市販のオフィスを使っていたので新バージョンにするだけでよかった。問題は社員教育だ。今まで一人に任せていたので殆どの社員を教育しなければならない。
「人に教えるの苦手だからな」
道路から外れて自転車を山道へと向かわせる。近道だ。坂を登るのは大変だが山をぐるっと回る道路よりも十五分ほど早く帰ることができた、
「こんなにキツかったかなぁ」
ひいふう言いながら坂道を登っていく、学生時代に何度も通った道だ。余裕と思っていたが四十を過ぎた今通ると重労働だった。
「まぁいい運動になるな」
ぽつんと街灯の灯る。山の中腹で自転車を止めた。尿意を催したのだ。
「小便小便」
脇の藪に向かって小便をする。
「おっ、イタドリか、でも育ちすぎだな、とうが立って食えないな」
田舎で育った田端だ。小学生までは親と一緒に山菜採りに出かけていたので野草のことは詳しかった。その中でもイタドリは生で食べる事も出来るので記憶に残っていた。
イタドリ、地方によってはスカンポとも呼ばれる。若い茎は食べる事が出来るが育ったものはあくが出てとてもじゃないが食べられない。
「学校の帰りとか採って食べたけどなぁ、今の子は食べないんだろうな」
懐かしそうに言うと自転車に跨った。
翌日、会社から注文した機材が届き夕方から大忙しとなる。
「今日は泊まりだな」
機材の設置などは先方の若い社員に手伝って貰ったが配線やシステムのセットアップなどは田端一人でするのだ。小さな会社なので使っているパソコンも全部で十二台と少なかったので二日ほどで出来るだろう。
深夜零時過ぎ、基本的なOSのセットアップが終って小休止をとる。
「腹減ったぁ~~、飯でも買ってくるか」
「僕が買ってきますよ」
一緒に泊まっている先方の若い社員、久保田が隣で立ち上がる。
基本、田端が一人で作業しているのだが取引先とはいえ赤の他人だ。一人で社内に泊まらせるなどセキュリティ問題になるので久保田も一緒に残業だ。
「一緒に行こう、少し歩きたい」
椅子に座ったまま田端が大きく伸びをした。
「そうですね、ずっと座ってたら腰がヤバいっす」
久保田が笑いながらこたえた。二人で話ながら作業していてすっかり打ち解けていた。
「でも久保田くんは偉いなぁ、教えたこと全部メモしたりして」
「はい、僕に管理やらせるって言われたから……」
不安気な久保田の顔を見て田端が声を出して笑い出す。
「あはははっ、社長の御指名か」
「ええ、パソコンなんて殆ど触ったこと無いんですけどね」
「覚えりゃ簡単だよ、トラブル無かったら他の仕事より楽だぞ」
「そんなものですか……」
簡単と聞いて安心したような久保田を見て田端がニヤッと意地悪顔だ。
「トラブったときは大変だけどな」
「ええーっ、トラブル無いようにシステム組んでくださいね」
嫌そうな久保田の背を田端がポンッと叩いた。
「あはははっ、任せろ、基本オフィス使ってデーターの遣り取りするだけだ。サーバーの管理さえ出来りゃ、後は機器の物理的な故障以外は大丈夫だよ」
「田端さんを信用してます」
「あははははっ、任せろ、慣れるまで半年か一年、うちから一人派遣して貰うようにするから何も心配無いよ」
「マジで頼みますよ」
田端と久保田、二人で近くのコンビニへ夜食を買いに行った。
夜食を食べて残りのセットアップを済ます。
「これで基本は終わりだ。後は各自が使っていた環境に出来るだけ近付けるように調整して、サーバーの管理して、三日ほど様子見て問題なければ俺の仕事は終り、派遣で来る若いやつに引き継いで帰るだけだ」
終ったと伸びをする田端に隣で見ていた久保田が座ったまま腿に手をついて頭を下げる。
「お疲れ様です。十二台一度にOSインストールするとか凄かったです」
「うん、今回は旨く行った。時々メモリエラーやHDDエラー出て何台か止まったりすることあるからな」
欠伸をしながら時計を見ると午前三時半を少し回っていた。
「三時半か……仮眠室で九時まで寝るか、久保田くんは今日休みだろ」
「ええ、僕は朝引き継いだら今日は帰ります」
