第二十話 時計

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第二十話 時計

 某、飲食チェーン店で正社員として働いている伊藤くんから聞いた話  俳優を目指していた伊藤は高校を卒業後、アルバイトをしながら養成スクールに通っていた。  その日は朝からバイトで駅へと急いでいた。自転車で駅まで向かう、駅の近くにある高校時代の友人の家に自転車を停めさせて貰っていた。月二千八百円の駐輪場代が浮くのだ。 「おっ、学校かい」 「いえ、今日はバイトです」  時々、顔を合わせる友人の祖父にペコッと頭を下げる。 「そうか、頑張れよ」  伊藤が俳優を目指しているのを知っているので友人一家は好意的だ。 「いってきます」 「いってらっしゃい」  お爺さんに見送られて駅へと駆けていった。  友人の家から駅までは徒歩で五分ほど掛かる。駅前にある大きなスーパーをぐるっと回るように道路がありそこを通るのだ。 「何だあれ?」  スーパーの角、信号待ちをしていると横断歩道の向こう側にキラッと何かが光っていた。  信号が青に変わり渡っていく、落ちていた物が何かわかった。腕時計だ。 (時計か……)  伊藤は辺りを窺った。午前九時だ。通勤通学のラッシュは過ぎたがまだ人は多い。 「おっと、靴紐が」  伊藤は靴紐を結ぶ振りをしてしゃがむと時計を拾い素早くポケットへと滑らせた。  駅に着くと改札を通って直ぐにトイレに向かう。 「おっ、結構高いやつだぞ、事故とかじゃないだろうな」  個室に入って時計を確かめる。  幾ら高級時計でも交通事故か何かの遺品だったりしたら気持ち悪くて御免だ。 「綺麗だ。良かった。バンドが切れて落ちたんだな」  バンドが切れていたが時計自体は大きな傷もなく綺麗でちゃんと動作もしていた。事故などではなく慌て者が落としたんだと思った。 「ラッキー、今日は良いことありそうだ」  伊藤は手洗い場で時計を洗うとポケットに仕舞った。  日々生活するだけで精一杯の伊藤に高級時計を買う余裕など無い、天からの授かり物としてありがたく貰うことにした。  昼は大衆食堂で夜は居酒屋になる飲食店でアルバイトをしている。  その日のバイトは午前十時から午後十時過ぎまで、途中交代で休憩するとはいえ十二時間働くのは大変だ。だが大変なのは承知でバイトしている。朝昼夜の三食賄いで済むのだ。年中金欠の伊藤にとってはありがたいバイトなのである。おまけに店長が良い人で伊藤の事情を知るとバイトの無い日でも食事を食べさせてくれた。伊藤は養成スクールへの行き帰りに寄って食事を御馳走になっていた。 「お疲れ様でしたぁ」  店長に挨拶して帰りについたのは午後十一時過ぎだ。居酒屋は午前二時過ぎまでやっているが翌日は養成スクールがあるので伊藤は午後十時までのバイトだ。今日は客が多く居て忙しそうだったので一時間ほど無給で手伝ったのだ。食事を御馳走になっているのだ。これくらいの恩返しは当り前だと思っている。 「あぁ今日は疲れたぁ」  電車の席に着くとポケットに違和感を感じた。 「ああ、時計だ」  バイトの忙しさにポケットに入れた時計のことなどすっかり忘れていた。 「あれっ、止まってるぞ」  ポケットから時計を取り出して見ると五時十八分で止まっていた。 「ゼンマイ切れたかな」  電池ではなく自動巻の機械式時計だ。 「動かないな、壊れてるのか?」  手で握って何度か振るが時計の針は動かない。 「バンドも直さないといけないし、店に持っていくか」  買えば十万円以上はするだろう高級時計だ。少しくらいなら修理費を出しても使う価値はあると考えた。修理費が高ければそのまま店で引き取って貰おうとも考えた。 「壊れてても一万円くらいで売れるだろ」  伊藤はほくそ笑むと時計をポケットの中へと押し込んだ。  