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第十九話 用水路
ネットで知り合った加賀さんから聞いた話
用水路に流されて老人が亡くなったとニュースにもなったので詳しい場所は避ける。
加賀の住んでいる町は昔は田畑が多くあり町中を用水路が沢山通っていた。開発が進み、田畑が住宅街になって用水路も埋め立てられたり蓋をして地下に設置されたりした。暗渠というやつだ。
加賀の家の近くにも暗渠が二つほど流れていた。一つは完全に埋められて上はアスファルトで固められた道路になっている。道路の所々に詰まったものを取り出したりガスを逃すための整備用の穴があり格子状の金属製の蓋がしてある。
もう一つは暗渠と言うより只蓋がしてあるだけの用水路だ。元の水路の上にコンクリート製の蓋が敷いてある。蓋が無い場所もあり本来の用水路が見えていた。加賀が小学生の頃は普通の用水路だったのでザリガニを捕ったりしていたそうだ。
ある夜、何かの鳴き声に加賀は目を覚ました。
〝アァ……ナァアァ……〟
何処かで猫でも鳴いているのだと気にも掛けずに直ぐに眠った。
〝アァ……アァ……ナァアァ…………〟
次の夜も鳴き声が聞こえてくる。
「猫かよ煩いなぁ」
加賀は寝返りを打ち、音の聞こえてくる方へ背を向けて聞こえない振りをして寝ようとしたが鳴き続く声に我慢できなくなって起き上がる。
「煩い、追い払ってやる」
加賀は懐中電灯を持って外へと出た。
家の周りの道路を十分ほど探すが猫の姿は無い。
「気配を感じて逃げたか」
帰ろうと回れ右した加賀は驚いた。
「おわっ!」
交差する道路の端、縁石にお婆さんが座っていた。
俯くように座っているのと夜なのでハッキリとは見えないが七十歳は超えているような老婆だ。着くたびれて伸びた白いシャツ、ジャージだろうか? 汚れた紺色のズボンを穿いてた。
『ここ……』
月明かりの加減か、お婆さんは妙に青い顔をしている。
『ここ……おるよ』
お婆さんが座っている自身の右横を指差した。
「そこに猫が居るんですか?」
婆さんが指差す先に懐中電灯の明かりを向けるが猫どころか虫一匹いない。
『ここ……おるよ、ここ……おち……』
(見ない顔だし、ボケてるのかな)
通り過ぎようとしてぎょっとした。
『ここ……おるよ、ここ……おち……た』
お婆さんはぐっしょりと濡れていた。
幽霊かと思ったがお婆さんの姿はハッキリと見える。だとしたら……面倒事に関わるのは御免だと加賀は聞こえない振りをして通り過ぎる。
〝アァ……ナァアァ……〟
しばらく歩くと後ろから猫の鳴き声が聞こえてきた。
やっぱりあの婆さん猫の居場所知ってるんだと加賀が振り返る。
「あれ?」
猫はもちろん老婆の姿も消えていた。
「帰ったのか? もしかして婆さんの猫か」
振り返るまで三十秒ほどだが交差する道路のどちらかに入って建物の壁の陰に入って見えなくなったんだろうと加賀は気にもせずに家に帰った。
その後も鳴き声は連日聞こえてくる。閑静な町だ。静かな夜に鳴き声が響いて近所の人たちも当然聞いていた。
十日ほどして流石におかしいと話題になる。
「暗渠に入って迷ってるんじゃない、猫」
「かもな、雨が降ったら死んじゃうな」
「どうにかならない?」
近所の人も心配している。
「明日は土曜だから探してみましょう」
加賀は近所の人と共に迷い猫を探すことにした。
翌土曜日、近所の人たち数人と一緒に加賀は暗渠や用水路を探して回る。
一時間ほど暗渠の彼方此方にある整備用の蓋を開けて探すが流れてきたゴミがあるだけで猫の姿は無い、当然だ。時期的に少ないとはいえ水が流れているのだ。猫がいるわけなど無いのだ。
結局見つからずに用水路ではなく、彷徨いながら鳴いているのだろうということで解散した。
その夜、鳴き声が聞こえてきて眠れなくなった加賀はまた探しに出た。
〝アァ……アァ……ナァアァ…………〟
家から直線距離で二十メートルほど離れた辺りから鳴き声は聞こえてくるようだ。