休みを貰った久保田は元気がいい。
「いいなぁ、俺は問題無いか引き続き仕事だぞ」
「済みません」
謝る久保田の肩をポンッと叩きながら田端が笑い出す。
「あはははっ、冗談だよ冗談、俺はこれが仕事だからな、久保田くんが付き合ってくれて助かったよ、俺はこの後三日管理して派遣で来る若いやつに引き継いだら有給と足して四日休み貰ってるからゆっくり休むよ」
「大変な仕事ですね」
「まぁな、その代わり給料結構良いからな、じゃあ仮眠するか」
「はい、徹夜したの久し振りです」
田端と久保田は仮眠室へと向かった。
四畳半ほどの小さな仮眠室、二段ベッドの下に田端が横になる。上は久保田だ。
仕事を終えた達成感からか、疲れからか、田端は直ぐに眠りに落ちていった。
夢を見た。
駅へ行く近道として使っているあの山道に田端は立っていた。
「ここは……帰る途中だっけ」
家に帰る途中だと思い自転車を探すが何処にも見当たらない。
〝クチャクチャクチャ〟
直ぐ近くの藪の中から何かを食べているような音が聞こえて来た。
誰か居るのかと田端が藪を掻き分ける。
「うわっ!」
声と同時に体を反らす。ガリガリに痩せたお爺さんがいた。
『ああ……なんじゃ? お前も食うか』
ガリガリに痩せたお爺さんが草の茎のようなものを差し出してくる。
(イタドリか……)
爺さんの持つ草に見覚えがある。イタドリだ。
『早う食え、旨いぞぉ』
イタドリをクチャクチャと食べながら爺さんが反対の手でイタドリを差し出してくる。
「いっ、いえ、結構です」
田端が震える声で返事をした。爺さんが食べているイタドリは育ちすぎて普通は食用にしないものだ。
『遠慮せんでええぞ、いっぱいあるからのぅ』
爺さんの様子がおかしい、血色の無い土気色の皺だらけの顔、病気だろうか? 目が灰色に濁っている。服も変だ。元は白だったのだろう、土か汗で汚れて薄茶色になったシャツ、作業着みたいな灰色のズボンを穿いていた。
『ここのスカンポは旨いぞぉ、いっぱいあるから遠慮するな』
口の周りを涎と泡でいっぱいにした爺さんがニタリと不気味に笑った。
美味しそうに食べているがイタドリは伸びきってとうが立っている。おまけにアブラムシだろうか? 黒い小さな虫がびっしりと付いていた。それを爺さんは構わずにモシャモシャ食べていた。
『遠慮せんでええ、早う食えぇ』
「いっ、いりません」
押し付けてくる爺さんを押し返す。
次の瞬間、グラッと揺れた爺さんの上半身、腰から上が地面に転がった。
〝クチャクチャクチャ〟
上半身だけで地面に転がる爺さんがクチャクチャと音を立ててイタドリを食べ続けている。
「うわっ、うわぁあぁぁーーっ」
悲鳴を上げて田端が飛び起きた。夢だったのだ。
「夢か……なんて夢だ」
安堵している田端の耳に小さな声が聞こえてきた。上からだ。何事かと田端がベッドから起き上がる。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
二段ベッドの上段で久保田が拝むようにして謝っていた。
「久保田くん? 何があった」
「ひぃっ!」
心配して声を掛ける田端を見て久保田が悲鳴を上げる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、許してください」
「久保田くん、俺だよ、田端だよ」
ベッドの上で背を丸めて謝っていた久保田が田端に気付いて顔を上げた。
「あっ……あぁ、田端さんか」
「何かあったの?」
心配そうに訊いた田端の前で久保田が慌てて首を振った。
「いっ、いえ……夢を見て」
「夢か……俺も怖い夢見たとこだ」
「怖い夢って、どんな夢ですか?」
青い顔で訊く久保田に先程見たイタドリを食べる老人の夢の話しを聞かせた。
「イタドリですか……違う、よかった」
安堵する久保田に興味を持って田端が聞き返す。
「久保田くんはどんな怖い夢見たんだ?」
「いえ……僕は……覚えていません」
何かを隠すような態度に思えたが深く聞くのも悪いと思い田端はそれ以上追求しなかった。