家に帰って時計を見ると動いていた。 「おっ、動いてるぞ」  一時的に調子が悪かっただけかと安堵して時計を机の上に置くと風呂に入って少しテレビを見てからベッドに横になった。  夢を見た。  伊藤は駅へと続く道路を歩いていた。  ガンッ! 急に後頭部を殴られてその場に倒れる。 『いっ、痛い……』  伊藤の言葉か、誰の言葉か、呟き声と共に気が遠くなる。 「うわぁーっ」  叫びながら目を覚ます。 「夢か……いてっ、痛ててて」  後頭部から首筋に掛けて激痛が走った。 「やべぇ、寝違えた」  首筋を押さえながら目覚まし時計を見る。午前五時二十分を回っていた。 「いてててっ、もうこんな時間か」  今日は朝から養成スクールがある。 「寝違えは冷やした方がいいんだよな、確かアイスノン冷凍庫に入れてたよな」  伊藤は首筋を手で押さえながら台所へと行き冷蔵庫から氷嚢を取り出し後頭部へと当てた。 「しばらくじっとしとこう」  氷嚢を後頭部から首筋にかけて当てたまま横になる。 〝ジリジリジリジリ♪〟  目覚まし時計の音で目を覚ます。いつの間にか二度寝していた。 「おお、治ってる」  冷やしたのが良かったのか後頭部から首筋に掛けての痛みが取れていた。  バイト先の居酒屋で御飯や揚げ物などをタッパーに詰めて貰っていたので電子レンジで温めて朝食をとった。 「帰りにバンド付けて貰うか」  机の上に置いていた拾った時計をポケットに押し込むと家を出た。  俳優の養成スクールを終えて帰る途中、ホームセンターへ寄る。高級な時計も扱っていて電池交換やバンドの交換から修理までしてくれる店だ。  店で見てもらうと十万どころか五十万する時計だと言われた。伊藤は喜んで新しいバンドを着けて貰うことにして序でに時計の調子を見てもらった。 「時計は異常無し、丸儲けだ。バンド交換と調整で一万円取られたのは痛かったが五十万の時計だからな」  腕に巻いた時計を見て満足気に頷いた。  駅の近くのスーパーで三割引になっていた弁当を買って家に帰った。 「まだ少し早いかな」  夕飯にしようと腕時計を見る。 「止まってる」  時計は五時十八分で止まっていた。 「今は六時だぞ」  ゼンマイが切れたのかと腕ごとブンブンと振るが時計は動かない。 「異常無しって言ってたのになぁ」  明日にでももう一度見てもらおうと時計を机の上に置いて弁当を食べ始める。 「あれっ、動いてる」  弁当を食べ終わり風呂にでも入ろうと何気なく机の上の時計を見ると針は動いていた。 「調子がおかしいだけか」  風呂から上がって時計を見る。ちゃんと動いている。その後も時々確認するように見るが時計は動いていた。 「どこか調子が悪いんだな、五十万がバンドの交換で一万で手に入ったんだし、まぁいいか」  楽観的な伊藤は気にした風もなくその日は眠った。  また夢を見た。  いつも使っている最寄りの駅へと続く道路を歩いている。  ガンッ! 急に後頭部を殴られてその場に倒れた。 『いっ、痛い……』  誰の言葉か、頭の中に直接響いた。 「うぅぅん……」  痛みに目が覚めた。 「頭が……首が痛い」  後頭部から首筋に掛けて激痛が走った。  また寝違えたかと後頭部を押さえながら枕元の目覚まし時計を見る。午前五時二十分を回っていた。 「もうこんな時間かよ」  二時間ほどしか経っていないと思ったのだがもう朝日は昇っていた。 「いてててっ、氷嚢で冷やすか」  冷蔵庫から氷嚢を取り出し、部屋に戻って、ふと机の上の腕時計を見た。五時十八分で止まっていた。 「五時十八分か……」  拾った腕時計と曰くでもあるのかと思った。  首筋に氷嚢を当てながら横になる。 「五十万の時計だぞ、俺の時計だ」  曰くがあろうが無かろうが高級時計を手放す気など伊藤にはなかった。  