「何処に居るんだ、猫」
鳴き声を辿るように歩き回り細い道路が交差する場所へとやって来た。
「ここか……」
加賀が険しい表情で辺りを見回す。十日前に気味の悪い婆さんが居た場所だ。
「鳴き声が聞こえなくなったな」
先程まで聞こえていた鳴き声が止んでいるのに気付く、
「やっぱ、この辺りにいるんだな、誰かの飼い猫じゃないだろうな」
細い道路を挟んで立つ家々を見回した。
『ここ……おるよ』
声が聞こえてバッと振り返る。
「うわっ!」
驚きの声が出た。いつの間に居たのかお婆さんが縁石に座っていた。
「すっ、すみません、吃驚したもので」
加賀は失礼な事をしたと咄嗟に謝る。
『ここ……おるよ、ここ……おち……た』
婆さんは気にした風もなく座っている右横、コンクリート製の蓋で塞がれた用水路を指差した。
「そっ、そこに何が居るんですか? 猫ですか」
加賀が震える声で聞いた。俯く婆さんの首筋が真っ白だ。髪も服もぐっしょりと濡れている。
『ここ……おちた……おとされ…………』
婆さんはこたえず同じセリフを繰り返す。
「そっ、そうですか、じゃっ、じゃあ、失礼します」
言いようのない不気味な雰囲気にペコッと頭を下げると加賀は逃げるように背を向けた。
『ここにぃおるよぉ!』
前に向き直った瞬間、婆さんの顔が目の前にあった。
「うわっ、うわぁあぁぁ」
跳ねるように婆さんを避けると加賀は全速で逃げ出した。
『ここにおるよ……ここに……おとされて…………』
玄関のドアを開けて中に飛び込むまで耳元で婆さんの声が聞こえた。
「おっ、お化けだ……幽霊だ」
部屋に入って布団にくるまって震えているといつの間にか眠ってしまった。
翌日曜日、気になった加賀は近所の人と一緒に用水路を塞いでいるコンクリート製の分厚い蓋をどかせてみた。
加賀の話しを聞いて半信半疑ながらも近所の人たちは協力してくれた。男四人で角材を梃子にして分厚い蓋を横にずらした。
「何かあるぞ」
薄暗い用水路、懐中電灯で照らした先に袋状のものが見えた。
「臭い……猫の死体か?」
一緒に蓋を開けた男が顔を顰める。もう一人の男が持っていた角材で袋状のものを突っついた。
袋状のものがごろっと向きを変えた。
「うわぁぁっ、にっ、人間だ」
男の叫びに加賀も持っていた懐中電灯を向ける。
「うぅ……マジで死体だ」
恐怖と悪臭に吐きそうになりながら確認するようにしっかりと見る。
「婆さん……」
間違いない昨夜見た老婆だ。
交差する道に沿って段差を付けるように曲がっている水路、その曲がり角に老婆の遺体は引っ掛かっていた。
直ぐに警察に通報して大騒ぎになった。
その日の内に老婆の身元は判明した。捜索願が出ていたのだ。
一ヶ月前に越してきた一家のお婆さんだ。嫁と折り合いが悪く、よく喧嘩をして深夜徘徊していたという、二週間ほど前に行方不明になり捜索願を出したとのことだ。
検死の結果、死後二週間経つとのことだ。嫁と喧嘩して夜中に徘徊することが多々あったので徘徊中に足を滑らせて用水路に落ちて暗渠まで流されたのだと事件性は無いとして片付けられた。
丁度猫のような鳴き声が聞こえてきたのが二週間ほど前の事だ。声で知らせていたのだが誰も気付いてくれなくて化けて出てきたのだろうと近所の人は噂しあったが加賀は違うと思っている。
『ここ……おちた……おとされ…………』
老婆の声が耳に残っている。聞き取り辛かったが「落とされた」と言っていたように思った。
折り合いの悪い嫁に突き落とされたのではないかと、だから恨めしげに化けて出てきたのだと、加賀はそう考えている。
件の一家は世間体を気にしたのか早々に引っ越していった。
「あれで済むとは思えないんだけどな、目の前で見た婆さんの顔、目を吊り上げた凄い形相だったぞ、あれは怖かった。マジで怖かった……引っ越したから分からないけど嫁さん無事だといいけどな」
顔を顰めながら加賀さんが付け加えた。
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