「まだ七時だ。あと二時間は寝れるな」
「僕は起きてます。腹減ったんで何か買ってきますよ、田端さんはいいですか?」
二段ベッドの上段から久保田が下りてきた。
「うん、俺はいい、朝飯は後で買いに行くよ」
枕に頭を乗せる田端を見て久保田は仮眠室を出て行った。
寝ようとしたが寝付けない、久保田はトイレに行こうとベッドを出る。
立ち上がった足に何かが当たった。
「イタドリか? リュックに付いてたかな」
拾い上げるとイタドリの枝だ。
「まさかな」
ふと頭に夢のことが浮んだが頭を振って否定する。前日、山道で自転車を止めて立ち小便をした時にリュックに付いたのだろうと、それ以上考えないことにした。
その日の仕事を終え帰路につく、システムトラブルが少しあって会社を出たのは夜の八時を回っていた。
「徹夜の後に飲んだら倒れるっての」
社長に飲みに誘われたが断って帰ってきたのだ。
最寄りの駅に着いたのが九時すぎだ。ここから自転車で二十分ほど掛かる。
「変な夢見た後だから嫌だけど、さっさと帰って風呂入って寝たいからな」
流石に体は疲れてクタクタだ。少しでも早く帰りたいと近道の山道を通る。
舗装された大きな道路から土が剥き出しで車も通れないほどの細い道へと入っていく、
「小便小便」
尿意を感じて山の中腹辺りで自転車を止める。
「ここは……」
自転車を降りてから気付いた。先日立ち小便をした場所だ。
「まぁいいか」
イタドリが生い茂る藪に向かって小便をする。
〝クチャクチャクチャ〟
藪の向こうから音が聞こえた。
(この音は?)
小便をしながら藪をじっと見つめた。
〝クチャクチャクチャ〟
確かに聞こえてくる。何かを咀嚼する音だ。
夢で見た爺さんが頭に浮ぶ、ヤバいと思いながらも手が自然と動いた。
「うわぁぁっ」
叫びを上げていた。両手で掻き分けた藪の先にお爺さんが居た。
『ああ……なんじゃ? お前も食うか』
お爺さんが育ちきって食用にならないイタドリを差し出してくる。
血色の無い土気色の皺だらけの顔、灰色に濁った目、土か汗で汚れて薄茶色になったシャツ、作業着みたいな灰色のズボンを穿いていた。夢で見た老人に違いない。
『ここのスカンポは旨いぞぉ、お前も食え、いっぱいあるから遠慮するな』
クチャクチャと泡を立ててイタドリを咀嚼しながら爺さんがニタリと笑った。
「えっ、遠慮します」
震える声を出して逃げようとした田端のズボンを爺さんが引っ張った。
「おわっ!」
田端が転んだ。無意識に頭を守ろうと伸ばした手に何かが触れた。
半分肉が削げ落ちた頭が転がっていた。
『ここのスカンポは旨いぞぉ』
年齢性別の分からないほどに腐り果てた頭が爺さんの声を出した。
「ひぃっ、うわぁあぁぁーーーっ」
田端は悲鳴を上げながら自転車に跨ると必死で漕いで山を登り家へと帰った。
翌日、父を連れて山道へと行く、見間違いでも夢でもいい、確かめたかった。
勘違いであってくれという願いは砕かれた。あのイタドリが群生する藪の中で半分白骨化した遺体が見つかった。
大騒ぎの中、久保田が自首してきた。
三ヶ月前、久保田は下の道路で老人を轢いて死んだと思って遺体を隠そうとして山道の藪に捨てたのだ。
だが老人は生きていた。舗装もされていない土が剥き出しで車も通れないほどの細い道だ。助けを呼ぼうにも地元の人も滅多に通らない場所だ。
検死の結果、失血死だと分かった。轢かれてから三日ほどは生きていたらしい、少しずつ出血して亡くなったという事だ。その胃の中にイタドリの枝や葉がパンパンに詰まっていたという、老人は腰の骨が折れて動けなくなり飢えて近くに生えていたイタドリを食べていたのだ。
話を終えた田端さんがやるせない表情を見せた。
「久保田くんも夢に見たんじゃないかな、だから謝ってたんだと思う、真面目でいい子だったよ、魔が差したんだろうね……御陰で俺はイタドリが食べられなくなったよ」
そう言って田端さんは苦笑いを見せた。
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