数日が経った。どこも異常は無いと言われたが時計は毎日五時十八分で止まる。 「五時十八分か……歯車が汚れてるか微妙にズレてるかして止まるんだろ」  止まるのは一時的だ。一時間もすれば動き出す。その都度時間合わせが面倒だが五十万円もする高級時計だ。持っているだけで幸せを感じて面倒事も気にならない。  気になるのは毎日寝違えて首筋が痛くなることだ。 「ここんとこ忙しかったからな、それとも枕があってないのかな」  先月使い過ぎて所持金が心許ない、それで今月のバイトを増やしたのだ。  疲れから寝違えるのだろうと楽観して朝からバイトへと向かった。  いつものように駅近くの友人の家に自転車を止めさせて貰う。 「おはようさん」  友人の祖父が声を掛けてきた。 「おはようございます」  ペコッと頭を下げた伊藤をお爺さんがじっと見つめる。 「お前さん、何かしたかい?」 「えっ、何って?」  普段見せない険しい表情のお爺さんを見て伊藤は驚いて聞き返した。 「憑いてるよ、良くないのが憑いてる」 「憑いてるって……」  不安気な伊藤を見据えてお爺さんが続ける。 「何か触ったり、壊したり、拾ったりしなかったかい」  お爺さんの拾ったりという言葉にピンときた。 「あのう……これを」  伊藤は腕に巻いていた時計を見せた。 「何処で拾った!」  叱るような物言いに伊藤が慌てて謝った。 「ご、御免なさい、盗むつもりとか無かったんです。つい出来心で……」 「そんな事はどうでもいい、何処で拾った!」  お爺さんの剣幕に伊藤は隠さずに本当の事を言う。 「駅の前です。道路に落ちてて……出来心なんです」  お爺さんは目を閉じて首を振った。 「死んでるよ、その時計の持ち主、事故で死んでるよ」 「えっ……そんな」  愕然とする伊藤をお爺さんが見据える。 「お前さんの背に中年の男が乗っかってるんだ」 「男って……」  首を回して自分の後ろを見るが何も見えない。 「頭が痛くなるだろ」  時計を拾った日から毎日後頭部と首筋が痛くなるのを当てられて伊藤が震える声でこたえる。 「はっ、はい、毎朝寝違えて……」 「違う、寝違えなんかじゃない、頭から血を流してるよ、たぶん後ろから車に轢かれて亡くなったんだ。自分が死んだのが分からずに彷徨って、お前さんが時計を盗ったと思って憑いたんだ」 「あっ!」  伊藤は夢のことを思い出した。後ろから殴られたんじゃなくて車に轢かれたのだと。 「どっ、どうしたら」  泣き付くような伊藤の顔を見てお爺さんは溜息をついた。 「神社で祓って貰う、今から行くぞ」 「今からって今日はバイトが……」  言い淀む伊藤をお爺さんが怒鳴りつけた。 「馬鹿もん! バイトと命とどっちが大事だ。お前さんの首に手を掛けとるぞ、今にも大変なことになるぞ」 「命……わっ、わかりました」  伊藤は電話を掛けてバイトを休んでお爺さんが懇意にしている神社へ行ってお祓いをした。  お祓いの後で腕時計は交番へと届けた。  お爺さんの言った通り、腕時計は事故で亡くなった中年男性のものだった。早朝、仕事へ向かうために駅へ向かっている途中で車に轢かれたのだ。即死だったらしい、その時刻が午前五時十八分ごろだという事だ。 「もう、なんでもかんでも拾うんじゃないぞ」 「はい、ありがとうございました」  普段の優しい表情に戻ったお爺さんを見て伊藤は安心した様子でこたえた。 「実際に幽霊は見てないけど、こんな事もあるんだね」  そう言って笑った伊藤くんの腕には安価なデジタル時計が巻いてあった。  もう落ちてる物には懲り懲りだ。何か拾ったら絶対に交番に届けるよと言って話を終えた。
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